涙の数だけ笑顔を取り戻した南三陸町社協生活支援員
前回、二回にわたって「奇跡のおばちゃんたち」を取り上げました。採用時の基礎研修の様子などを取り上げ、立ち上げ当時、無我夢中で被災者支援に飛び込んで行った、南三陸町町民の使命感と戸惑いとが錯綜する気持ちを感じ取ってもらえたら幸いです。
今回は、彼女たちの日常的な学びの様子を取り上げます。南三陸町被災者生活支援センターは、年中無休で支援活動を展開していました。理由は簡単です。被災者に休日はないからです。それに、日中は仕事をしていて、土日しかお会いできない方々も相当数いたからです。南三陸町の生活支援員さんは、交替で休みを取りながら、毎日途切れることなく、各戸の訪問や近所の様子に目を配り、異変の予兆にいち早く気づくようにしていました。
こんな話がありました。あるお宅に何度か訪問しましたが、「留守」の様で直接お会いすることはできなかったそうです。私は「大丈夫かな~・・」というと、速攻で「大丈夫です」と返事が返ってきました。「え、なんでそう言えるの?」と、問うと、「一回目に行った時の玄関にあった『履き物の並び』が、二回目に午後から行った時には変わっていたのです。きっと、買い物か散歩で留守だったのでしょうと言うのです。違う生活支援員さんは、「自家用車の駐車場の位置が少しずれていました、だから大丈夫です」と。恐るべし主婦の観察力と思いました。
被災者生活支援センターの立ち上げは、南三陸町が実質的に一番早かったと前に書きました。当時、被災者支援を担っていた多くの市町村社会福祉協議会の関係者からは、被災者支援の「担い手がいない」「被災者支援のできる知識を持った人財が不足している」等々の声を聴きました。
私は、当時、被災者支援は「何を支援するのか」と考えました。その時、被災者支援とは「被災者の生活を支えることだ!」と、考えたのです。では、「生活」のプロ、専門家は誰なのか?と腕組みをしながら空を見上げると、「生活のプロ」は「主婦だ!」と思ったのです。それなら、生活支援員に主婦等の生活者を充てれば、被災者支援センターは「専門家集団」になると考えたのです。南三陸町の被災者支援センターは、この様な考え方を下にして、多くの町民に被災者支援の担い手になって頂き、被災者支援の最前線に立ってもらったのです。なので、他市町村のように、被災者支援の担い手がいない等とはこれっぽっちも感じませんでした。
生活支援員さんは、基礎研修を終えてから、様々な訪問のための準備を行い、六カ所のサテライトセンター及び本部事務所に分かれ、8月1日から各応急仮設住宅の訪問を始めました。当然、初めてのことばかりだし、被災者からの反応も好意的なものだけではありませんでした。毎日が「なぜ」「どうしてそうなるの」「どうすれば良いの」等々、疑問符だらけでした。
こうした状況は想定内だったので、南三陸町被災者生活支援センターでは、毎日欠かさず朝ミーティングと称する打合せを行いました。この場に集まるのは、各サテライトセンターを取り仕切る主任生活支援員です。会社で言うと支店長の様な方です。この打合せでは、前日の活動報告をしてもらいます。そして、何処か一カ所で出てきた課題は、他の場所でも出てくる可能性が高いので、この打合せの場で様々な課題を全員で共有し、解決策の検討や備えの場にしたのです。生活支援員から出てきた、上手くいったこと、上手くいかなかったこと、理解できない被災者の振るまい、自分のやり方に対する疑問等々、あらゆる振る舞いに対して、私は持っている経験や知識をフル投入しました。なので、この毎朝の打合せは、私の意識では、「事例検討」「カンファレンス」でした。被災者支援活動で生じた疑問や各自の感想に対してか、間髪を入れずに応え、翌日からの訪問活動に生かせるようにしたのです。
10人いれば十通りの支援が必要な被災者支援では、「マニュアル」が機能しません。ましてや、生活のプロとはいえ、何もかも初めての町民です。この為、日々出てくる様々な生活課題やギクシャク社会関係の解決を支える為には、この様な事例の積み重ねが最も効果的です。そして、事例に対して助言当により深掘りすることで「事例の一般化」に持ていけます。ここまで、進められると事例対応に応用力が持てる様になります。なので、はじめは一から十まで細々としたことまで事例検討及び助言が必要なのですが、この事例検討を重ねるに従い、応用できる部分が増えて、生活支援員さんの判断力が複素数的なカーブを描いて高まっていくのです。
書けば簡単なのですが、日々の支援活動は、涙が枯れてしまうような凄まじい状況でした。それに耐えて頑張った南三陸町の生活支援員さんは、本当に「奇跡のおばちゃん」です。なにより凄いのは、生活支援員の役割を終えても南三陸町の地域福祉を推進する人財として南三陸町に残っていることです。他市町村の被災者生活支援センターと大きく異なるところです。