結願記念日
今日は、二年前の2023(令和5)年5月1日、四国八十八ヶ寺歩きお遍路で結願の寺88番札所大窪寺を参拝した日です。あの時から2年が経っています。何か、夢物語のようで遠い昔の出来事のように思えます。
思い返すと、88番札所大窪寺では「結願」という実感をほとんど持たないままに参拝を終え遍路宿に入りました。部屋に入ってからは、いつものルーチーンの如く、様々な荷物を畳に広げて明日の準備に備え、それから洗濯場に足を運び洗濯機を回している間にお風呂に入る。風呂から上がりながら洗濯物を取り出し部屋に戻る。それから、ひたすら捻挫した足首を氷で冷やすのです。
少し早めに、氷を入れたタオルを足首に巻いて下の食堂に入りました。結構な人数の宿泊者がいました。皆さん、おなじみさんなのか高齢の大女将さんとお話しをしています。歳もまだ行かない頃に歩きお遍路に出された話をしており、耳をダンボにして聴いていました。
18時になり夕食の始まりです。目の前には豪華なお祝い膳の様な食事が並んでいました。これまでの遍路宿のように、ご飯は自分でよそうので木製のおひつ(これもなかなかだ!)の蓋を開くと、なんと『お赤飯』です。何これ!って言う感じで大女将さんをみると、娘さんが順打ちのお遍路さんには結願のお祝いに、そして逆打ちのお遍路さんには出立のお祝いに『お祝い膳』を出しているのだと言います。私は、この言葉で初めて『結願』を実感したのです。
このようなことが二年前の今日ありました。それからわずか二年です。悲しいもので、人の記憶は当時の驚きや感動をだんだんと弱くしてしまいます。あの時は、もっともっと衝撃的な出来事として受け止めていたように思います。
こうした現状をみるたびに『一期一会』や『而今』が頭をよぎります。どうしても時は過ぎ記憶も弱くなります。だからこそ、様々な出会いや関わりを一期一会として向き合い、『而今』の姿勢で、その時その時を精一杯生きることが必要なのだと思います。修行が足りないので、まだまだそうはいかず、様々なことに執着したり流されるだけの時間を過ごしたりしています。そんな現実だからこそ、こうした自分で決めた自分だけの「記念日」は大切なように思います。



追伸 楽しみにしていた春のDXシーズンが丸潰れです。アマチュア無線機が壊れてしまい、電源が入りません。修理を出そうとしているのですが、重いし精密機械なので、梱包が大変でまだ手元にあります。原因も分からず途方に暮れています。