宮城県被災地スタディーツアー
福島県立あさか開成高等学校の1,2,3年生徒及び教員が宮城県の被災地を訪れ、学びを深めて行きました。お話しを聴けば、本スタディーツアーは生徒の希望とのことでした。
福島県立あさか開成高等学校は、福島県立安積第二高等学校からに校名変更(1996.04)し、全日制国際科学科として福島県郡山市開校しています。
学校の合い言葉は「Keep Leaning, Keep Changing and Keep Smiling.」校長先生は、学校紹介の冒頭で次のような言葉を寄せています。『高校時代は、人生の中で心身ともに一番成長する「かけがえのない時代」であり、学習はもちろん、生徒同士や先生方、多様な人たちとの出会いと語らいの中に、未来を豊かにするヒントがあったりするものです。あさか開成高校で過ごす時間において、特に大切にしてほしいことは、自分の良いところを発見し、伸ばしてほしいことです。そのためには、いろんなことを学び続け、また、予測困難な時代(VUCAの時代)といわれるこれからの社会に順応するよう変化し続けることです。生徒たちが、目まぐるしく変化し多様化する時代を、より良く生活していくために、私たち教職員は、常に生徒の夢の実現に向けた良き伴走者として支援してまいります。』
今回の宮城県被災地スタディーツアーでは、この校長の期待や想いに十分応える内容だったと思っています。全プログラムは、「大川小学校」「南三陸町」「女川町」及び東松島市に於ける様々な取り組みを、実際に現場に立って、現場の方の言葉に耳を傾けています。
私が、直接関わった内容は南三陸町だけです。旧大川小学校から帯同しました。南三陸町に入って方は、3.11伝承館のラーニングプログラムを受けて頂きました。その際、特に震災時に被災者支援の最前線に立って指揮していた当時の南三陸町保健福祉課課長補佐に担って頂きました。その後の災害防災対策庁舎の案内は、現在語り部として活動している方で、震災時に生活支援員をしていた方にボランティアで語って頂きました。お礼の言葉を伝える生徒は、胸が詰まり言葉が出ないような状態でした。それを終えて、次には志津川中学校から志津川中心市街地を見下ろす場所で、まちづくりに関わる制度上の現状や課題などを私からお話ししました。宿までの途中で、五十鈴神社に立ち、当時の様子をお話ししました。大川小学校と戸倉小学校を分けたのは何だったのかを、自分たちなりに考えてもらいました。更には、戸倉の災害公営住宅及び近接する防災集団移転の住宅の様子。更には、集会所の位置や中層階で留めている災害公営住宅の理由なども説明しています。宿に着いてからは、近隣の震災時のまとめ役であり新たな集落整備に尽力された方のお話を聞いてもらいました。食事後は、私から震災時から今日までの被災者支援の内容やその意図についてお話をしました。宿について、食事をとってもらう時間を除いて21時頃までのハードなスケジュールでした。でも生徒達そして教員は、「大丈夫です、遅くなっても良いのでやって下さい」という姿勢でした。私は、こうした学びへの向き合い方にいたく感激しました。生徒だけではなく引率の先生方も素晴らしかった。学びに寄り添う教員とは、あのような姿をいうのだろうと思います。
私は、「被災者責任」という言葉をよく使います。これからの未来を築く子どもたちには、私達大人の責任ある行動が必須です。今回も「小さな親切大きなお世話」状態の南三陸町案内でした。いつもの私の「おせっかい」フルパワーでした。彼らの感想文が楽しみです。
福島県立あさか開成高校の『被災地スタディツアー』のご報告をありがとうございます。
生徒達が希望して南三陸町に学びに来てくれたことを知り、有り難く読ませて頂きました。
生憎の空模様が気の毒でしたが、私はどの写真からも共通して『感謝』のメッセージを感じました。
「お話を聴かせてくれてありがとう」
「一生懸命に聴いてくれてありがとう」
「美味しいおもてなしをありがとう」
「ながしずに来てくれてありがとう」
それぞれが感謝しながら学ぶ、感謝しながら受け入れるという姿は、そのうしろ姿でさえ美しいものです。
この若者達が、さらに「次の世代に繋いでいきたい」と言ってくれています。
なんて素晴らしい学びを得てくれたのでしょう。
素敵な若者達の訪問をご紹介頂いて、ありがとうございました。