毅然として大国ロシアと対峙するフィンランド女性首相(34歳)

ロシアのウクライナ侵略との関わりで、国境を接する国に自国の安全を確保する為にNATO(北大西洋条約機構)への加盟が取りざたされているフィンランドが、度々マスコミに登場しています。その際、説明に立っているフィンランドの首相は、毅然として自国の安全の為の選択と明確に述べているのを見て、国を守ることを米国頼みにしている我が国と比べてしまい、とても感心してみていました。

そのような中で、このニュースを見つけ一気に読んでしまいました。以前、セリーヌディオンの映画を観て、彼女の生い立ちを知り、初めてパワーや圧倒的説得力の源を知りました。そんな感じで、フィンランド首相の言葉がどの様にして生まれてきたのかをこのニュースを読んで知りました。以下、記事を引用して編集しています。

2019年12月、「フィンランドで34歳の女性首相誕生」というニュースが世界を駆け巡った。新しい首相の名はサンナ・マリン。当時、世界最年少の首相で、女性。彼女の人となりを報じるべく、数百件ものインタビューリクエストが殺到した。

彼女の政治家としての経歴を語る前に、まずはその生い立ちを簡単に紹介したい。1985年に首都ヘルシンキで生まれ、幼い頃に父親のアルコール問題で両親が離婚。その後父親との交流はほとんどなく、母は同性のパートナーと一緒になり、地方都市タンペレ近郊の公営賃貸住宅に3人で移った。

マリンはいわゆる「レインボーファミリー」(子どもがいる同性カップル)の出身だ。母親は幼い頃、養護施設で育った経験を持っており、高等教育を受けたことはなく、様々な仕事を転々としていた。失業していた時期もあり、決して経済的に豊かな家庭ではなかったという。親戚も様々な問題を抱えている人が多かった。マリンは家族の中で初めての高校卒業資格保有者になった。

日本で首相というと、親も政治家という政治家一族出身だったり、経済的に豊かな家庭で育ったりと、一般世間からは少しかけ離れたイメージを持つことが多いと思います。しかし、フィンランド首相の例は、それとは真逆といっていい。フィンランドでは教育は大学院まで無料で、児童手当や単親家庭への支援、低所得者向けの様々な手当があるため、経済的な事情で進学の道が閉ざされることはない。子育てについても支援は手厚い。

小中学生の頃には政治家は遠い存在で、マリンは自分が政治に関わりたいとも思っていなかったという。決して勉強が好きなわけでもなかったようだが、高校生になると勉学に励むようになった。だが、高校卒業後すぐ大学に進んだわけではない。自分のやりたいことが具体的には見えていなかったので、店のレジ係として働いたり、時には失業手当を受けて生活したりしていた。そんな中、「失業中の若者には、わずかでも給料のもらえる仕事が一時的に必要で、それがあれば社会を信じることができる」と考えるようになり、行政学を学ぶことを決意して、地元のタンペレ大学に進学する。

フィンランドで大学に入るには、高校卒業試験の結果に加え、各志望大学の試験がカギとなる。学部によっては非常に競争が激しいが、試験のために塾に通うことはない。大学試験は高校時に学んだことではなく、これから学ぶ専門分野の基礎を問うものが多く、課題図書などもある。通常は自習で乗り切り、浪人して大学のオープンカレッジなどで関連科目を学ぶことはあっても、高額なお金を払って塾に通う文化はない。大学院までは、先述の通り授業料は無料だし、学生には国から支給される生活費や家賃の手当、さらには国の学生ローンもあるので、どんな家庭であっても進学することができる。

フィンランド首相 サンナ・マリン氏

大学に入学した頃に、サンナ・マリンは政治への不満を抱き始める。アルバイトをしながら気づいた若者の失業問題の他にも、気候変動などの急を要する課題に政治家が十分に向き合っていないと感じた。そこで、「自分自身が政治に関わり、世の中を良くしたい」と考えるようになり、若者の失業や気候変動問題に関心を持ち政治の道へ歩み始め、社会民主党の青少年部に所属することにした。

フィンランドでは市民教育が盛んで、社会は一人ひとりがつくるものだと多くの人が主体的に考えている。各政党には青少年部があり、若者が10代の頃から政党に関わるのは珍しくない。マリンも20歳頃から社会民主党青少年部の中で積極的に活動に参加し、大学や地域の学生議会、学生アパートの自治会などであらゆる役職に携わって、徐々に存在感を示していった。

フィンランドでは自分が何を勉強したいか、将来は何をしたいのかをゆっくり考えながら進学する人も多いので、入学する年齢もバラバラなら、卒業までにかかる年数もそれぞれだ。大学生と社会人のはっきりした境目はなく、学生の間に仕事を始めてしまう人もいるし、ある程度仕事をしてから学生に戻る人も多い。

青少年部に所属したマリンは、2008年に23歳で地元タンペレの市議会議員に出馬するも、落選。しかしその後、メキメキと頭角を現していく。2010年には25歳で党青少年部の副代表となり、2012年にタンペレ市の市議会議員選挙に再挑戦して当選。その翌年には、すぐに市議会議長に就任した。マリンは路面電車の新設など難しい議題でさっそく手腕を発揮し、どんな難局でも話し合いを前進させてまとめ上げる、非常に頑固で厳しい議長として知名度も評判も上げていった。この時期に、話し合いが何時間もの膠着(こうちゃく)状態に陥っても粘り強く対応し、多数決を取る際に「まだ話し合いが足りない」と叫んで粘ろうとする議員に向かって、断固とした態度で応じる姿が注目を集め、メディアやSNSでも拡散されていた。

地方議会の議長をつとめながら、マリンは2014年には党の第二副党首に就任し、2015年には国会議員に初当選した。フィンランドでは地方議員と国会議員を掛け持ちすることが可能で、多くの国会議員が大臣職に就いた後でも地方議員を続けている。マリンも、首相となった現在でもタンペレ市議会の議員を兼任している。さらに2017年には、党の第一副党首に就任。2019年春の国政選挙では急病で倒れた党首に代わって選挙戦を率いて、社会民主党は約20年ぶりに第一党となった。その後に誕生した政権では、運輸通信大臣に就任。そして同年12月、首相をつとめていた同党の党首アンティ・リンネの辞任に伴い、第一副党首のマリンが首相候補選で勝利し、首相となった。

事実婚が多いフィンランドでは、結婚のタイミングも人それぞれだ。親の結婚の有無は子どもの権利に影響しないため、長年連れ添って子どもがいても、結婚していないというカップルは珍しくない。それぞれが仕事を持ち、子育て支援制度や互いの両親の協力を受けながら、平等に、そして一緒に子育てをしていきたいという、現代のフィンランドらしいマリン首相夫婦の考えは、様々なインタビューや実際の行動からも伝わってくる。

マリン首相は母乳を与える様子などをSNSに投稿する一方で、率直にメッセージも発信している。例えば、首相就任直後、エストニアのある大臣が彼女のことを「レジ係」と呼び、中傷したとの報道があった。すると彼女はツイッターに「フィンランドを誇りに思う。貧しい家庭の子でも十分な教育を受けられ、店のレジ係でも首相になれるのだから」と投稿した。

年齢や性別に関する質問に対しては、彼女の答えは「年齢や性別を意識することはあまりない」と一貫している。2020年の世界経済フォーラムのダヴォス会議で同様の質問があった時も、マリン首相は「私たちは普通の政府です。女子更衣室で雑談しているのではありません」と返した。そして2020年の新年の国民に向けての挨拶では、「社会の強さは、最も豊かな人たちが持つ富の多さではなく、最も脆弱(ぜいじゃく)な立場の人たちの幸福によって測られます。誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければなりません」と締めくくっている。

国会議員の約半数は女性で、閣僚も女性の方が多い。だから国内では、首相の年齢や性別よりも、連立政権を率いる5党のリーダーたちが首相を含め、全員女性となったことの方が目をひいた。しかも5人のうち4人が30代前半だった。フィンランドでは2000年、初の女性大統領タルヤ・ハロネンが誕生した。女性議員もますます増え、女性が党首に就く例もあったが、長い歴史を持つ大規模政党のトップに比較的若い女性が就くようになったのはこの十数年の傾向だ。とはいえ、こうした状況に全く批判がなかったわけではない。知人の70代の男性は、周囲の男性を中心に「女の子たちにいったい何ができるんだろう」と冷ややかな目で見ている人もいると言っていたし、野党支持者の中には痛烈に批判する声もあった。

このように若い女性が首相になったサクセスストーリーを語ると、特別な才覚を持った人の話だと思われるかもしれないが、彼女の歩みは決して珍しいものではない。例えば、緑の党の党首で現政権の閣僚でもあるマリア・オヒサロは、マリンと同じく幼少期に苦労した人物だ。1歳の誕生日は母親と共に保護シェルターで迎え、その後も経済的には常に困窮状態にあった。しかし、貧困に関する研究で博士号を取得し、政界でも活躍している。他に難民から国会議員になったケースもある。そうした活躍を可能としているのは、まず家庭環境や経済的事情、性別、年齢に関係なくトップレベルの教育を受けることができる社会システムだ。そして政党でも、手腕を示せば、地盤や看板、お金がなくとも政治家になることができる仕組みが整っている。

 マリンが市議会議員や国会議員になるにあたっても、彼女の生い立ちは全く影響しなかった。幼少期の話やレインボーファミリー出身だということがオープンに知られるようになったのは、議員に当選してからだ。加えて、フィンランドでは年功序列はそれほど重視されていない。むしろ、フットワークが軽く、柔軟で新しいことに敏感な若い人たちに仕事をどんどん任せて、年長者はそれを支える側に立つ文化がある。

フィンランドにいると、自然に年齢や性別の「フレーム」がなくなるのを感じる。それはどうしてなのかとフィンランド人に問えば、決まって「フィンランドは小さい国だから」と始まり、こう続く。「豊かな天然資源があるわけでもなく、人口も550万人に過ぎない。だからこそ、一人ひとりが国の大切な資源であり、その資源に投資し、それぞれが能力を伸ばして発揮できる社会にする必要があるからね」。(日本もかつてはこの様な言葉が交わされていましたよね)

手厚い子育て支援制度や様々な福祉制度、博士課程まで無償で全ての人に高い質の教育を保障している教育制度、失敗しても生活を維持でき、何度もやり直せる社会、肩書きや年齢、性別、家庭環境、経済的な背景とは関係なく資質や能力をフラットに評価する文化。これらはまさに、「人こそが資源」という考え方につながっている。

私たちは、若い・女性という見た目の視点ではなく、それを可能にしている社会的仕組みや国民の意識にこそ着目すべきなのだと改めて思いました。世の中をより良い社会にするのは、私たち一人ひとりの意識にかかっていると思います。その為にも、小さな実践をみんなで学び大きく育てる、そんな社会になって行けるようにしたいです。

出典:プレジデントオンライン:6/15(水) 9:01※堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)の一部を再編集

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

毅然として大国ロシアと対峙するフィンランド女性首相(34歳)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    フィンランドといえば、トーベ ヤンソンのムーミンを思い出します。
    子供の頃TVで見ていたムーミンの物語は、様々な姿をした登場人物が質素でありながらも温かな日々を見せてくれ、そこでは誰もが主役になれていました。
    私も子供ながらにとても惹かれて楽しみにみていましたし、今でも沢山の人に愛されているキャラクター達です。

    あの世界観は単なる空想ではなく、フィンランドという国の歴史や社会が背景にあればこその物語だったのですね。
    多くの人が北欧に癒しを感じる理由が少しわかった気がしました。

  2. スマイル より:

    フィンランド首相サンナ・マリンさんが新年に国民に向けた挨拶「社会の強さは、最も豊かな人たちが持つ富の多さではなく、最も脆弱(ぜいじゃく)な立場の人たちの幸福によって測られます。誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければなりません」に心震えました。ご本人の人生経験から湧いてくる言葉だということがよくわかりました。教えていただきありがとうございます。
    このような素晴らしい言葉(想い)が利己主義によって踏みにじられてきたことは歴史が物語っていますが、これから先の歴史にどう刻まれていくかは、国民一人一人の覚悟が問われることとなるでしょう。
    「隣の芝生は青い」と指をくわえてばかりはいられませんね。制度や仕組みが違うから、とあきらめてしまったらそこで終わってしまいます。先生の最後の言葉「世の中をより良い社会にするのは、私たち一人ひとりの意識にかかっていると思います。その為にも、小さな実践をみんなで学び大きく育てる、そんな社会になって行けるようにしたいです。」という言葉に心から共感いたします。このホームページが学びの場となっていることが本当にありがたいことだと思っています。読んでいる方達は同窓生だと思って、これからも共に励まし合いながら学び、実践していけたらと思います。

  3. いくこ より:

    素敵な記事をありがとうございます。
    うらやましすぎて涙が出そうです。優しく人を受け入れてくれるような感じがする北欧の家具や雑貨のデザインが大好きです。長く暗い冬を支えあって過ごしていくために、じっくりと話し合い居心地の良さを大切にする習慣が生まれたのでしょうか。その素敵なデザインも実は日本の浮世絵や民芸などの影響も受けていると何かの本で読んだことがあります。日本もそうありたいと願い続けて小さなことを重ねていけば、優しい社会を取り戻すことが出来ると信じたいです。

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