山谷袋(さんや袋)・頭陀袋
2月15日の書き込みに、「さんや袋の用意もできたのですね」とあり、「さんや袋」って何?と思って調べて見たら、お遍路の時に持ち歩く小さなバックのことでした。私は、正式な名前を知らないまま手元に置いていました。教えて頂き有り難うございました。また、別名、頭陀袋と言うことも分かり、出立前に知ることができて助かりました。色々調べてみると仏教と深い関わりが有る名称で、とても面白いです。
山谷(さんや)袋は、経本や納経帳、数珠、線香、灯明など巡拝に必要な品をまとめて収納し、持ち歩くための、肩から掛ける白色の袋でお遍路さんの正装の一つで、別名を「頭陀袋」というそうです。
「頭陀(ずだ)」とは、サンスクリット語の「ドゥータ」を音写したもので、ふるい落とすという意味があります。仏教には、煩悩をふるい落とすための実践方法として「十二頭陀行」という修行があり、その十二の修行の中でも、最も代表的な修行が托鉢して歩く乞食行です。
後に、この乞食行を指して「頭陀」というようになり、この乞食行(頭陀行)の時、布施された物を入れるための袋を首にぶら下げました。頭陀行の時に使う袋だから「頭陀袋」となりました。
私たちが一般的に使う場合は、肩にかけて使うことが多のですが、僧侶が使う頭陀袋は首からかけて胸の前に垂らしています。この僧侶のやり方を「さんや掛け」と言うそうです。
さんや掛けは、まずザックを背負ってからさんや袋に両手を通して肩にかける。さんや袋のベルトは両脇の下を通り、上は首の後ろ(肩の上)でザックのショルダーベルト両方にかけます。このかけ方だと、さんや袋の重さは左右均等に、しかも重さはザックの方にかかるので、肩への負担が軽くなる。歩いてもほとんど揺れないそうです。さんや掛けが出来るようになると「お遍路さん」も一人前に見られるようです。私もまねしようと思います。
仏教の信者にとって重要な六つの修行を六波羅蜜といいます。その修行では、規律を尊び、施しを行い、努力を惜しまず、耐え忍び、落ち着きを保ち学ぶことが重要とされています。
施しには財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)という3種類の修行があります。法施は僧侶が念仏を唱えたり、教えを広めたりする修行のことです。無畏施は人の心の中にある恐怖や不安などを取り除き、安心させることです。財施は欲しいと思う心や恩にきせる心から離れて、お金や物を必要とする人に与える修行のことです。この財施こそ、頭陀袋が大きく関わっている修行です。
頭陀袋の「頭陀」というのは、衣食住に対する欲を捨てる修行で、人里離れた静かなところに住む、乞食を行うというように、定められた規範の中で暮らします。頭陀袋はこのような修行僧が経典や仏具などの必要品や、托鉢でもらったお金や食べ物などの施しものを入れる袋のことです。
頭陀袋とは、僧侶が托鉢をする際に首からかける袋のことですが、葬儀の際に死者の首にかけることもあるようです。葬儀で死者の首にかける頭陀袋には、三途の川の渡し賃として六文銭が入れられていました(私は今だ見たことがありません)。
亡くなった人の死後の世界での修行に旅立つという考え方のもと、頭陀袋がかけられるようになりました。このように僧侶と故人が同じ頭陀袋を首にかけているのは、両方とも仏教の信者で修行に行くという共通点があるからです。
また、頭陀袋は施しを含めて雑多なものが入れられる袋なので、死者が首からかけたとしても問題はありません。死者の首に頭陀袋をかけ、その中に三途の川の渡し賃を入れる風習は今も続いています。ただし、貨幣を燃やすと法律に抵触してしまうので、現在は六文銭に模したものを入れるようになりました。地域によっては、頭陀袋は五穀袋、ぬか袋、さんや袋と呼ばれることもあり、穀物などを入れる場合もあります。また、お米や近親者の爪や髪の毛を入れて死者に持たせる地域もあります。これらの慣習も、故人が死後の世界で修行するという考え方にもとづいていることがうかがわれます。
深いな~・・・。頭陀袋を首から下げて四国八十八ヶ寺歩きお遍路は正に修業だ。