年忌法要(母:瑞雲慈香清大姉)
2013(平成25)年2月母が他界してから12年が経ち、昨日(1月25)菩提寺で13回忌追善供養を行いました。
東日本大震災で南三陸町にいた時期です。体調の様子から、介護施設から何度となく面会の要請が来ていました。なかなか現地を離れることは難しく、たまに、本当にたまに不定期で仙台に戻り、わずかな時間を母と過ごしたりしていました。お風呂に入るのが大変らしかったので、居室で「足湯」をして清拭をしたり、むくんでいた足をさすったり、たったそれだけの親孝行で、西方浄土へ送ってしまいました。
一年後、南三陸町での被災者支援から自宅に戻ってからは、かあちゃん(本間をり)ではなく瑞雲慈香清大姉となった母と、仏壇を前に会話しています。何とも親不孝な長男です。そんな訳で、今更ですが毎朝お経を上げ、母の修行を息子として応援している日々です。
仏弟子となった母の新たな名は、先に他界している夫の戒名から一字を頂いています。永遠の眠りの場が異なるので寂しかろうと思い、せめて戒名で一緒にいられるようにと、菩提寺の住職にお願いして頂いています。このような『瑞雲慈香清大姉』。母を彷彿とさせてくれるし、夫の思いでとなる名と伴に過ごすことが出来ているので、母の子としてもとても嬉しいです。ご住職にはとても感謝しています。
今日、13回忌の法要を営んでいただいた副住職さんから有り難いお話しを頂きました。その中で、13回忌は、干支が一周して(12年)新しく始まる歳なのだそうです。大切な人を亡くし、時間というお薬を頂き、心を落ち着かせて新たに歩み始める。そんな時のようです。確かに、自分の中でも、母が去って「そばにいないことに寂しさを感じていた」ことから、今は「西方浄土にいる」ことを前提にして物事を考えているように思います。三回忌、七回忌の時とは異なる気持ちの変化を感じています。こんなこともあり、改めて年忌法要について紐解いてみました。
年忌法要とは、亡くなった同じ月・同じ日(祥月命日)に執り行う供養の儀式。親族が一堂に会し、僧侶による読経やお墓参りによって故人を偲ぶ仏事です。三回忌や七回忌など、決まった年数で開催することが一般的のようです。いつまで続くのか見たら「弔い上げ」というのがあるようです。
弔い上げは最後に行う年忌法要で、場所によっては「問い上げ」「揚げ斎(あげとき)」とも呼ばれています。仏教では、三十三回忌や五十回忌を迎えるころには、どんな方も無罪放免となり極楽浄土へ行けるという教えがあることも、弔い上げをする理由となっています。また、亡くなってから年数が経つと、生前の人柄を知る方もだんだんと少なくなります。「故人を偲ぶ」という本来の意味も薄れるかもしれないともありました。このことから、個人としての法要は一定の年数で止め、以降は先祖と共に故人を祭ることになるようです。
神道の場合は、神道で法事に相当する儀式は「霊祭(れいさい)、御霊祭(ごれいさい、みたままつり)」です。中でも年ごとに行う儀式を「式年祭(しきねんさい)」と呼びます。式年祭では亡くなった翌年の祥月命日に一年祭を行い、年を重ねるごとに二年祭、三年祭と続けます。三年祭の次は五年祭、その次は十年祭となり、以降は十年ごとに五十年祭まで執り行うことが一般的です。
キリスト教の場合は、仏教の法要に当たるものとして、カトリックでは「追悼ミサ」、プロテスタントでは「昇天記念日」があります。カトリックでは亡くなった日から決められた日数で追悼ミサを行い、1年目の命日以降は各家庭で追悼ミサのタイミングを決める方式です。プロテスタントでは、亡くなってから1ヵ月、1年、3年といった区切りの昇天記念日に記念集会を行います。
宗教の違いはあっても、故人を偲び先祖に感謝しご供養を行うという習慣は、世界共通用のようです。
年忌法要では、卒塔婆を立てますが、卒塔婆・塔婆を立てるのは仏教式のお墓のみとのことです。仏教が生まれたインドでは、お釈迦様の骨を納めるために建てられた仏塔のことをサンスクリット語で「ストゥーパ」と言います。それが中国に渡った際に「卒塔婆」という漢字をあてられ、日本にもそのまま入ってきました。卒塔婆と塔婆に違いはなく、卒塔婆という表記を簡略化するためや別名として塔婆が使われています。
インドから中国、そして日本に入ってきた卒塔婆・塔婆は、時代とともに少しずつ変化してシンプルになり、簡素化が進みました。もともとは王族や権力者の墓塔として、三重塔や五重塔規模のしっかりとした絢爛豪華な建物が卒塔婆・塔婆になっていましたが、庶民には塔を立てるような土地も財産もありません。そのため、庶民でも作れる小さい墓石が普及し始め、卒塔婆・塔婆は用意や持ち運びが簡単な木の板にするという現在の仏教式のお墓が定着しています。
卒塔婆・塔婆を立てることには、追善供養の意味があります。追善供養は、亡くなった人の命日(一周忌や三周忌など)に法事を行い、生きている人が善行をすることによって、故人の善行にもなり、それが巡って自分に戻ってくるという考えです。小さな子どもに意味を聞かれた場合は、「亡くなった人へのお手紙」という表現にするとわかりやすいかもしれませんと解説されていました。
卒塔婆・塔婆は木の板でできていますが、先は尖っていて凹凸のある不思議な形をしています。これは五重塔をイメージした形状になっており、前述した卒塔婆の由来であるストゥーパという塔の歴史が長い間受け継がれていることがわかります。
五重塔は上から順番に空・風・火・水・地を表しており、卒塔婆・塔婆もくぼみごとに各属性を表しています。一般的には以下のものが卒塔婆・塔婆に書かれていることが多いです。
*戒名:仏門に入った故人に授けられた名前。*命日:故人が亡くなった年月日。*経文:書かれている内容はお墓などにより異なる。*梵字:空・風・火・水・地の意味を持つ「キャ・カ・ラ・バ・ア」という梵字に加えて、供養した日にちなんだ梵字が1文字書かれます。*施主名:卒塔婆・塔婆を依頼した人の名前。*供養年月日:法事を行い卒塔婆・塔婆を立てた日。*大日如来を表す梵字:卒塔婆・塔婆の裏面に「大日如来」を意味する梵字が書かれることもあります。すべてを記載するわけではなく、同じ仏教であっても卒塔婆・塔婆に記載されている文字や内容が異なることがあります。
卒塔婆・塔婆に追善供養の意味がありますが、立てたからといってずっと追善供養が続くわけではないそうです。立てたその日1日だけの功徳なので、法要やお墓参りが済めばその役目を終えて木の板でしかなくなります(初めて知りました)。そのため、自分たちで卒塔婆・塔婆を処分する場合はゴミとして出しても問題ありませんが、故人のために作った手紙に近い意味があることを忘れてはいけません。ゴミとして扱うことに抵抗がある場合は、お寺やお墓の管理事務所に依頼できることもあります。
卒塔婆・塔婆はお墓に行けば必ず目に入るものですが、当たり前にありすぎて風景の一部のようになっています。しかし、追善供養として、生きている人と亡くなった人を繋ぐ手紙というとても大きく大切な役割を持つもの。そっか~、母への「手紙」、応援メッセージなのですね。このことを知ったら、数年に一度だけの手紙で良いのだろうかと考え込んでしまいました。卒塔婆・塔婆に書かれている文字や形の意味を知り、その起源まで遡ってみると非常に長い歴史を経て現在の形になっていることがわかりました。
知ることは大切だね、今更ですが、こんなことを感じた年忌法要でした。これも、この年になったから見えてくる世界なのかも知れません。
お母様が天国に旅立たれてから12年が経つのですね。
きっといつの時もどんな時も、あの穏やかな笑顔で見守ってくださっていることでしょう。
卒塔婆のこと、よくわかりました。
『亡くなった人へのお手紙』って、とても素敵なお話ですね。
私も今度お墓参りに行ったなら、「読んでくれた?」と空を眺めてつぶやいてきたいと思いました。