震災遺構「大川小学校」一般公開から1年

東日本大震災で発生し巨大津波が新北上川を遡上し、大川小学校の児童・教職員84人が犠牲(児童数108人中70人が死亡4人が行方不明。教職員11人中10人が死亡)となりました。学校管理下の犠牲73人は、戦後最悪の事故と言われています。

その後、児童の遺族は、「最も安全なはずの学校にいたのに、なぜわが子は亡くなったのか」と、問い続けたが、遺族が納得できる答えは出ていないとして、やむなく訴訟を起こしています。2016(平成28)年10月、仙台地裁「石巻市と宮城県に児童23人の遺族に14億円の賠償を命じる判決」(11月7日県と石巻市控訴)。2018(平成30)年4月、原告の児童遺族が一審に続き仙台高裁の二審でも勝訴、「事前防災の不備を認め14億3,600万円の賠償を命じました」。

石巻市は、2016(平成28)年3月に旧大川小学校校舎を震災遺構として保存する意向を表明し、2020(令和2)年4月から整備工事を進め、2021(令和3)年7月18日に一般公開を始めています。それ以降、新任教員、新任校長等の研修の場にもなっています。新任校長の研修については、2022/06/20「事前防災の重要性を学ぶ(旧大川小で新任校長研修)」の投稿記事で取り上げていますが「教訓を生かす本気度」を疑う感じを持っています。

今回「震災遺構「大川小」一般公開から1年-展示改善いまだ不十分」(河北新報2022/07/17)を読み、改めて「震災と向き合う姿勢」「教訓を生かす本気度」に一抹の不安を抱いています。実物展示が一輪車と時計の2点に留まり、石巻市は「遺族の意見を踏まえ検討、協議したい」と繰り返し、具体的な説明は避けていると言います(「河北新報」2022/07/17)。

大川小学校2年生だった弟(8歳)を失った卒業生で、現地の語り部を続ける方(27歳)は、「自分たちが50年後も伝承しようとした時、校舎が残っているか心配」(「河北新報」2022/07/17)だと語っています。

私たち大人は、この青年に、この様な言葉を語らせていいのだろうか。もっと彼らが未来につながる教訓を伝え続けることを支える必要があるのではないかと思います。これからを担う若者の活動に「継続」の環境を整えてあげることは、私たちの役割です。

加えて、私たち大人は、この様な現状を知っておく、こうした現状から目をそらさない、それだけでも大きな支えになるように思います。

本書に経過が詳しく書かれています
私たちは、この若者の疑問にどう応えるのか
福島県震災遺構「請戸小学校」

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

震災遺構「大川小学校」一般公開から1年” に対して2件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    おはようございます。
    福島県浪江町にある震災遺構「請戸小学校」をぜひ多くの皆さんにご覧になっていただきたいです。

  2. いくこ より:

    子どもを失うということは、大人に責任があると思わなくてはならないです。
    遠くの出来事で自らは直接関りがなかったとしても、そのような社会であるということはやはり大人の責任だと思います。小さな齟齬を見逃し続けるかぎり変わらないから、何かを少しでも変えたいとささやかでも行動することが、つらい思いをされたかたへ報いることになればと願って暮らします。

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