沖縄県・慰霊の日(6月23日)

沖縄県では、今年で79年となる太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」が6月23日に行われ喪に服しています。この日は、旧日本軍による組織的な戦闘が終わった日とされています。

沖縄県では、太平洋戦争末期に県民を巻き込んだ地上戦が行われました。昭和20年4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員が沖縄本島に上陸を開始しました。ここから約3~5ヶ月にわたる沖縄戦が始まりました。この沖縄での戦闘は、6月23日未明に第32軍の牛島司令官と長参謀長が糸満市摩文仁で自決したことにより、組織的戦闘は同日に終結したとされています。この約3~5ヶ月の間の戦闘で亡くなった日本兵及び一般住民の方々は、一般住民約10万人を含め約20数万人といわれています。

敗戦が色濃くなってからは、バンザイ突撃や特攻作戦等々の断末魔状態で、多くの人々が、飢えに苦しみ、傷つき、命を亡くしました。私たちの今の生活は、こうした人々の礎の下に成り立っていることを忘れてはなりません。一人の死には、母・父、妻や子どもたち、更には多く親族が関わっています。一人の死は一人だけのことではなく数十人の悲しみであることを知る必要があります。

最後の激戦地は、糸満市摩文仁(まぶに)。軍は壊滅し、岬の戦場に取り残された一般住民は悲惨でした。ある者は手榴弾などで自決し、喜屋武岬の海岸線では、追い詰められた県民に自決以外に残された道はなく、多くの人々がこの崖から飛び降りて自らの生命を絶っています。終戦に関する報道では何度も見る凄惨な映像です。

1945(昭和20)年8月14日ポツダム宣言の無条件受諾を決定し、翌日8月15日に昭和天皇による玉音放送が行われ、日本国民は敗戦を知らされました。1946(昭和21)年1月29日に沖縄・宮古・八重山・奄美の行政権が日本から分離され、連合国の下で統治されました。1952(昭和27)年4月28日サンフランシスコ講和条約発効により沖縄が米国施政権下に入ります。私が2歳(昭和25年生まれ)の時です。それ以降、沖縄県は、1972(昭和47)年5月15日沖縄の日本復帰まで、20年間も米国の統治下に置かれました。

先日、アマチュア無線で沖縄県の竹富島の方と交信したのですが、その時、東北地方はお酒と言えば「日本酒」ですが、九州・沖縄方面の方は「焼酎」と聴いていますが実際はどうなのか聞いてみました。そうしたら「泡盛」がよく知られていますが、実は「ウイスキー」がよく飲まれていると言います。始めて知ったことでした。米国の統治下にあったことが影響しているのかも知れません。

今、半藤一利『日本で一番長い日―運命の八月十五日―』文藝春秋.を、終戦の日までに、当時のことを知っておこうと読んでいます。敗戦が濃くなってきたことから、ポツダム宣言、原爆投下そして玉音放送まで、時系列的に当事者の実名で克明に書かれています。

これを読んでいると、「止めること」「決断すること」の難しさを改めて突きつけられます。戦局が悪化しているのにも関わらず、止めることの判断ができず、「後退」を「転進」といい、死ななくても良かった多くの人々が命を失われていきました。私自身も、「何となく」や「ズルズル」といったことがないわけではありません。私の意志の弱さは判断力の脆弱さがそうした振る舞いの下になっていると考えています。また、周りを見ていても、なんでそこまで付き合っているの、と感じるようなことが多々あります。様々な事情があるのでしょうか、結局うやむやになってしまい、大人の付き合いになってしまう。よくあるパターンです。

自分の意に沿わないこと、あるいはチョット引っかかりがあることに、大切な時間を付き合わせるのは、余りにももったいない。もっと自分の大切な時間を自分の志に沿って使ってもらいたいと思います。やりたいこと、しなければいけないことは沢山あります。しかし、持てる時間には限りがあります。でも、残念ながら、そうしことをしているという自覚がない人や八方美人を良しとする人には、こうした言葉は通じない。

残された時間を自分らしく生きようとしたとき、こうした振る舞いは決して良いことではないなって思っています。自分らしく生きるためには、ズルズルした成り行き任せの優柔不断な姿勢を改め「止めること」「決断すること」、そして「必要なことは何か」をよくよく考え、その為に限られた時間を使うよう、もっともっと意識した方が良いのだろうと、この本を読みながら思っています。断捨離は物に関してだけではなく、時間の使い方や向け方にも通じる行為だと思います。あと半分、自分に照らしながらじっくりと読み進めたいと思っています。

wp-17193185454176790752620406621753

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

沖縄県・慰霊の日(6月23日)” に対して1件のコメントがあります。

  1. いくこ より:

    今朝、朝食に沖縄産のパイナップルを食べました、甘酸っぱさのなんと美味しいことでしょうか。
    先週は沖縄出身の方手作りのサーターアンダギーを食べ、昨日は宮古島のマンゴー、何だか沖縄のおいしいものが続くなぁと思いながら、辺野古のことや米軍基地のことに想いを馳せていました。
    先人たちの存在を忘れずにいたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です