空海に会いに行きました
四国八十八ヶ寺歩きお遍路から、もう1年が過ぎています。お遍路経験者には、「お四国病」に罹患する方が多々いらっしゃると聞きます。春、菜の花が咲く頃になると、何となくそわそわし出し、四国路に行きたくなるのだそうです。繰り返し、四国八十八ヶ寺を巡拝するお遍路を行い、白の納め札(1~4回)から青(5~7回)、赤(8~24回)、銀(25~49回)、金(50~99回)と納め札の色を変え、錦の納め札は100以上結願した方が使えるそうです。
私は、福島のおせっかいさんからの勧めで、「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」紀行を毎週1日分書き進め、現在で4月14日(33日目)迄書き進めたところです。その様なこともあって、1年間前のことが遠くに感じたり近くに感じたりし、その都度弘法大師空海さんが、頭をよぎっては「修行を怠るな!」とささやいて行きます。四国にまた行きたいと思うようなことはないのですが、スーパーでみかんを見れば「小夏」はないかと果物のコーナーをうろうろしたりしてしまいます。
そんな時、テレビで空海の生誕1250年記念特別展が奈良国立博物館で開催されているということを知りました。国宝30件、重要文化財60件が展示されています。空海と再会するまたとないチャンス。即決で1泊2日の強行日程で奈良行きを決めました。
さすがに2日間丸々空海三昧とは行かないと思い、以前から気にはしていた、日本最古の古道と言われている「山の辺の道」を歩き、一度テレビで見たことのある、京都清水寺の舞台のような場所から四方の仏神に祈りを捧げる場所に立ってみたいと思い、西国八番大和国長谷寺(はせでら)参りも計画しました。
朝一番の飛行機で大阪伊丹空港に飛び、バスや電車で「山の辺の道」の最も一般的なコースの出発点となっている「桜井駅」に降り立ち、2コース合わせて7㎞程歩きました。途中、日本最古の神社「大神神社」を参拝しました。ご神体は拝殿の後ろの三輪山なので本殿はありません。大和の一宮と言うことで、古代からの祈りの場という面影を残す神社でした。
山の辺の道を歩いていると至ることころに「三輪そうめん」という看板や三輪そうめんを食べさせてくれるお店がいっぱいありました。宿泊した宿にもありました。なんと「三輪そうめん」はこの地の特産品だと言うことです。また、そうめんは「素麺」と書くことをも知りました。試しにと食べてみましたが「旨い!」なかなかです。白石うー麺(温麺)の強敵です。
またまたラッキーなことがありました。宿に着いたら、明日拝観を予定していた長谷寺で、朝の勤行に参加できると言うことを教えて頂きました。更には大観音の特別拝観が有り、足下まで行き大観音の足を触れるというのです。これは乗るしかないと、宿にお願いして早朝送って頂くことにしました。翌朝は、例によって大雨です。雨の拝観は、四国八十八ヶ寺歩きお遍路でなれています。どうって言うことありません。あの舞台からの奉拝が見られるのですから。
長谷寺の勤行は、それはそれは荘厳なものでした。ご住職の他に10人ほどの修行僧がおり、全員での読経は想像を遙かに超えて、厳かあり力強くもあり、僧侶の声と太鼓の音が身体と心に響いてきます。その後、テレビで見たことのある舞台のような場所から山々の仏神そして弘法大師にも祈りを捧げるのです。私たちも僧の指示に従って右左と身体を向けて手を合わせました。読経が終わったあとにご住職が参拝者に向かって挨拶をします。「おはようございます」がもの凄い大きな声で、堂内を越えて境内に響き渡るようでした。朝の勤行を終えてから、奈良国立博物館に向かい、いよいよ空海と1年ぶりの対面です。
奈良国立博物館では、拝観チケット買うのに1時間も並ぶ盛況でした。展示場は、第1章「密教とは」空海の描いた世界、第2章「密教の源流」陸と海のシルクロード、第3章「空海入唐と恵果との出会い」胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅、第5章「金剛峯寺と弘法大師信仰」となっており、国宝及び需要文化財が目の前に展示されていました。
特に印象深かったのは、三つです。其の一つは金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅です。共に国宝で平安時代(9世紀)のもので、くすんではいましたが微かに金で描かれている仏の姿を見ることが出来ます。とても大きく迫力があります。弘法大師空海は、密教の教えを言葉で伝えることは難しいので絵にして伝えたと言います。今で言えば「模式図」で教義を伝えたと言えるでしょう。この大きな両界曼荼羅の前で切々と心の平穏を訴えたのでしょうか、前に立っているだけでその時の熱さを感じるようでした。
其の二は、中国密教の大成者不空から恵果そして空海に伝えられ、唐から持ち帰ったという金銅密教法具五鈷杵(ごこしょ)と五鈷鈴(ごこれい)です。いずれも金メッキが施され、当時の輝きを今に見ることが出来ました。これも、国宝で9世紀のものです。弘法大師の座像でよく見られる、胸の前で右手に持っているのが五鈷杵です。どのような意味を持つデザインなのかは分かりませんが、これを含む様々な法具を使い祈りを捧げた姿を容易に想像できます。場の雰囲気なのでしょうか、目に浮かんでくるようでした。
そして其の三は、空海が死期をさとって書いたという書「弘法大師遺告」です。絹本に墨書したものです。ここには、自分の生い立ちや修行の時の様子などが書かれています。なかなか、読めないのですが、重要な所に註の形で解説がありました。その中で、室戸岬の24番札所「最御崎寺」のほど近くにある御厨人窟(みくろど)で虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「虚空蔵求聞持法」の修行をしている時に、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできて、悟りを開いたとされていますが、その時の下りが書かれていました。其の場所に私も立ったのだということの重みを、「弘法大師遺告」を読みながら感じ取れたのです。1300年の時の中に私も立てたのです。感動です。
わずか1伯2日の再会の旅でしたが、改めて四国八十八ヶ寺歩きお遍路を思い出し、自らの振る舞いを律する良い機会になりました。
おはようございます。
元 奈良県生駒市在住の栗原市民です。
と 言ってもまだ若かりし20代の頃
3年間ですが!
奈良と弘法大師様が繋がるとは!
再会された事は、一年前に無事 結願するように祈り、応援していた方々にも、嬉しい知らせですね。
さて、話題は三輪そうめんの事です。
現地で召し上がった、美味いとの素麺は、
夏に定番で食べる 冷やし素麺ですか?
それとも 温かい出汁に入った素麺ですか? 後者の温かいものであれば、
それは、『にゅうめん』と言うんです。
同じ素麺でも、温はにゅうめん。
奈良では普通に食べる定番メニューで、
お店のお品書きには、にゅうめんとあったはずです。
わずか3年の奈良暮らしは、毎日が観光気分でした。奈良のお土産は、奈良漬けもありますが、私が好きなのは柿の葉寿司。
空海のお話しから、食べ物の話題となり、
失礼を致しました。
今回の内容を読み、毎日 近鉄電車に乗り大阪に勤務していた若かりし頃を思い出しました。
大阪と言ったら、551の豚まん。
これは本当に美味い 思い出の一つ。
やっぱり 食べる話しで終わり!
「空海に会いに行きました」というタイトルがいいですね。本間先生と空海・弘法大師さまとはしっかりとしたご縁で結ばれているように感じました。
また、歩きお遍路中の「ご加護」がここでも発揮され、ラッキーなことがあったとのこと。お写真からでもその素晴らしさが伝わってきます。それらを見ながらもっともっと日本の風景を大切にしたいなあ、と思いました。手つかずにしても荒れてしまう里山。どう自然とつきあい、良い関係を築いたらいいのか・・・そんなことも考えました。
奈良国立博物館では、お遍路をなさった方にしかわからない深い感慨があったことと思います。どんなことも百聞は一見に如かず。「お四国病」というのがあるとのことですが、本間先生は1回で十分な濃い日々を過ごされたと思います。こうして折々に、弘法大師さまと触れ合ことで、あの日々がさらに深く刻まれていくことでしょう。
私はぜひ「弘法大師遺告」の実物を見たいと思いました。
「福島のおせっかいさん」の勧めによって始めたという「お遍路紀行」は、挑戦するとしないとでは、雲泥の差が出てくると思います。あの「おせっかい」を心から感謝する日がくるに違いありません。
これからも楽しみにしています。