ひたすら歩いて体感した「修行」の意味(4月7日26日目)

宿を出て直ぐから急勾配の下り坂です。それ以降は、緩い勾配はあるものの、ほぼ平坦な国道又は県道でした。一日中雨降りの中でスマホを濡らしてしまい、充電が出来ない状態になってナビも使えず、3〜4km毎に通りかかった方に道を教えてもらいながら歩きました。この為、事前のデータに基づく距離よりも遥かに長い距離になってしまい、歩いても歩いても距離が縮まらない感じでしたが、何とか39番札所延光寺に辿り着きました。

修行の道場最後の霊場39番札所延光寺本堂

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

ひたすら歩いて体感した「修行」の意味(4月7日26日目)” に対して2件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    26日目もお疲れ様でした。

    一日中雨降りの中,歩いても歩いても距離が縮まらない状況で,3日目にしてやっとたどり着いた「修行の道場」最後の霊場39番札所延光寺。思わず,ため息が漏れそうになりました。

    スマイルさんも写真でご覧になったという,竜宮から赤い亀が背負って持ち帰ったという小さな梵鐘,高知県庁に運ばれ、県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされたとのこと。それはどこかにつるし,撞木で打ち鳴らしたのでしょうかね。想像すると,とてもカッコいい感じがします。

    仏教の教えの「四門」のとらえ方は,なるほどな~と思いました。徳島県の三つの遍路転がしの時も固唾を呑みながら見守ることしかできませんでしたが,今回歩き切った高知県は札所は少ないものの,長い距離を歩く正真正銘の修行の場,なぜか雨風の日も多く(あっ,先生は雨男でしたっけ?),そしてまさかの捻挫と言うアクシデントにも見舞われたのに,本当によく歩き切りました!いったんここで花束贈呈でもしたい気持ちでいっぱいです。

    そして,先生が明日を考える余裕を持てないほどの過酷さと向き合ったことで,先生なりの受け止め方ができたという『感謝の意味』がとても勉強になりました。
    『他者に対する感謝は、お世話になったことへのお礼だけではなく、お礼と同時に前に進む力を沸き起こさせて頂いている』本気で心から感謝している時の心境って,確かに前に進もうと言う気持ちが湧き上がっている,そう感じます。言葉にしていただき,とってもスッキリとした気持ちになっています。ありがとうございました。

    あと約半分の歩きお遍路,『今だから見える新たな世界に遭遇する旅』に期待しています。
    明日も頑張ってください。

  2. スマイル より:

    竜宮から赤い亀が背負ってきたという梵鐘、なんとロマンがあるのでしょう!お遍路をなさるとお聞きして購入した『巡る楽園』という四国八十八カ所の写真集の中に、その写真がありました。梵鐘の風情にはハッとさせられるものがあります。そこに刻まれている文字の素晴らしさも。おかげさまで、こうしてここにいながら世界が拓けていくことをありがたいなあ、と思います。

    また過酷な日々の中で体感されたという「修行」の意味、『明日を考える余裕を持てないほどの過酷さと向き合うことは、感謝の意味も変えました。他者に対する感謝は、お世話になったことへのお礼だけではなく、お礼と同時に前に進む力を沸き起こさせて頂いているのだと気づかせてもらいました。「感謝」とは、新たな力を奮い立たせてくれる機会を頂くということなのではないかと。』という箇所を読み、頭でわかることと、体と心で実感することは全く別次元のものだと感じました。そして後者のみが体と魂に刻まれるものとなり得るのではないかと。

    同時に「歩きお遍路」を体験しなくても、きっと人はもっと細胞レベルで「感謝」や「恩恵」を感じ取れるように本来はなっているのではないか、とも思い、少しでもそういう感性を取り戻せるような暮らしをしたいとも思いました。

    いつもありがとうございます。

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