母を思い出す「桃の花」
11月10日に書いた記事「『おせった』(おせっかい)をうける」の中で触れました「桃の花」。意外やいがい、結構知っている人がいるのだとビックリです。華の33年組はさすがに様々な情報を持っていると驚いています。
既に生産停止になっていると思っていたのですが、皆さんのお話を聴くとどうもそうではないらしい。カサカサのほっぺたやあかぎれした手に、優しくぬってくれる母親の優しくて温かい手。そんなイメージしかない「桃の花」が現存するのはとても嬉しいことです。
みなさんは、どんな思い出があるのでしょうね。
桃の花は、1953(昭和28)年に、日本においてハンドクリームいうカテゴリーで初めての製品が発売されたようです。桃の節句には実を多く実らせる桃があらゆる厄を払い、魔を防いでくれる事を願いひなまつりの行事が行われます。愛用していただく女性が末永く幸多からん事を祈って、ハンドクリーム「桃の花」が誕生したようです。
私の記憶では、ふたがピンクで、パッケージには日本髪の女性が描かれていたように思います。でも、違うのかな~・・・、オロナインH軟膏等と間違って記憶しているのだろうか?
そうそう、付けるとスースーするひび切れの時に塗る、小さな女の子が看護師の服装しているやつ。私は「メンターム」と覚えていたのですが、正式には「メンソレータム」?らしい。
どうでもいい、軟弱な記事で申し訳ないです。
オレンジジュースとかが好きなのでは?と思ってスタバに行ったら、ミルクとお砂糖をちゃんと入れてコーヒーを注文したお母様にびっくりした・・と、いつかホームページに書かれてましたよね。
見上げている白い花の木は「ヒメリンゴ」でしょうか?お花を眺めることができるお庭は憧れです。お母様の穏やかな表情がとてもとても素敵だなぁと思います。
1953(昭和28)年にハンドクリームいうカテゴリーがあったなんて驚きです。
末永く幸多からん事を祈って、私もハンドクリーム「桃の花」を買ってみようかな🤗
本当に、お母様の表情が素敵ですよね。お会いしたことのない私たちでもそう思うのですから、先生ご自身はどんな気持ちでお写真を眺めているのでしょうか・・・ジュースでなく珈琲だった、という記事私も覚えています。そういう想い出を慈しみながらお母様を思い出されているのかしら。
「桃の花」そんなに歴史のある商品なのでしたら、それぞれの方の胸に優しい懐かしい想い出がたくさんあることでしょう。あちこちで甘酸っぱい気持ちになった方達が購入を検討しているかもしれませんね。「なぜか宮城では桃の花が売れているらしい」なんてことになったりして。想像してほっこりしました。
『ももの花』懐かしい〜!
私は小さい頃、毎年しもやけが酷くて(そのせいで今だに足元の色が悪い、、)その手足を母がお湯と水に交互に浸けて、その後にたっぷりと塗りたくってくれていました。
そのお湯と水の修行が(?)本当に苦痛で、早く終わって〜と思っていましたので、その後のホッとした気持ちと、ももの花の香りは忘れられない冬の思い出です。
先日の記事とコメントから思い立ち、日曜日に薬◯堂で購入しちゃいました。
寝る前にたっぷりつけたら、たちまちこのノスタルジックな香りに包まれ翌朝にはガサガサの手がしっとりすべすべでした!
これはまた手放せなくなりそうです。
ちなみに私は、壺のようにシェイプした容器は記憶にありません。
ほんの少し、ほんと〜に少しだけお姉さま方より若いみたいです。てへ😅
私も子どもの頃「しもやけ」がひどくて、でも私の場合は母ではなく仲の良かった友達のお母さんが気の毒がって「お湯と水に交互に入れるといいわよ」と手当てしてくださったことを忘れることができません。涙がこぼれそうになるのをこらえるのが大変でした。その温かさ優しさが心に染みて・・・
今、私が地域活動をしている原点には、身に受けたたくさんの優しさがあります。「悔しさをバネに」という頑張りもあるけれど、その先にあるのはやはりどこか「勝ち負け」の世界が付きまとうような気がします。でも優しさや温かさをいただいたことへの恩送り、という気持ちの行きつく先は「幸せ」ですよね。そうありたいなあ、と思いながら、みなさんの「桃の花」の想い出の景色を思い浮かべています。
スマイルさんもしもやけ組だったのですね、私は3人姉弟ですが何故か私だけがそんなだったのですよ。
真冬になると父がみかんの木箱でソリを作ってくれました。
父に何度も何度もお願いして引かせ、スイスイ〜って滑っていましたから、そんなことも影響したのかもしれません🛷(笑)
さて、スマイルさんは「優しさや温かさをいただいたことへの恩送りが幸せへと行きつく」とお話しくださいました。
一人ひとりがその様な気持ちで誰かと関われたなら、世の中が優しさで溢れ素敵なことですね!
一方で、悲しい、辛い、悔しいという負の体験から始まる行為も有ります。
その時、我が身に降りかかった負の感情を一度しっかりと受け止めて、同じことを誰も経験することのない様にという優しさに変換してからの行為に繋がっていきます。
この場合は、マイナスをプラスに変換するための一拍分が出遅れたように映るかもしれません。
でも、ちゃんと誰かの為にと気持ちを前向きにすることが出来たという点で、また素晴らしいと思います。
結局はどんなきっかけが原動力だとしても、誰かの為に尽くされる行為は、世の中をより良くしていくものだということですよね😊
素敵です!
鈴虫さんが書いてくださった通りだと思います。私も言葉が足りなかったなあ、と。「あんな想いをさせたくない」という強い気持ちが私にもあって、そうならないためにはどうしたらいいか、と模索した時が長くありました。でも「させたくない想い」にばかり気をとられている時にはうまくいかなかったことが「どうしてもらいたかったか」という方向に目を向けた時に、するするとほどけていくように道が見えてきました。「ああ、そうだったのか!」と思いました。
「させたくない想い」に気をとらえていたときの私は「あっちが間違えていてこっちが正しい」のような勝ち負けの気持ちがあったように思うのです。それがベースにあるうちはうまくいかなかった、という私自身の反省が込められています。
できることなら、まだ心の柔らかい子どもたちには「あなたはどうしてもらいたいの?」「どうしてもらったら嬉しいの?」「どういう時が楽しいの?」と問いかけて、それが大切だという考え方を身に付けさせてあげたいなあ、と思う今日この頃です。
スマイルさん、早速丁寧に説いてくださって、おっしゃりたいことが良く伝わりました。
とことんお付き合い頂いて嬉しいです✨😊ありがとうございました!