桜並木を震災の語り部にしたい(福島県立双葉みらい学園中学校生徒)
晴天の中、第2回浜街道さくらウオークが4月2日(土)に広野町さくら公園を出発・終着地として開催されました。主催は「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」実行委員会です。NPO法人ハッピーロードネットや地元及び近隣市町の青年会議所が共催に名を連ね、全面的にバックアップしていました。事業資金ほとんどを自前で賄い、地域を挙げて行っている感のある事業です。
「30年後の故郷に贈る」と書かれたピンクの幟旗(のぼりばた)が小気味よくたなびいている後ろを、列を成して歩きました。福島県新地町からいわき市迄の国道6号線105㎞は「ふくしま浜街道ハッピーロード」と名付けられ、2万本を目標に桜の木が植えられています。現在までで、その数は13,500本を数えているそうです。
今回は、楢葉町コミュニティーセンターから広野町さくら公園までの国道6号線約6.6㎞をゴミ拾いしながら、寄付で植樹された桜に添えられている提供者の想いが綴られているプレートを読み、約2時間かけて歩きました。昨年より心なしか参加人数は少なかったように思います。でも、前回も感じたのですが、地元の中学生の一挙手一投足がとても清々しく、校名にあるように双葉の未来を担う若い力がとても頼もしく思えました。
タイトルの「桜並木を震災の語り部にしたい」は、開会式で参加社代表に立った福島県立双葉みらい学園中学校生徒の挨拶の一節です。なんと素晴らしい考え方なんだろうとメモを取りました。桜は、植えられた場所の条件によって違いはありますが、おおよそ樹齢30年〜40年で枝や幹の成長がゆっくりになります。私たちが見ている立派に咲く花は、樹齢20年以上たっているといわれています。「30年後の故郷に贈る」という言葉は、この辺から来ているように思います。
30年後の国道6号線沿いは、大きく生長した桜が咲き誇ることでしょう。多く人は、桜を愛でながら、植樹された経緯や植樹に協力した人々の願いを読み、背景に東日本大震災や原発事故のことを知る事でしょう。まさに、桜が「語り部」となり、東日本大震災や原発事故を語り継ぎ、震災への備えやエネルギーの有り方について考える機会になることでしょう。物言わぬ語り部です。
また、この様な事業そのことが「語り部」のようにも思えました。地元の方々は、原発事故は事故として、その原因や対応の有り様を考えつつも、何とかして避難生活を余儀なくされている人々の帰還と地域の発展に向けて、今できることを未来に向けて積み重ねている。この情熱や未来に向けたメッセージを持った振る舞いが「語り部」そのものなのではないかと思えたのです。
また、「30年後の故郷に贈る」と書かれたピンクの幟旗(のぼりばた)を先頭に列を成して歩く姿は、東日本大震災で被災地を「慰霊行脚」の幟旗を手に供養して歩いてくれた僧侶の一団とダブって見えました。また、中学生の屈託のない笑顔の中に見え隠れする故郷に対する愛着は、気仙沼中学区の卒業生答辞とダブって見えました。
中学生との言葉や振る舞いには、いつも未来を感じさせてもらえます。この子達なら、きっと日本の未来は明るいものになるに違いないと確信するのです。同時に、それを支える私たち大人の意識や責任を感じます。この子達が思う存分活躍できる社会の基盤づくりに我々大人は責任があると。
私は、今回の参加では、福島原発事故と東日本大震災に底通する人々の祈りのようなものを感じました。昨年とは全く異なり、参加して本当に良かったと思っています。30年後の成木となった桜は観ることはできませんが、今この一瞬「30年後の故郷に贈る」に関われたことをとても嬉しく思っています。
東日本大震災が起きる前、福島県浜通りにさくらを植えて、ギネスに載るようなさくら並木にしたいと発案した生徒さんは津波で亡くなったと聴きました。しかし、その意思を継いで、震災から10年が過ぎた今、本当にその想いが実現しようとしているのですね。
『桜並木を震災の語り部にしたい』
これから10年後、20年後、この取組みを知らない人たちが素晴らしいさくら並木を見て「これはいつ植えたのだろう」と思いを馳せる、ただそれだけでもさくらの木は大切な語り部の役割を担うことになるだろうと思います。
『辛くて、悔しくて、たまりません。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、我々の使命です!』気仙沼階上中学卒業生代表の生徒さんの答辞に涙が溢れました。この時卒業した生徒さんたちは皆さん26歳になられていますね。痛みのわかる、優しくて強い大人になっていることでしょう。
心からのエールを送り、私もできることをこれからも頑張っていきたいなと思います。
さくらを見て想うことは、人それぞれ様々なのですね。
どんな思い出にまつわるさくらでも、季節が来れば必ずや咲いて私たちの心に語りかけてくれます。儚い花が人々の心の傷もゆっくりと癒やしてくれる、そんな姿が愛おしく「また来年も見に来るよ」と呟きたくなりますね。
『ふくしま浜街道ハッピーロード』が近い将来2万本の桜並木になることを楽しみに応援したいと思いました。
是非いつか、私もこの目でみんなの想いのこもった桜を愛でながら、その並木を歩きたいと思っています。
開花を待つつぼみの写真が、明日への夢や希望が感じられるとても素敵な一枚です🌸
今年の桜には少し早かったというのが残念だと思いましたが、みなさんでゴミ拾いをして満開のサクラ並木を沢山の人に楽しんで欲しいという願いがあるのでしょう。
そこに主だって参加した中学生の姿勢がまた素晴らしいです。
福島の未来は、きっとこの子らの目指すところに確実に近づいて行くことでしょう。
そして、今回紹介されていた気仙沼階上中学校には当時姪が通っていて、答辞を読んだ生徒は同級生です。
会場である体育館はこの地域の避難所になっており、沢山の住民の見守るなかで感動の卒業式が執り行われたと、姉から聞かされていました。
偶然にもその卒業式を見せて頂いて、姪の姿が重なり涙が溢れました。
あの日姪は、海辺の自宅から中学校へと避難している途中で津波にさらわれそうになり、腰まで水に浸かりながら電柱に必死でしがみついて難を逃れたそうです。そんな事がまた思いだされました。
大変な経験をした子供達が、これから先逞しく生きていくことを精一杯応援していきたいです。
じーんと胸がいっぱいになりました。
先日行事に来てくれた中学生と姿が重なって暖かな思いです。
文中「きっと日本の未来は明るいものになるに違いないと確信するのです。同時に、それを支える私たち大人の意識や責任を感じます。この子達が思う存分活躍できる社会の基盤づくりに我々大人は責任があると」
ほんとうにそう思います。
今日も素敵な報告をありがとうございます。