疲労回復と難所(遍路ころがし)に備える(3月17日/5日目)

昨日までの急峻な登り坂と長い下り坂で傷んだ足腰を休める軽めの行程です。でも、何か昨日の足が止まった方のことが気になりながら、15番札所国分寺から17番札所井戸寺までの3霊場を巡拝します。

15番札所國分寺

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

疲労回復と難所(遍路ころがし)に備える(3月17日/5日目)” に対して8件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    コンビニの駐車場で休憩しているテーピングだらけの足の写真を以前も見ましたが,以前よりももっとその大変さを感じています。だって,まだ5日目ですよ。なんだか私も昨日までの傷んだ足腰や膝の回復に長い時間をかけていたような気分になっていました。「足の裏がヒリヒリするよ~」と悲鳴をあげています(^^;)。

    どんなに平坦な道だとしても,膝の感覚が無くなるような痛みで歩くことを断念した経験がある私は,ただ黙々とだとしても6時間歩いたことがすごいなと思うのです。これまでの中で一番短い距離,時間だとは言え,宿にチェックイン時間のだいぶ前に着いてしまったとは言え,6時間歩いたのです。身体を休ませるために,少しお金を払ってでも早めに部屋に入ったのは大正解だったと思います。小さなお風呂でもまだ日が高いうちに入れて,本当に良かったです!

    16 番札所観音寺のお話,いいですね。こじんまりとした佇まいの中に何処か歴史の重さを感じるお寺さん。『そこに立つと親しみの中にも歴史の重さや幾年もの間住民の想いを受け止めて支えてきた祈りの声が「心に沁みてくる」空気感のある場が私は好きです 』という,先生の言葉でその空気感をなんとなく感じることができました。

    17 番札所井戸寺の,弘法大使が一晩のうちに井戸を掘って,たちまち清水が湧き出たというお話も面白いですね。私はそこの井戸水にはなんとなくご利益があるように思います。最近,指がしわしわになってきたので『もっとお水を飲みましょう』と言ってくれたおせっかいな友達がいたので,ぜひそこのお水をたくさん飲みたいなと思いました。すべすべの指先になるような気がします!気のせいでもいいんです。そのように信じる気持ちが大切なのかな~って。

    先生の『歩き遍路をしていると、自分の体を別の存在のような感じて扱っている自分に驚きます。』という感覚,私はまだ体験したことがありません。そこまで頑張ったことがないのか,まだまだこころと身体はひとつになっていて,こころと身体がお互いに励まし合っている感覚はないのです。でも,阿部優さんのコメントを読んで,自分の身体を客観的に想うことができて嬉しかったです。それが”こころ”なんですね。

    足が止まってしまった方を目の当たりにして,様々なことを思ったと思います。
    でも,さあ,先生の明日はどんな風景,人々との対話そして自分との対話に出会うのでしょうね。とにかく今夜はたっぷりおやすみください。
    また,明日!

  2. スマイル より:

    本間先生のお遍路報告は、これから挑戦しようとする人にとっては何よりわかりやすく、すべての道のりがイメージしやすい手引書になっていると同時に、歩きお遍路の体験が心にどんな影響を与えるのかを知りたい人にとっては素直に心に染み入り納得のいく体験談であり、歴史を知りたい人にとっては景色を心に浮かべながら学べる資料であり、そのいずれでもなくても、日本人であればあちこちに琴線に触れる表現が散りばめられている、という、本当に素晴らしい紀行文になっていると毎回感じ入っています。
    『いつしか、小さな窓から差し込むあかね色の夕日が沈み、代わりに影絵のように黒い平面となったビルを様々な色で浮かび上がらせる繁華街の夜景になっていました。』という一文は、なんとも素敵な表現だと感動し、この報告書は先生が撮影なさった渾身の1枚を表紙にしてぜひとも本にするべきだとあらためて思いました。

  3. 阿部 優 より:

    5日目、お疲れさまでした。
    今日は平坦な街中で、疲労回復の日。

    自然の中を歩くのとは違って、街中にいると現実世界に引き戻されそうで心配になりますが、本間さんは心と体と対話していました。心と体を俯瞰して第三者的な視点で自分をみている様子がよく分かります。僕も普段そうなので。

    ただひらすら歩くって、簡単なことではないです。ただ生きているってことも、簡単ではないです。普段の生活でも足も腕も、本当にいつも頑張ってくれています。内臓や脳なんて休日もなく死ぬまで僕のために働いてくれています。毎日お酒を飲む僕の腎臓は、人の3倍働いている。完全にブラック企業です。これでは離職されてしまうので、毎日感謝しています。そして、少しでもお礼がしたいのでサウナに行き、脳を休ませ、体を温めています。
    毎朝5時に起きて、日の出を拝んでから運動しているのも体のためです。いつもありがとう。

    『彼』が何故帰路に就いたのかは分かりませんが、心か体のどいらか若しくは両方に原因があったのでしょう。本間さんのとの違いは社会との関わりのような気がしています。
    Ime理論で学んだ、客我の影響を大いに受けたかどうかが違うのではないか。自分と向き合うことだけが修行ではない。これだと主我が独走してしまう。ここにヒントがありそうなので、明日からの旅も注視してみます。

    本日もありがとうございました。

    1. ハチドリ より:

      『内臓や脳なんて休日もなく死ぬまで僕のために働いてくれています』って、阿部さん、「そうよ!そのとおりよ!」と、読んでいてなんだか無性に自分の身体が愛おしくなって、涙がこぼれそうになりました。

      私もブラック企業と言われないように、あなたのおかげで今日もこんなにいい一日を送れましたと乾杯しながら(笑)、毎日感謝したいと思います!

      先ほど黄色に色づいた柚子をたくさんいただいたので、今夜は柚子風呂にゆっくり身体を浸からせてあげたいと思いました。

      1. 阿部優 より:

        ハチドリさん、コメントありがとうございます。よく、自分を大切になんて言いますが、この場合の自分って「こころ」が主体になっている気がします。実は「からだ」も大切にしてほしいと思っています。これに気がついて自分の体に感謝すると、体も応えてくれます。僕はここ35年程カゼもひきません。ゆず湯いいですね!

  4. いくこ より:

    5日目ありがとうございます。
    「身体と心は一体ですが別の存在、そんな感じがします」「明日は、自分の身体にどのように声がけするのだろうか」自分の知らない自分との出会い、それが一番興味が尽きずわくわくすることなのかもしれません。
    そうであるなら年を重ねることも死を迎えることさえも、面白いことなのかもしれないと思いながら読ませて頂きました。

    1. welfare0622 より:

      いくこさん、そうなんです。大変なこと、そして死さえも、そのことだけを見るのではなく、その訳を想像し考えてみると、目の前のことに何か意味がありそうに思えてきて、もしかしたら「面白いことなのかも知れない」「今だから見える世界なのかも知れない」と、知的好奇心に転換できそうにも思うのです。

      同じ困難なら、そのように受け止めた方が、対応する為の力も沸いてきそうに思えます。

      「達観視する」という言葉を聞くことがありますが、我々凡人はなかなかそういう風には考えられませんが、ものごとを違う角度から見てみると新たな発見がありそうだ、ということは何とかいけそうな気がしませんか。

      1. いくこ より:

        はい、何とかいけそうです!そのようにいきましょう!

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