結願のお礼参り
3月13日から始めた四国八十八箇寺歩きお遍路は、2023(令和5)5月1日に88番札所大窪寺を打ち終わり「結願」しました。50日に渡り、一緒に歩いて頂き有難うございました。その間、皆様方からの支えが、歩く力・歩く気力を持ち続ける原動力となりました。これまで使っていた「感謝」という言葉は、これまでとは全く違う意味合いで受け止めています。お礼という意味だけではなく「縁」や「一人の限界」そして「一期一会」といった意味合いが加わった言葉と感じています。
四国八十八箇寺歩きお遍路は、母親と一緒の同行三人でした。今更遅いのですが、親孝行の真似事で母を背負って八十八箇寺を巡拝しました。石川啄木『一握の砂』に「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」と言う短歌が有ります。私が背負った母親は124グラムと軽かったので、八十八箇寺全てを背負って歩けました。苦しい時は励まされ、気持ちもの良い遍路道は一緒に眺め、足首の痛さには「無理するな」と優しく諭され、ひたすら歩く私を見守ってくれました。親孝行するはずが、助けられた同行三人の歩きお遍路でした。
特段の定めはないようですが、八十八番札所を一つの輪になるように繋ぐために、1番札所霊仙寺に戻り結願のお礼をする習慣がいつしか出来ているようです。また、高野山に登り奥の院で結願の報告と御礼をする習わしがあるようです。私も多くのお遍路さんにならい1番札所霊山寺及び高野山奥の院を参拝し結願のお礼をしてから仙台に帰ります。ここでは、四国八十八ヶ寺歩きお遍路の締め括りとして、結願のお礼参りの様子を書きます。
『結願の翌朝は、これまでの50日とは勝手が違い、気持ちが軽いというか、「今日も歩くぞ!」のように自分を叱咤激励することも無く、肩の荷が下りた感じで理由もなくニコニコしていました』という文章を、「そうですよね、私たちも同じです」と思いながら読みました。
そして、この日は先生が歩かれる道中の風景をゆったりと眺めるような気持で、当時もそして今も読ませていただきました。みんなで手に汗握りながら本間先生の挑戦を応援し見守った日々は、とても得難い貴重な時間だったと感じています。
このような体験をさせていただいたことに私もありがたい気持ちでいっぱいです。それにしても、最高の形で「歩きお遍路」を終えることができたこと、本当に素晴らしいです。あらためておめでとうございました!
結願のお礼参りの様子を読ませていただきました。
これまでは,毎日,「お疲れ様でした」という1日の終わりの声がけでした。でも,お礼参りの1番札所霊山寺までは45.2キロメートルもあり,一泊二日でのお礼参りでしたが,私もこれまでの50日とは全然違う「安堵感」に包まれました。
ほかのみなさんも同じではなかったのでは・・と思います。
結願の翌朝,1時間ほど歩いて振り返ったときの真っ青な空の中に見えたと言う88番札所大窪寺がある濃い緑の山,それを仰ぎ見たときにこみ上げるものがあったというのも,同じように涙が出そうな感覚になりました。また,9時間かけて6番札所安楽寺に着き,二回目泊まったお宿が全てに落ち着いて身体と心の全部で堪能できたという感覚もとてもよくわかるような気がします。
お礼参りの二日目は時間的な焦りなどなく、途中、真新しい白衣に身を包んだ歩きお遍路さんたちに「おきをつけて」と言える余裕まで出ていたのですね。それはそれは頑張って,1日も休まずに50日間歩きお遍路をやり遂げた人こそが言える心からのお言葉だったと思います。
88ケ寺が繋がった1番札所霊山寺でいただいた,結願報告の際だけにいただく特別の御朱印に書いてあった『ありがたや 高野の山の岩かげに 太師はいまだ おわしますなる』とは,『ああ ありがたい 高野山の奥之院には今だに弘法大使様がおられ,私たちを見守りおすくいくださるのだなあ』という意味のようです。
先生は,さまざまなところで御大使様に見守られ,救っていただいておりましたよね。そして,たくさんの人が応援をしてくださっていたと思います。
『八十八箇寺巡拝の目的は、これまでにお世話になった方々への御礼と感謝を伝えること、そしてその方々へ、御仏様、お大師様のご加護をお願いすることでした』とありました。
これからは,時々でいいので,先生を毎日手の汗を握りしめながら応援してくださったみなさまのお顔を一人ひとり思い浮かべ,見守り,救っていただけたらなぁ・・と,願望を含め,願わせてもらっております。
四国八十八ヶ寺歩きお遍路を50日かけて無事結願し、そのご報告に1番札所霊山寺への御礼参りとは最後まで抜かりのないお遍路さんです。
一番札所の位置づけから、そこにはこれから歩き始める初々しいお遍路さんがお参りの作法もおぼつかない不安げな様子で立つのでしょう。
その同じ場所に、ついに結願し見るからにボロボロになった、でも真っ直ぐな眼差しのお遍路さんが立つ。
きっと、結願を叶えられずに帰路につく方も多くあることでしょうから、50日間の修行の日々を終えて来たお遍路さんを迎える札所の方々には万感の想いがあるのではないでしょうか。
一番札所から八十八番札所までをひとつの輪に繋ぐことは、実に大事な行為だということがわかります。
終わり良ければ全てよしとはこの様なことを言うのですね。
この度、お遍路の一から十までを見せていただいたことで日々の暮らしにも通じる大事なことを沢山教えていただきました。
有り難く心に刻んでおきます、ありがとうございました。