道なかばで病に倒れる(長純一56歳)

6月28日に長純一さんが56歳の若さで亡くなりました。今年の5月下旬にすい臓がん末期(ステージⅣ)の診断を受け療養していました。つい、一週化ほど前(6月26日)に動画配信で、ガン末期であることを公表し「石巻がこの先、光り輝く町として復興する姿をみられないのは残念。少しでも想いを引き継いでもらいたい」と、県民の健康を守ることが出来なくて残念だと語っていました。長さんが末期ガンと知って、お見舞いに行こうと思っていた矢先の訃報でした。ほんとうにほんとうに残念です。本当に惜しい人を失いました。

長さんは、東日本大震災後の2011(平成23)年に長野県医療団長として、宮城県最大の被災地石巻市に入り、翌年には石巻市に移住して石巻市最大の5,000人が暮らす応急仮設住宅団地の開成仮診療所長として被災者の健康管理を一手に担って頂きました。

長野県佐久総合病院を退職して地域医療に尽力し、日本のモデルとなる地域包括ケアシステムを構築しました。また、地域の方々から押され、石巻市長選挙、宮城県知事選にも立候補しています。無理は承知で立候補した背景には、彼の地域医療、市民の健康な暮らし構築への熱い情熱がありました。彼の原点は、「佐久農村医療」にあります。どの様な環境にあろうと、どんなに貧しくても、健康に暮らせる社会を築く、其の一点にあります。

長さんとは、東北大学大学院に在学中に、佐久総合病院を視察し「地域医療」と「健康づくり」を組み合わせた地域づくり研究の参考にしました。それ以来、何かと機会があるたびに意見交換をしていました。東日本大震災の際に駆けつけてくれたときも、宮城県や石巻市の様々な事情をご説明したりしていました。宮城県知事選の際は、宮城県の福祉事情をお話しさせてもらいました。

道なかばで病に倒れ、さぞかし悔しがっているだろうと思います。私なんか、馬齢を重ね何の成果も出さずに72歳まで生きています。恥ずかしい限りです。今、生きている意味は何処にあるのだろうか等々、新聞を目の前にして考えています。彼の冥福を祈るだけでは無く、自分の生きている意味を考えてみたいとおもっています。

長さんがやりたかったことをなぞりながら、私たちの社会のあるべき姿を考えたいと思っています。医療とはまた別の形で、県民の健康な暮らしの有り様を導き出す、それが、長さんに対する今の私の返事かなと考えています。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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