不器用な生き方(2004(平成16)年を振り返って)

20年前に書いた私の一年を恥ずかしながら公開します。笑ってしまうような、ガッカリするような、いずれにしても、当時から20年経っているのに成長の跡が見られない。なんともトホホな人生を送っている私です。ご笑読下さい。

1月 なんといっても,共生型GH「ながさか」での生活が開始されたことが第一に挙げられる。ようやくと言っていいのか、待ちに待ったと言えばよいのか複雑ですが、約10ヶ月の準備を経てここまで来たことに安堵の気持ちを持ったことは確かでした。

2月 7日には秋田でユニットケアの勉強会があり、久々に黒澤さんと会えたことが印象深い。彼は、会場のホテルで待っていてくれた。大手術をしてだいぶ痩せていた。特別な絆を感じる。風の便りでは、少し元気を取り戻しているという。暖かくなったら会いに行きたいと思っている。

3月 17日、18日、23日、30日と高齢者福祉や共生型GHに関するお話をする機会が多かった。19日には定期人事異動の内示があり,創設されたばかりの「地域生活支援室」がなくなり,地域福祉課として再編されることになった。とても複雑な気持ちで組織改編のただ中にいた。プロジェクトMを3年でものにするのが私の仕事と思って邁進してきた。それが1年で・・・・。

4月 厚生労働省から割愛の課長を迎え、新しい組織(地域福祉課)で仕事に取り組む。わからないことばかりの毎日だった。毎年恒例の横浜探訪は、日程が取れず実行できなかった。先が読めなくて日程を決められない、致し方のない現実。でも行きたかった、飲茶したかった、残念だし相手に申し訳ない。

5月 待ちに待ったキャップだホイ!ゴールデンウイーク後の年休を一日取って2泊3日の日程でキャンプに行く。何をするわけではないが、キャンプは楽しい。天ぷら粉物語は心に残るエピソードだ。また、27日には、厚生労働省で未来志向研究の発表会があった。ここでは痴呆ケアの専門家から「混合処遇」と称され、さんざん叩かれた。しっかりしたデータの蓄積が必要であることを思い知らさられた。12日、17日、29日は高齢者ケア、痴呆ケアそれに共生型GHについて講義した。

6月 議会の真っ最中に54歳になった。タダ、飯を多く食ったと言うだけの54歳。反省する時間を持たないまま時を無駄に過ごしている感じがある。もっともっと学ばないと。気仙沼地域で初めての個室・ユニットケア型特養の落成式に先立つ学習会に出席した。翌13日には、一緒に働いた仲間の結婚式が花いっぱいの庭園の中で執り行われた。町対抗お祝い合戦の構図だった。もし、今私が結婚するとしたら、あんなに同僚が来てくれるのだろうか。きっと寂しい結婚式になるだろうなと思ってしまった。

7月 自分の中では、介護保険は全く機能していない。明治、大正を生きてきた親にとっては、お上の世話になることは耐え難いことなのだろう。このような世代を生きてきた人に対する公的サービスはどうあるべきなのか考えさせられた。多分、私も拒否するだろうと思う。デイサービスに試しに行って10分と持たなかったという。自分を保とうとする人にとってはこれが限界だろう。親のためにも、自分のためにも変えなくては。

8月 週末のほとんどが学会発表の資料作りに追われている。施設や自宅等に籠もってデータ処理をした。27日は、日本ヒューマンケア学会(東北学院大学)、翌月には日本痴呆ケア学会が迫り、それの準備に追われている。夏休みなのだが、ほとんどがこれに費やされているようだ。そんな中で地域福祉フォーラム(21日)に参加する等、慌ただしい日々を送っている。そうはいっても,仙台の伝統的なお祭りである七夕見物に出かけるなどの時間はほんのチョットだがつくれている。

9月 この月は、何と言っても第五回日本痴呆ケア学会の発表が大きな出来事である。これまでにないほどデータ処理に時間と労力を必要とした。周りの方々にもいっぱい協力して頂いた。それとは裏はらに、論点を絞れない苦悩の日々でもあった。想定していた内容と結果が大きく異なり、その理論的整理が大変だった。新しい課題が見えてきた発表であったことは確かである。でも、そんなことの積み重ねで、認知症ケア学会長賞である『石崎賞』というご褒美まで頂き素直に喜んだことが思い出される。

10月 国際アルツハイマー病協会国際会議2004in京都へ出席した。ポスター作りでは本当にお世話になった。また、配付する資料作りや翻訳等もあり出発当日まで慌ただしく準備していたことが思い出される。国際会議では1日だけのポスターセッションのはずが3日間通い詰めた。京都見物を企んでいたが結局何も出来ず帰ってきた。買いたかった帆布バックも店が閉まっておりダメだった。京都は,仏教大学の通信教育を受けていた時に、スクーリングで3週間程の期間滞在したことがある。それ以来の訪問のような気がする。今回の京都訪問では、その時の記憶と全く符合しなかった。いつも慌ただしくしか時間を過ごしていないからなのだろう。これからはもっと余裕を持った時間の過ごし方をしたいものだ。

11月 10月の後半から嫌な思いをすることが多かった。加えて,紀要への投稿原稿の執筆が進まずめいることが続いた。それでも,ホテルに泊まり込みで看取りのデータ処理をしたり、福祉まつりフォーラムに出たりと相変わらず時間に追われる日々が続き、心穏やか時を持てないまま、日にちだけが過ぎている。

12月 1年の締めくくりの月なのだが、これと言って特別の感慨はない。何となくだが、いつも不安を持って毎日を送っているような気がする。勉強会でも、何度か職場を訪問して依頼されたユニットケアの学習会も、2回行っただけで止まってしまった。何が難しいのだろうかと悩んでしまう。

 こうして個人的な時間の一年を振り返ってみると、学会発表や講義等に費やす時間が結構多いことがわかる。これらの時間が日々を忙しくしているのかも知れない。今年の大学院博士課程での学業上の成果は、日本痴呆ケア学会での発表だけで終わったしまった(日本ヒューマンケア学会や国際アルツハイマー病協会国際会議での発表もあるが研究上の業績になるかどうかは疑問)。社会学会での発表は今年も出来なかった。ここで行わなければ、論文発表の基礎資格も取れない。高齢者ケアでとどまってはいられないのだが、こちらの要請が多くて前に進めない。ここら辺で割り切って本来の研究に専念すべきなのだろうか。D5になる、後がなくなってきた。

 自分自身に納得できる時間の過ごし方をしないと、後になって必ず後悔することになる。小さなことでいいからキッチリとまとめることを心がけよう。今年の反省は、これに尽きるのかも知れない。「コツコツ君」でしか前には進めない。振り返ると、それすら行えていないことがわかる。歩みを着実なものにするためにも「コツコツ」小事を積み重ねる努力を根気強く行うしか方法はないのだろう。「今年こそ」を言い続けないようにしたい。

キャップダホイ!
若いね!
知事褒状

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

不器用な生き方(2004(平成16)年を振り返って)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 黒かりんとう より:

    先生,最後に書いてあった『自分自身に納得できる時間の過ごし方をしないと、後になって必ず後悔することになる。小さなことでいいからキッチリとまとめることを心がけよう。今年の反省は、これに尽きるのかも知れない。「コツコツ君」でしか前には進めない。振り返ると、それすら行えていないことがわかる。歩みを着実なものにするためにも「コツコツ」小事を積み重ねる努力を根気強く行うしか方法はないのだろう。「今年こそ」を言い続けないようにしたい。』は20年前の当時の感想ですか?

    「コツコツ」小事を積み重ねる努力って,何よりも大切なのではないかと思っています。
    学会とか研究とかそういうことだけでなく,暮らしている地域の中での「コツコツ」です。
    民生委員をなさっている先生は,すでに実践なさっているのではないでしょうか。
    20年前,いろいろな学会への参加やそれらの研究やまとめ,執筆作業,勉強会と実にお忙しかったんだろうなということが良くわかります。
    知事から表彰もいただいたのですね。それは何だったのですか?石崎賞ってなんですか?キャンプの天ぷら粉物語のお話も聴きたいです。
    決して,笑って読んだりなんかする人は誰もいませんよ。これらの学びの積み重ねが,今の先生なんだと思います。
    「やっぱり!」「わかるぅ~!」という声が,ほらあちらこちらから聞こえてきませんか?(笑)

    私も年を重ね,地域の中での「そんなこと~」と思えるような些細なことを大切にしていきたいと思っています。昨日の朝,まだ布団にいたら,地域の10歳年上の人から「ねえねえ,ホットプレート,平らないいやつ持っていない?〇〇さんが薄焼き卵を作りたいんだって!」と電話が来ました。若い頃なら面倒くさ~と思っていたかもしれないけど,なんかそんな電話がもらえる関係性って幸せだな~と思いました。

    それにしても先生,若い!ネクタイ姿,かっこいいです。
    いや,もとい!先生,変わりませんね!(笑)

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