南海トラフ巨大地震と広域避難者の受け入れ
静岡県の駿河湾から九州の日向灘にかけての海底には、日本列島のある陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込んでいる溝のような地形「南海トラフ」があります。このプレートの境界には少しずつ「ひずみ」がたまっていて、限界に達すると一気にずれ動き、巨大地震が発生します。これが「南海トラフの巨大地震」です。南海トラフでは、100年から200年の間隔で、マグニチュード8クラスの巨大地震が繰り返し発生しています。
南海トラフの巨大地震が起きると各地を激しい揺れが襲うとともに、沿岸部には最大で30メートルを超える巨大津波が押し寄せるとされています。東日本大震災翌年の平成24年、政府の中央防災会議が公表した数字に衝撃が走りました。南海トラフ沿いで起きる最大クラスの地震の規模をマグニチュード9.1とし、各地を襲う津波の高さは高知県黒潮町と土佐清水市で34メートル、静岡県下田市で33メートル。20メートル以上の津波も四国から関東にかけての23市町村に。そして10メートル以上の津波が静岡県、和歌山県、徳島県、高知県、宮崎県の沿岸部のほとんどの地域を襲うとされました。
最悪の場合、関東から九州にかけての30の都府県で合わせておよそ32万3,000人が死亡し、揺れや火災、津波などで238万棟余りの建物が全壊したり焼失したりすると推計されています。地震発生から1週間で、避難所や親戚の家などに避難する人の数は最大で950万人。およそ9,600万食の食料が不足するとされています。
さらに、被害を受けた施設の復旧費用や企業や従業員への影響も加えると、経済的な被害は国家予算の2倍以上にあたる総額220兆3,000億円(東日本大震災が約20兆円)に上るとされています。
南海トラフ地震は、概ね100~150年間隔で繰り返し発生しており、前回の南海トラフ地震(昭和東南海地震(1944年)及び昭和南海地震(1946年))が発生してから70年以上が経過した現在では、次の南海トラフ地震発生の切迫性が高まってきています。
ここで私が注目するには、最大で950万人もの被災者です。この方々を、近隣の県・市町村で支えるのは大変難しく、必然的に広域避難になります。広域避難は、東日本大震災及び東京電力福島第1原子力発電所事故で経験しています。私たちは、南海トラフ巨大地震被災者を受け入れる想定もしておくことが必要です。東日本大震災の際にお世話になった「恩送り」の時です。
東日本大震災の時は、47都道府県に9,200人(ピーク時:平成24.04月全国避難者情報システム)が避難しました。行政が正確に把握している二次避難数は、3,079人(ピーク時)で、宮城県内には4市4町に避難しています。県外では、北海道から九州鹿児島県までの都道府県から受入の申し出がありましたが、主なところでは山形県・秋田県に多くが避難しています。
この様に、東日本大震災では、宮城県の被災者の多くが他県の方々に大変お世話になっています。私が「心の復興事業」(復興庁)を使って調査した事例では、この様なことがありました。東京都営住宅の自治会長さんの語りです。(以下引用)
電話一本で120世帯の被災者をここ(都営住宅団地)で受け入れることになった。避難者支援の活動をするにあたり、臨時の役員会を持ち、私の意向を役員のみなさんに伝えました。
「避難してきた人を『どうぞ』だけでいいんでしょうか。もし東京で災害があって、東京で暮らしていけない状況になって、私たちが東北に避難することになったとき、東北の人たちに冷たくあしらわれて『部屋だけはどうぞ。あとは何も支援しません』って言われたら。私たちが今、当たり前に幸せだと感じ、暮らしている家庭環境を失ってしまった人たちがきて、部屋の中はからっぽ、自分で家財を揃えるお金もない、食べるものにも困る状況の人たちに、『どうぞここで飢え死にしてください』って私は言えないんですよ。
みなさんの協力がないと、支援活動ができないので助けていただけないでしょうか」って言った。みなさん、「もうそんなの当たり前でしょ!」って(応えてくれた)。
まだ、続きがあります。
避難してきた方たちの中に妊婦さんがいたり、双子ちゃんを3月3日に産んだっていう方が家族6人で入ってきて、「えーっ新生児かー!困ったねー、ベビーベッドやベビーカーも必要だ、赤ちゃんの用の爪切りも欲しいよね」って。自治会の防災費のいくらかは、避難者の方に寄付という形で使わせていただくこととなり、それでそれらを買いました。
ただ、それだけでは足りなかったので、ご近所の町会連合会の会長さんに相談したところ、「分かった任せておけ!」って言ってくれて、中野区全体からの支援を受けることになった。60くらいの町会、自治会があるのですが、そこの全ての会長さんが協力してくれて。支援金や支援物資を町会ごとに集めていただいて、団地の集会室に届けてくれました。洗濯機や炊飯器もなかったので、それを120世帯分どうしようと考えたとき、町会連合会の人たちがリサイクルショップなどから取り寄せてくれて。4月中のうちに、各部屋全てに無料で配ることができました。洗濯機と炊飯器、あと掃除機。細々したものは買うんですけれども、大きなものは買えないじゃないですか。中古だけど使えるものはリサイクルショップにありますよね。中野区の中央にあるリサイクルショップが、「ここのもの全部持って行っていい!」って。え!倒産しちゃわないかなって思ったんですけど、家具とかね、そういうものも持ってきてくれて、とってもありがたかった。
私たちは、他県から避難してきた人達を、この様に迎え入れることが出来るでしょうか。いまから、この様な事態なった時には、どの様に対処するのか、考えてみても良いのではないかと思うのです。私は、東京都営住宅の自治会長さんから、このお話を聴いて、手をすりあわせてお礼をしました。ただただ感謝するだけでした。同時に、他県の方が宮城県を頼って避難してきたときには、必ずしっかりお迎えし支えてあげたいと強く思いました。
出典:①国土交通省「気象庁」
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/nteq/nteq.html (2022/09/12)
②NHKおうちで学ぼう
2018(平成30)年度 復興庁「心の復興」事業「ふるさとを離れた被災者の葛藤と苦悩に寄り添う」事業報告書の前文(前書き)に、以下のことを書きました。
この報告書は、宮城県を離れ、他県で避難生活を続けている方々(県外避難者)を支えてくれた市民、団体の語りです。それは、東日本大震災による被災を人ごとにはできなかった人々が行った、市民の手による、市民目線の、市民の想いの詰まった支援「活動」です。また、様々な理由で、宮城県を離れ、他県に避難した被災者の語りです。淡々としたお話には、被災時の緊迫感や葛藤そして苦悩をうかがい知ることは難しい。しかし、語りの行間にある葛藤・苦悩は、想像するに余りある。支援者の語りと一緒に読むことによって、その行間を埋められるのではないかと思っています。
この報告書が、東日本大震災の特徴である、過去に例を見ない大規模・複合災害における我々の振る舞いを、市民目線で考える機会となることを願っています。災害が大規模・長期化する中で、必ず生ずるであろう県外広域避難者を支える、行政・団体・市民の支援のあり方を考える機会になっていただけたら幸いです。本間照雄(東北学院大学)
先生が書かれていた、東京都営住宅の自治会のみなさんの行為、大変素晴らしいと思います。私も宮城県がふるさとの者として感謝の気持ちでいっぱいになります。
私も被災した方が自分の地域に避難してきたなら、必要なことやできることはぜひお手伝いをさせて欲しいと思います。
東日本大震災の時のことを振り返ってみると、避難する時の形って、タイミングも含めて複数あるかと思います。
被災してご自宅で暮らせなくなった場合、行政が関わり避難先を指定したり、仮設住宅、アパート等のみなし仮設に入ることになった時は必要な備品類は当然付いてきますよね(と、思っていたのですが、今回の記事の都営住宅への避難の場合はそうでなかったんですね)。それを次の住まいに持って行くこともできます。
しかし、被災の規模が大きすぎて、一次避難の時も公が指定、把握している以外のところで避難していた人もたくさんいたかと思います。しばらくしてその事がわかったり、また、二次避難も行政の情報が入る前に自ら移動し、なかなか支援の手が届かないと言う人もいらっしゃったでしょう。受け入れる地域でも悪気はないけど、情報が入らず支援ができなかったということもあったのでは?災害の規模が大きくなれば尚更です。でも、本来は差があってはならないように思います。
災害に限ったことではありませんが、支援が必要な人がいた場合、公の支援と市民目線の想いによる行為のどちらかとかではなく、さらに支援団体も含めてミックスした活動が必要な気がします。情報を素早く収集し、そのマッチング作業を行う、コーディネーターがいるといいですね。もういるかもしれませんが、圧倒的に少ないですよね。
災害は起きてみないと状況は違うので一概に言うことは難しいけど、ここだけで特別にできたと言うのではなく、「これだけはどこで災害が起きたときにも普遍的に行う」と言う道しるべのようなものが欲しいな~と。大きな災害を経験した者が後世に残せるのはそう言うことではないかと思います。
と、いうが易しで書いては見たものの、どうやってそれを伝えていくかが難しいのですよね。
でも、考えたい!伝承館の記録、報道番組、講演会、勉強会、ドラマ化や映画化・・、ストーリー性をもって伝える手段がいろいろとあるといいなと思います。
備えあれば憂いなし!みんなが人の分まで備えてあれば、どこで何があっても助けになりますね。他県から避難者が来るようなときには、『どうぞどうぞ、準備はできています』といって安心させてあげたい。
胸がいっぱいになりながら、ゆっくり読ませて頂きました。
先生が書いて下さることを読む度に思うことですが、思いやりは目の届かないところであふれていて、知ることは大切ですね。
ありがとうございました。