事前防災の重要性を学ぶ(旧大川小で新任校長研修)
河北新聞(6月9日)に宮城県教育委員会主催の「学校防災研修」が、新任校長を対象に行われたと報じていました。訴訟の経過と判決概要を振り返って見ます。
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は11日までに、市と県の上告を退ける決定をした。10日付。震災前の学校の防災体制に不備があったとして、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定した。裁判官5人全員一致の結論。東日本大震災の津波被害を巡り、事前防災の不備を指摘して損害賠償を命じた司法判断が最高裁で確定するのは初めてとみられる。
二審判決は、同小の校長らには児童の安全確保のため、地域住民よりもはるかに高いレベルの防災知識や経験が求められると指摘。市のハザードマップで大川小は津波の浸水想定区域外だったが、校長らは学校の立地などを詳細に検討すれば津波被害を予見できたと判断した。その上で、校長らは学校の実情に沿って危機管理マニュアルを改訂する義務があったのに怠ったと指摘。市教委もマニュアルの不備を是正するなどの指導を怠ったとし、賠償額を一審判決から約1千万円増額した。
二審判決などによると、大川小の児童は2011年3月11日の地震発生後、校庭に避難。その後、教員が高さ約7メートルの高台に誘導しようと移動した直後に津波が押し寄せた。同小の犠牲者は児童74人、教職員10人に上った。犠牲となった児童23人の遺族は14年3月に提訴。「マニュアルに具体的な避難場所や方法の記載がなく、極めて不十分」などと訴えていた。一審判決は、地震発生後の教員らの対応に過失があったと認定したが、震災前の学校側の防災体制の不備は認めなかった(日本経済新聞2019年10月11日)。
私が新聞を見て気になって取り上げようと思ったのは、本気でこの人災とも言われている事実に向き合おうとしているのかが疑問に思ったからです。そんな些細なことって言われるのを覚悟して書きます。
新聞の写真をよく見て下さい。受講者(新任校長)が、「かがんで」大川小学校事故の教訓を説明する方の話を聴いています。このような姿勢で説明者(遺族)の言葉にしっかりと向き合うことが出来るのでしょうか。この研修の企画をしている県教育委員会は、しっかり事実と向き合い教訓を伝えようとしているのでしょうか。
私は、最終判断者となる校長に、しっかりとお話を聞き、事前防災への意を強く持ってもらいたいのです。でも、こんな姿勢で「じっくり」と耳を傾けることは難しいでしょう。私は、企画側に「アリバイづくり程度」の姿勢しか感じません。こんな行政の姿勢では、犠牲者児童74人、教職員10人がかわいそうだ。彼らの尊い犠牲で私たちに教えてくれたことが生かせない。もっともっと真摯に真剣に向き合うべきだと思います。
そして私たちも、この時代を生きた者として、後世にしっかりと伝えることをしていかなければいけないと改めて思いました。
海沿いの学校の校長となり、いつか来るかもしれない津波に備え何年にもわたって地域の方達と議論を交わし続けたという先生のお話を何度かお聞きしたことがあります。地元の人は「とにかく高台に逃げなければだめだ」と言い続けてくださったそうです。そしてあの東日本大震災。その小学校は屋上まで津波をかぶりました。生徒たちは津波に追われながら上へ上へと登り、命が助かりました。何度聞いても、心臓の鼓動が速くなり冷や汗が出ます。そして「ありがとうございます」と誰ともなく手を握りしめたい気持ちになります。
議論を交わし続けていた間に、避難経路のことだけでなく、「大事なデータを持って逃げる」などの話し合いもしていたために、データを失わずにすみ、その後とても助かったという話もお聞きしました。
「命」の重みを、子どもから大人までしっかりと受け止め確認する時間が本当に必要です。学校にいる間にだけ災害が起こるわけではありません。この哀しい出来事の教訓を心に刻まなければいけないのは、先生方だけでなくすべての住民だと思います。
大切なことをお伝えいただき、ありがとうございました。
先生、記事にして頂いてありがとうございます。
鈴虫さん、H.Yさんお二人がおっしゃることを深くうなずきながら読みました。
「誰かが助けてくれると待っていては遅れる」本当にそうですね。行政の担当の方が考えてくれると人任せにしていてはならない、自分も参加し協力し合うつもりで考え備えていこうと改めて思いました。
いくこさん、H.Yさん
それぞれにコメントありがとうございます。
防災のために、これからも沢山の情報を共有していきましょう。
先ずは自分の命を守ること、次に周りの命も大切に。
未曾有の自然災害の時代を生きる私達が、命を守る教育を子や孫達世代にしっかりと残していく。
これは私達の使命ですよね!
岩手、宮城、福島と沿岸部に学校があり、津波被害に遭った学校は他にもいくつかあったかと思いますが、日頃から訓練をしていたところは1人も犠牲者を出さなかったようです。
大きな地震が来たらまずは高台に逃げる!てんでばらばらでもいいから、大きい子は小さい子の手を引いてとにかく逃げる!毎年一度でもいいからそんな訓練をして欲しいですね。それが何も見なくても頭の中に入ったマニュアルになるでしょう。
H.Yさん
「大きな地震が来たらまずは高台に逃げる!、、、とにかく逃げる!」「それが何も見なくても頭の中にはいったマニュアルになる」そのようでなくちゃいけないですね!
誰かが助けに来てくれるなんて待っていては逃げ遅れます。てんでばらばらでも逃げるんだと、普段から家族でよく確認し合うことがとても大事です。
最近では全国各地で自然災害に見舞われていますので、そこから学ぶつもりで「この川が氾濫したら、あの山が崩れたら」などとリアルにイメージして不測に備えることが必要だと思います。
鈴虫さん、こんにちは!
ありがとうございます。
鈴虫さんのおっしゃる通りだと思うんです。
自然災害はいつどこで何が発生するかわからないし、全てに対応できるわけでもありませんが、「こんなときはこうしよう!」とイメージしながら、家庭の中でも学校の中でも地域の中でも話し合い考え、普段動いてみることがとても大切なのではと思っています。
あらためて大川小学校の津波被害に関する報道を見直して、辛くて胸が締め付けられます。
我が子の目に入った砂を舐めて取ってあげた母の心情を思うと、悲しすぎる、悔し過ぎます。
先生が仰るように、この報道写真からは我が身に置き換えようとする緊張感や切迫感が少しも伝わって来ません。他所の出来事を参考までに聞いている、そんな気配すら漂っているようです。
この様な態度の人に対しても、語り部として遺族達は全身全霊を傾けてお話していると思うと、又、哀しくなります。
人の気持ちに寄り添うということは、当事者のとても重く哀しく虚しい気持ちに、そっと触れさせて頂くことなのだと思います。
鈴虫さん、この大川小学校の子供さんを亡くされた親御さんのことを思うと「どうして?どうして?」と悲しくて苦しくて、痛いくらい締め付けられたこの気持ちをどこに持っていけばいいのかわかりません。
それでも、この悲しい体験をしっかり振り返り、分析し、先生が最後に『私たちもこの時代を生きた者として後世に伝えることをしていかなければと改めて思いました。』と書かれていたように、まずは自分たちのこととして子供や孫に伝えていきたいなと思いました。
H.Yさんのコメントに返信しようと、何度か書いては消してを繰り返しました。
言葉にならない苦い想いばかりが溢れてきます。
私達は、犠牲になったいたましい命に対して只々ご冥福を祈るとともに、頂いた教訓を次の世代の未来のために語り継いでいきましょう。