住民自治の先駆者逝く(立古守男さん)
宮城県富谷市成田地区で行われているNaritaマルシェとの関わりに中で、何かと学ばせて頂く機会の多かった、立古守男さんが8月25日に急逝されました。若すぎる77歳での旅立ちです。故立古守男さんは、住民自治にご尽力された功績を称えられて、平成30年秋、叙勲『旭日単光章』(地方自治功労)を日本国天皇から授与されています。
富谷市は、宅地造成で年々人口を増し住民自治のニーズも増して来ていることから、故立古守男さんは、町内会(住民自治組織)の創設に尽力されたのです。寄せ集めの新興団地での自治会設立はさぞかし大変だっただろうと、想像するに余りあります。奥様は、「どうしたらよりよい地域になるのか、よりよい小中学校になるのか」を常に考えていた。そして「幸せに出会ったら、それを独り占めするのではなく、みんなと分け合って喜びを感じる」そんな人だったと振り返っています。
Naritaマルシェ(宮城県富谷市成田地区)代表増田恵美子さんから聞いたことがあります。増田さんは、「東日本大震災が起きた時、不安や心細さを抱えながら、互いに声をかけあい、情報を伝えあい、励ましあい、おもいやりあって過ごしました。お互いの関わり合いが、何よりも心強かった。あたりまえの日常でも、そんな繋がりが必要だと思い『お互いが支え合う、温かい地域にしていきたい』そんな切実な願いがわきあがりました。」と語り、この様な想いを持って真っ先に相談したのが、当時、町内会長をしていた故立古守男さんだったと。
故立古守男さんの全面的な賛同・バックアップ、そして長年の友鈴木郁子さんとも意見交換し、東日本大震災の翌年2012(平成24)年2月にNaritaマルシェを立ち上げたのです。コンセプトは、住んでいる地域を「良いところだ」「住んでよかった」と感じられるような楽しく有意義なイベントや温かい交流の場を提供する。故立古守男さんは、願ったりの活動とさぞかし微笑んだことでしょう。そして、気合いある毎にご夫婦で参加していたのです。
Naritaマルシェの活動に参加しているときに、故立古守男さんに町内会(住民自治組織)の話を振ると、Naritaマルシェ活動のお手伝いをしているときとは打って違う顔で、切々と町内会設立の意義と運営の難しさを語ってくれました。今更ですが、もっともっとお話しを聴いていたかったと悔いるだけです。
訃報を聞き動揺が収まりませんが、今日(8月29日)お通夜の参列して現実を受け止め、今は故人のご冥福をただただお祈りするだけです。故立古さんの遺徳を忍びNaritaマルシェ活動での様子を掲載します。合掌
本間先生、立古さんのことをお伝えいただいたことに心から感謝いたします。またお通夜にご参列いただき、終わった後もさらにご遺影の前でお経を唱えてくださったことにも深く感謝申し上げます。
どの写真もすべてありありと目に浮かぶ光景で、むしろこちらの方が現実、という感じがします。私たちの地域のためにどれほど骨惜しみなく尽くしてくださったかわからない。そのバトンはとても一人で受け取れるものではない。全員がほんの少しずつでもいいからバトンを受け取ってもっと良い地域にしていくことが一番の恩返し、と思っています。
すぐにでもコメントを、と思っていたのですが、写真を見ているとなかなか言葉にならずにいました。今日、Naritaマルシェのイベントがあり応援し支えてくださった立古さんへの恩返しと御礼にするための一歩、という気持ちで過ごしてきました。大盛況となったこと、イベントの間は晴れていたこと、立古さんの応援もあったのではないか、と思っています。
私なりにバトンを引き継いでいきたいと思います。ありがとうございました。