2025(令和7)年おせっかいの扉

OOC活動に関心をお持ちの皆様。明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

OOC活動は、2022(令和4)年3月24日への衝撃的投稿に端を発しています。そこには『OOC』という聞き慣れないアルファベットが並び、長年温めてきた想いが綴れていました。翌日には、多くの方々から、その考え方に対する共感が寄せられ、日に日に共感の輪が広がっていきました。 

それからわずか半年余りの怒濤の時を経て、提案者の活動拠点である宮城県富谷市を会場に11月3日(文化の日)「OOC世界大会」が開催されました。以来、今日までOOCの理念は脈々と続いています。以前のような熱にうなされるような感はありませんが、以前よりも生活感のある活動となってより日常に近い活動になっているように感じます。

この様な姿ことが、提案者の想いに叶う活動なのではないかと思っています。ややもすると見逃してしまうような些細な出来事に関心を持ち、相手が気づかないほどのさりげなさで対応し、振り向いたときにはもうそこには居ない。それでいて、あとからじわじわと心が温かくなってくる。そんな活動が、日常の場で繰り広げられてきました。

一年の始めに、OOC活動を皆さんで共有する場の入り口の扉を開設します。どうぞ皆さん、些細な日常を書き留めて下さい。それを多くの皆さんで共有し、それぞれの一歩を踏み出す力を持ち寄り支え合いの場にして下さい。宜しくお願いいたします。

改めて、当時作成した「健笑」「私たちに約束」及び「第一回OOC世界大会の報告」を掲載します。お読みいただき、当時の想いを思い起こし、それぞれの振る舞いの指針として下さい。

賀茂神社(泉区加茂)元朝参り

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

2025(令和7)年おせっかいの扉” に対して7件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    今年初の『おせっかい』をいただいたことを書きたいと思います。

    快晴だったお正月に電車に乗ろうとした時のことです。
    私の思い過ごしではない、やさしい出来事『おせっかい』だったのではないかと近くを通るたびに思い出し、胸が温かくなります。

    高校生が乗り降りする時間帯以外は、乗客は数人いるかいないかの小さな小高駅。これまで私1人だけ乗車ということも何度もありました。 あの日、私が乗りたかったのは、下りの9時3分発の電車。歩いて駅に着いたのが(時計を見たのではっきり覚えていて)、8時55分でした。水を買おうと自販機に近づくと、停まっていた上り電車の『ファーン!』と言う警笛が聞こえてきました。続けてもう一回『ファーン!』。
    電車が出発する時にいちいち警笛は鳴らさないよね⋯と不思議に思いながら、買ったばかりのペットボトルの水を飲んでいたら、ゆっくりゆっくり、まるで「電車に乗らないの?大丈夫?」と言っているように、上り電車は動き出しました。その間約1分くらいだったでしょうか!

    構内に入り、上り電車の時間を確認したところ、私が駅に着いた8時55分ではないですか!他に誰も乗客はいないのだから、普通は定刻通りに出発してもいいと思うのですが、あれは運転席から私が見えて、「あの人乗るかもしれない」と思った、1人ひとりの乗客を大切にしてくれる運転手さんのやさしい計らい=おせっかい⋯だったのではなかったかと、ずっと思っているのです。ありがとう、運転手さん!

    早く気づいて、手を☓にして、「違いますよ〜」と教えてあげれば良かったなぁ(^_^;)!

  2. いくこ より:

    冬眠中のお正月元旦から扉を開けて下さってありがとうございます。
    鈴虫さんもおっしゃっていますが、訪れてほっとする居場所を開けて下さったことに改めて感謝します。
    せっかく開けてくださったので豊かな言葉を紡ぎたいと、長考の私は鏡開きの今日になりました。

    言い出しっぺの私が年の初めにお話ししたいことは何かしらと考えていて、私は何故おせっかいをしたいのかをお話しようと思いつきました。
    それは、人に関わってもらう嬉しさ喜びを知っているからなのかもしれないと思ったのです。

    幼い頃、初めての子として親から愛情と手をかけてもらったこと、従兄たちに笑顔と愛情をそそいでもらったこと、同じ社宅に暮らすおばちゃん達にしてもらったこと、それらがいつも私の心の底にあり私を支え創ってくれているのではないかと思い至りました。

    生活を支える物が豊富で便利に暮らせるようになり、人と関わることを最小限にして暮らせる世の中になったと感じています。
    従兄たちとの遊びはゲーム機に代わり、おばちゃん達のおせっかいはコンビニが代わりをしてくれます、スマホさえあれば人に道を尋ねる必要もなくなりました。
    人と関わる煩わしさを手放して、困りごとにはお金を払って解決する世の中になったのではないでしょうか。
    でも、私は人と笑顔を交わし合う喜びを知っています、時には気まずい思いもしますがそれを含めて、むしろそれがあるからこそ、人と関わることは喜びなのではないでしょうか。
    人と関わる喜びを、我が子を含め後から来る人達のために伝えたいと願って、やっぱりおせっかいをしていこうと思っています。
    OOC健笑に『ちょっと「おせっかいが過ぎる」と感じさせてしまった時は、素直に「ごめんなさい」をいいましょう塩梅は少しずつ覚えていけばいいのです』『あなたは決して一人ではありません』と謳っています、みなさん今年もおせっかいに励みましょう。

    1. ハチドリ より:

      いくこさんのコメントを読んでいて、あらためて『人との関わり』の大切さを感じていました。そして、そこには『想う』とか、『気にかける』とか、相手に対する「思いやりと言う愛」があると言うことを!
      いくこさんの言うおせっかいって、そんな大切なことを確認させてくれるんですよね。

      そう、余計なお世話な時もあるかもしれないけど、そんな時は、素直に「ごめんなさい」と言いたいと思います。

      今年もおせっかいに励むぞ〜!
      どうぞよろしくお願いします!

    2. スマイル より:

      いくこさんがなぜ「おせっかい」をするのか?それは『人に関わってもらう嬉しさ喜びを知っているからなのかもしれない』という言葉に、深く深く頷きました。そしてその嬉しさ喜びを知っている、ということは何とありがたいことだろうとも・・・身をもって実感したことだけが人に伝わるのではないか、と思うのです。理屈ではないんですよね。だからやっぱり、それを知っている人は伝えていかなくちゃ、とあらためて私も思いました。

      同じことになるかもしれないのですが、自分がコップだったとして、それが水で満たされて溢れた分が人への愛や思いやりになる、という話も聞いたことがあります。満たされない状態であれこれやっているとだんだん「見返り」を求めたくなったり、「褒められたい、認められたい」という欲求が出てきてしまうというのはわかるような気がします。だから私は今年はまず自分へせっせと「おせっかい」しようと思います。知らずにあふれ出すものがあれば、それは自分でも意識しないところで、本当に役立つものとなっているかもしれないから・・・

      そんなことを思いました。

  3. 鈴虫 より:

    新年の穏やかな幕開けに、本間先生、おせっかいの扉を開けてくださってありがとうございます!

    みなさん、お元気でしたか。
    今日、振りかえりたい記事を探して地域福祉研究所hpに再訪したら、あら、更新されてる!
    私は心の拠り所を再び得たような、ホッとした気持ちになりました。

    年末年始に普段なかなか会えない人達が我が家を訪れてくれました。
    実のところ仕事の忙しさから気持ちの切り替えが出来ていなくて、1人目の急な来客を迎える直前までブルーでした。
    ところがこの若者とのお喋りがなんとも心地良い、寛げる時間となったのです。
    共通の大切な友人を弔ったばかりだった私達は、命あることに感謝して真剣に向き合わねばねと誓い合いました。
    今日元旦も朝から義姉母娘に姉夫婦と次々と迎えて、一緒に美味しい食卓を囲むことも出来ました。
    この様な団欒の時間が儚い宝もののように感じて、ずっと大切にしたいと思えたのでした。

    みなさん、今年もよろしくお願いいたします。
    気負わず小さな事からコツコツと、おせっかいおばちゃんは今日も行く〜👣🤗

    1. ハチドリ より:

      鈴虫さん、元旦に『振りかえりたい記事を探して地域福祉研究所hpに再訪』って、素晴らしい!
      探していた記事は見つかりましたか?

      そして、団欒の時間、良かったですね。本当に大切な大切な時間だと思います。

      今年も『縁側日和』が地域のみなさんの心の拠り所となりますように!
      大変遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします

      1. 鈴虫 より:

        ハチドリさん
        こちらこそ今年も宜しくお願いします😊
        本間先生のおせっかいによって、再び交流出来る場が開かれて嬉しいですね。
        先生、ありがとうございます!

        年始に、私の「振り返りたい記事」に無事たどり着けましたよ。そのひとつの記事から、次々とその前後の記事やみなさんとのやりとりまで読み直すことが復習になり、楽しい時間でもあって私は好きです。
        何処を切り取っても新鮮で、何度でも興味をそそられます。
        自分で入れたコメントの拙さに恥ずかしくなることもありますが、その様に感じられるのは亀の歩みであっても少しずつ前進しているということかもしれないと、良い解釈をしています(笑)

        せっかくなので昨日のおせっかいをひとつ。
        お知り合いから美味しそうなマグロを頂き、食べ切れないのでご近所にお福分け。夕闇迫る時間帯にひとり留守番のばあちゃんはソファに寝そべりTVを観ていました。おそらく長い時間そうしていたであろうと思わせる髪の潰れ具合でした。私がことわって台所に入ると「起き上がるのに時間かかるから助かる、夕飯が楽しみだな」と喜んでくれました。
        続けて老夫婦のお宅です。
        近頃、おじいさんが自分で考えて動く事が難しくなってきたと聞いています。
        私が行くとおじいさんは下野でふたり分の湯たんぽを準備しているところで、おばあさんが裏口から顔を覗かせて様子を見ていました。
        持って行ったお刺身にふたりとも大喜びして「またお正月が来たようだな」と笑いあっていました。

        私はそれぞれのお年寄りの様子を見て、出来るだけ顔を出して声がけしようと思いました。
        どちらも私の訪問をとっても良い笑顔で迎えてくれたのですもの!

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