応急仮設住宅で現金を配る団体(ボランティア?)
これまで被災者支援の中心的な役割を担っている「生活支援員」の振る舞いを中心に何編か書いてきましたが、前回はこれまでとチョット違う視点の内容にふれ、ボランティアとの関わりについて書いています。前回は「100硬貨が温かい」でした。これについては、とても学びの多いリプライを頂き、大変嬉しく思っています。書いて本当に良かったと思っています。「黒かりんとう」さん、「ハチドリ」さん、有り難うございました。私の自己肯定感が少し満たされました。
今日は、ビックリしたボランティアさんのお話しです。役場に電話が入りました。「被災された皆さんに直接現金を配りたい」この様な申し出でした。お話しを詳しく聞くと、何処か一部の避難所を訪れ、被災者に直接現金を配り、お見舞いをしたいと言うものでした。役場では、一部の避難所だけというのは不公平になるので、被災者ご本人にお見舞いをしたいというのであれば、役場に「義援金」としていただき、役場で他の義援金と合わせて、被災町民に渡したいと答えました。
義援金と寄付金では、使われ方が異なります。義援金は寄付のひとつですが、特に災害などの被害にあった人への応援として直接金銭を送ることを指します。被災者に分配されるためボランティア団体や、行政による復興事業・緊急支援には使用されません。災害で被害にあった人を励ましたい、応援したいというときは「義援金」を、行政等の復興を支援したいときは「寄付金」となります。この団体は、自分たちが直接被災者に現金を渡したいということを譲らず、役場の助言は受け入れませんでした。
それから数日経ったある日、生活支援員の耳に驚くような情報が入りました。何の前触れもなく、ある団体が避難所に訪れ、そこにいた被災者に世帯単位で1万円の現金を配ったというのです。その後、世帯に1万円から一人に1万円を配るという大盤振る舞いになったようでした。応急仮設住宅でも配られました。応急仮設住宅に住んでいる生活支援員の家族でも、頂いた方がいたようでした。
どの様な団体なのか、またその目的は何なのかは分からずじまいでした。これには続きがあります。このような現金を配るということがあった直ぐ後に、役場の電話が鳴り続きました。多くは、「何故、あそこだけで私の所には来ないのか?」という苦情でした。役場では、団体が任意で行っているので役場で調製するようなことではありませんと、応えると、「それを調製するのが役場だろう」って言われるのです。
行政は、町民の公平・平等を最も大切にします。この為、たとえ善意であっても、その事によって町民に不平不満が生まれるようなことは、最も避けたいのです。更には、行政の不作為でなくとも、結果として住民に不平不満が出れば、行政が責められますし、行政はこの団体に責任を求めることはせず、何とかご理解頂く様にお話しするのが最大限できることなのです。個人又は団体の自主性の尊重とその事による不平・不満の発生防止。この相反する事に対してどの様に対応するのが正解なのかなかなか難しい。そんなことを学んだ事例でした。
上記の事例と直接関係する訳ではありませんが、様々な地域課題(リスク)にたいしては、地域力(住民力)を高める必要があると言う視点で関係するかも知れないので、チョットだけ書き足します。
昨日、今日と「リスクコミュニケーション」(リスコミ)について意見交換する機会がありました。リスクコミュニケーション(Risk Communication)とは、社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などのステークホルダーである関係主体間で共有し、相互に意思疎通を図ることをいう。合意形成のひとつ。リスクコミュニケーションが必要とされる場面とは、主に災害や環境問題、原子力施設に対する住民理解の醸成などといった一定のリスクが伴い、なおかつ関係者間での意識共有が必要とされる問題につき、安全対策に対する認識や協力関係の共有を図ることが必要とされる場合である(Wikipedia)。と、説明されています。
私の我流の理解は、リスコミは「説得」することではなく、住民力を高める、換言すれば「地域力」を高めるところに、その目的があるということです。住民が、考え方の違いを超え、互いの「納得」を模索する。そのようなことのできる住民力=地域力を高めるために必須の考えかたがリスコミなのではないかと思います。私たちが暮らす地域社会には、小さいことから大きな事まで、様々なリスク(課題)が存在します。このようなリスク(課題)と、どの様に向き合い、どの様なに受け入れ、どの様にリスク(課題)に対して責任を取るのか。こうしたことを住民相互の話し合いを通して「地域特解」(その地域の正解)を求めていく。そのようなことのできる地域社会を目指したいです。