去年も書きましたが今年も書きます

今朝の河北新聞です。宮城県教育委員会が、旧大川小学校で新任校長の研修会を開催したと様子が取り上げられています。みなさん、掲載された写真をよく見て下さい。犠牲になった児童のご遺族の話を、中腰の姿勢で聴いています。こんな聴き方で、ご遺族の声に心を寄せられるでしょうか。昨年も全く同様の受講の様子でした。

宮城県教育委員は、このようなやり方で、失った尊い命を教訓として活かし、子どもたちの命を守る責任を持ってもらうことを学ぶ場になると考えているのでしょうか。私は、ご遺族の言葉をしっかり受け止められるような環境を整える必要があると考えます。近くにある伝承館にパイプ椅子100脚を備えるだけで良いのです。そんなこともできないのでしょうか。その程度のことすら考えない程度の研修会なのでしょうか。

私は、ご遺族にもそして旧大川小学校からしっかり学ぼうとしている新任校長にも、大変失礼で申し訳ないと思うのです。この新聞を見て、研修企画者は気づいて頂きたいです。担当者の良心に期待したいです。そして、その様な自浄作用のある宮城県の教育機関であると信じたいです。

みなさんにお願いです。本当は、違法なのですが、河北新報電子版のコピーを右欄に掲載しています。よう~く見て下さい。そして考えて見て下さい。

河北新報朝刊令和6年6月14日(金)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

去年も書きましたが今年も書きます” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    昨年も「旧大川小学校の校庭で新任校長研修」が行われたこと、その様子から受講者の聴く姿勢について本間先生から問題提起がありました。
    私は今回の記事を見て、昨年のものを再掲載したのかと錯覚してしまいました。

    私も今年3月にようやくあの校庭に立ちました。あの惨たらしい姿の校舎と体育館と、綺麗に整備された花壇や周辺の広場に大きなギャップを感じて胸苦しく、足がすくむ様な絶望を感じてきました。

    あの場所でご遺族のお話を聴くことがどれほどの苦しさを伴うものなのかと、考えただけで震えがきます。
    それでも私もお聴きしたかった、心からそう思うのです。

    この研修の意義は、これ以上大切な命を失うことが無いように、更に教育現場の危機管理意識を研ぎ澄ますことに繋がるものでなくてはなりません。
    失われた尊い命のお話を聴かせて頂くために、じっくりと腰を据えて聴く姿勢は大事なことです。
    もしかしたら椅子に座って安楽な姿勢と映ることを恐れているのでしょうか?
    それならばその場で体育座りでいいのではないかと私は思います。
    最も大事なことはしっかりと心で聴くことで、その真摯な気持ちが姿に表れるのだと思います。

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