偏見と言われても「ソバージュ」は嫌いだ~・・・!
ソバージュ軍団の包囲網が出来つつある中にあっての細やかな抵抗です。少々、長くなりますがお付き合いください。結論は、いたってシンプルで、最後に書いています。
「ソバージュ」とは、フランス語で「野生の」という意味の言葉で、毛先まで細かいウェーブをかけた髪型のことです。その無造作感がおしゃれとされ、1980年代のバブル絶頂期に大流行した髪型です。ファッションの流行は、人気の音楽、芸能人、景気など、その時代の社会情勢と密接に関係しています。
1980年代といえば日本はバブル期に突入し、好景気にわいた時代です。若い世代から年配の方まで、お金をかけてファッションを楽しむ人が増えました。世の中の明るいムードを反映し、派手なカラーや個性的なデザインなど、目を惹くアイテムが多いのが80年代ファッションの魅力のようです。
また、80年代には「JJ」「Can Can」など、平成以降も人気のファッション雑誌が誕生しています。女性の社会進出が進んだことも重なり、1970年代よりもレディースファッションが多様化した時代でもあります。以下は、1980年代のファッションの特徴です。
(モノトーンスタイル)80年代には、髪色から靴まで全身を黒色で統一したモノトーンスタイルが流行しました。真っ黒な見た目から「カラス族」とも呼ばれ、モノトーンスタイルを好む人々の間では「DCブランド」が大人気に。DCブランドとは「デザイナーズ・キャラクターブランド」を略した言葉で、フォークロア風、ヨーロピアンテイスト、サブカルチャーの影響を受けて誕生したブランドです。モノトーンスタイルはロング丈のトップスや黒色のジョッパーズパンツ、黒色のアイテム同士を使ったレイヤードスタイルが特徴です。特に若者たちに流行し、当時の渋谷・原宿・銀座はカラス族でにぎわいました。
(コンサバスタイル)80年代後半、バブル時代にはバスト、ウエスト、ヒップラインを強調したボディコンと肩パッド入りのジャケットを着用する「コンサバスタイル」が流行しました。ボディコンのカラーは原色が基本です。黄色やビビッドピンク、赤などの派手なカラーを中心に、ヒョウ柄やゼブラ柄などの目を惹くデザインのボディコンを着用する女性もいました。華やかなコンサバスタイルには、前髪をカールしたウェービーなロングヘア、太い眉に真っ赤なリップ、足元はピンヒールがマストです。ファーのついた「ジュリ扇」と呼ばれる大きなセンスを持ち、ディスコに出かける女性もいました。
(プレッピースタイル)「プレッピー」とは、アメリカで名門の私立学校に通う両家の学生の俗称です。ブレザーにジーンズを合わせたスタイルや、ショート丈のボタンダウンシャツ、チェックパンツなど、学生風のファッションを着崩したスタイルを指します。プレッピースタイル自体は60年代から注目されていましたが、80年代に入って本格的に流行しました。 プレッピースタイルを日本風にアレンジしたのが「ジャパニーズ・プレッピー」です。カレッジニットやスポーツブランドのポロシャツを着用した、カジュアルスタイルが人気でした。
(ハマトラスタイル)ハマトラとは「横浜トラディショナル」の略で、70年代後半から80年代前半にかけて流行した横浜元町発祥のファッションです。70年代に神戸発祥の「ニュートラスタイル」が流行し、対抗して生まれたのがハマトラスタイルといわれています。トレーナーにタータンチェックの巻きスカート、ハイソックスというのがハマトラの定番スタイルです。ニュートラが上品でエレガントなテイストだったのに対して、ハマトラはチャーミングなスタイルが特徴となっています。当時の女子大生に流行し、プレッピースタイルとは一味違った女性らしいお嬢様ファッションです。(出典:織田ファッション専門学校)
バブル期に突入していたこの時期は、好景気に沸いた経済や女性の社会進出等で、世の中に明るい開放的なムードが広がり、このような派手で独特なファッションに併せて、「野生の」という意味の言葉のある無造作感を持つ「ソバージュ」がもてはやされたのかも知れません。
時代背景をもう少し詳しく見ていきましょう。日本経済は1980年代まで、戦後復興から高度経済成長、安定成長を通じて経済規模を拡大させましたが、それは同時に国民の生活水準を向上させるものでもありました。1970年代から1980年代にかけては、2度の石油危機を乗り越えてきました。消費者物価の大幅な上昇がみられる一方、現金給与総額はそれ以上に上昇しており、実質賃金が上昇しています。実質賃金の上昇は人々の購買力を高め、消費を刺激し経済成長に寄与するだけでなく、生活に豊かさをもたらすことになりました(バブル景気:1986(昭和61)年12月から1991(平成3)年2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象)。
こうした経済成長と国民生活向上の関係は、1990年代に入り、いわゆるバブル崩壊(1991(平成3)3月から1993(平成5)年10月までの景気後退期)によって一変しました。実質経済成長率は、1990年代前半は年率で1.4%、90年代後半は1.0%とそれまでと比べ大きく低下しました。また、消費者物価指数は1990年代前半は年率で1.4%、90年代後半は0.3%となったのに対し、現金給与総額はそれぞれ1.9%、0.1%となり、90年代後半に実質賃金の低下がみられるようになったのです。
バブル崩壊以降の長期の経済停滞は、人々の意識にも大きな影響を与えました。生活全体への満足感は1990年代半ばから2000年代前半にかけて低下し、所所・収入や資産・貯蓄など生活の支えとなる資金面での満足感が低下しています(出典:経済白書)。バブル崩壊と同時に1973年より続いてきた安定成長期は終焉を迎え、失われた10年の引き金となったのです。
1980年代といえば、今から約40年前のことです。現在60歳であれば、花も恥じらう、箸が転んでもおかしい年頃の二十歳前後です。バブル期に突入し、好景気に沸き、実質賃金が毎年上昇している只中で、青春を謳歌していました。人気のファッション雑誌「JJ」や「Can Can」で扱われた衣服も容易に手に入り、女性の社会進出も進んだことも重なり、肩肘張って髪をなびかせヒールで闊歩する。良く言えば、周りへ何の遠慮もなく「自己主張」「自己解放」ができた時代だったのでしょう。この前夜には、1975年に解散しましたが「中ピ連」なる団体も現れ、男社会に対する戦闘的なウーマンリブ団体活動を展開していました。世の中全体が好景気で浮き足立っていたそんな中で、「DCブランド」、ボディコンと肩パッド入りのジャケットを着用する「コンサバスタイル」そして「ソバージュ」の三種の神器を身にまとった女性が席巻したようです。
ソバージュ軍団の皆さま、どうでしょう、「ファッション」という言葉の下に、如何に浮き足立ち我を忘れていたかがおわかりでしょうか。これに茶髪とピアスが加わると、もう見ちゃいられない。私のsimple is best の感性からはあり得ない選択です。でも、そんな「自己主張」「自己解放」としてのファッションが、素敵、格好いいという男性や美意識もあるので否定はしませんが、私は嫌いです!
せっかくみなさんが持っている日本人特有の肌質に合った髪質や色に、わざわざ圧力を掛けて西洋の女性のような癖毛が長くなったら自然と出来上がるような髪型に無理して仕上げる。日本女性の個性を殺して西洋の女性のまねをする。そこが嫌いなのです!癖毛なので「ソバージュ」は好都合だった、という場合も有るでしょう。そんなら、生涯それを続ければ良い。私は、人まねした美を追究しなくてもいい「そのままが素敵だから」、そう言いたいだけなのです。更に言えば、髪だけを見ているわけではなく、その人その人の持つ全体としてのまとまりや醸し出す雰囲気の中で接しているのです。私は、その中で感じ取れる知性、清楚さ、穏やかさ、そして最も大切にしている「ナチュラルな感じ」がとても魅力的に思えるのです。
ここで、また恐ろしいことが起きているそうです。1980年代にブームとなったソバージュヘアが、今また流行し始めているというのです。その名も「ネオソバージュ」。かつて大流行した根本から毛先までしっかりとしたウェーブが特徴のソバージュヘアのリバイバルが止まらないようです。ネオソバージュは、以前よりも少し緩めのニュアンスウェーブに仕上げるのが特徴のようです。今までのソバージュは、ロングヘアでワンレンに近いベースに、パーマを当てて作っていくことがほとんどでした。しかし、ネオソバージュは髪の毛の長さは関係なく、さまざまなヘアスタイルに施すことができるようです。(出典:KYOGOKU)。
ソバージュ軍団の皆さま、夢よもう一度は、切にご遠慮いただきたいです。以上は、全て私個人の感想であって、「ソバージュは嫌いだ~・・・!」を一般化する気持ちは毛頭有りません。
鈴虫さんのコメントを読み、これは女性に限ったことではありませんが、髪との関りと言うのは自分の歴史であり希望の象徴なのだとなんだか涙がこぼれそうになりました。
それで思い出したことがあります。まだ子どもが小さい時、1時間ほど美容院に行くということさえ果てしない夢のように思われる時期がありました。一度娘を両親に預けて美容院に行ったことがありました。「機嫌よくしていたよ。お利口さんで全く問題なかったよ」と言われたのに、その日の夜は夜泣きに悩まされることになりました。「ああ、内心寂しさや不安と戦ったいたのだ」と胸を突かれるような思いがしました。
ですから、その時期はハチドリさんが前におっしゃっていたように私も何もしなくても良い髪型、多少伸びて鬱陶しくなってもなんとか耐えられる髪型というのが第一でした。でもそれは「いつかは、ちゃんと手入れできる、自分に似合う髪型にしよう」という憧れを胸にしまっているということでもありましたよね。男性も子どもが小さい時「床屋に行くのもままならなかった」という経験はあるでしょうか?
先生はみんなが一斉にはやりを追うことの怖さを伝えたかったのだろうと理解しつつも、「くせ毛でソバージュが好都合ならそれを続ければいい」という部分は、当時の自分を思い出して切ない気持ちになりました。髪型ひとつにも、それぞれの事情や願いや希望があるのだということもご理解いただけたら嬉しいです。
私のソバージュにまつわる話は、当時、真っ黒に日焼けして体育会系だった私が、女の子作戦第1段として初めて憧れの長い髪になれた頃でした。そして幾らか筋肉モリモリが解消されてきた頃に、女の子作戦第2段として世の中の流行に乗った様な気がします。
でも、私にはちょっと違う、今井美樹にはなれないんだと直ぐに気がついてやめたのでした。
どうぞ、若気の至りと笑ってください。
話は少し逸れますが、昨夜、私の友人からクルクルと愛らしい巻き毛の頭のドアップ写メが届きました。
「ストレートな髪を期待してたら、こんな髪が生えてきた!!」と、とても元気そうです。
じつは彼女は一時、薬のためにスキンヘッドになっていて、髪の再生を心待ちにしていたのです。
私はその新鮮な髪を見て、とても嬉しく、春の息吹のような希望が湧いてくるのを感じました。本当に嬉しい知らせでした。
私は「凄い!あとで触りに行くね!」と返事をすると、「来る前日に教えてね シャンプーして待ってるよー!」とまた返事。
彼女の弾ける笑顔が目に浮かびました。
髪はおんなの命と言いますが、髪は希望の象徴でもあることを実感しました。
これからはどんな髪型であれ、私の一部としてもっと大事にしなくちゃと思いました。
講義が終わったと気を抜いておりましたら社会学続行中だったのですね、とっても楽しくそして懐かしく読ませて頂きました。
スマイルさんと違って私の髪は太くてまっすぐ、おさげを編んでも可愛くない綱のようになってしまうのでふわふわ髪にあこがれていました、顔という絵は変えられないけど額縁を変えてみたいというわけです。しかし強情な髪はパーマ液を受け付けずやっとくるくるする程度で、毎朝シャンプーして整えなければなりませんでした。
なかなかな労力ですが当時アクセサリーメーカーに勤めていて、重厚なアクセサリーが映える肩パット入りのスーツと相性が良かったのです。内勤の仕事ではありましたが急遽デパートへの納品や店に立つことを指示されることもあって、そういう時に「今日は何を着てきた?」と会社の顔として出して良いかを聞かれるので、通勤着は黒やグレーの男性のスーツ姿に負けないものを選んでいたものです。
先日、夜な夜な六本木と書きましたが通勤です、ジュリアナじゃないです(笑)。
当時を社会学をかじった視点で振り返ると、一人頑張ってきたのではなくみんなで相互作用しあいながら生きてきたのだと愛おしくなりました。
それにしても「昭和、平成あのころ」先生悪意あります?
ええ、もちろん今井美樹さんのつもりですとも!賀来千香子さんのつもりですとも!
先生楽しい講義ありがとうございました。
追伸
今の私の髪は、年とともに細く従順になって寝ぐせに悩まされることもなく、年を重ねて良いこともあるのだと思っています。
家事に追われてショートカットの楽さに気づいてからは、夏になると顔を洗うついでに頭も洗えてしまうスキンヘッドにもちょっとあこがれています(笑)
いくこさん
ひぇ〜スキンヘッドですとォ⁈
でも…
そうなればCafé de Monkという道も開けるかもしれませんね😆
鈴虫さん。
出家ですね。
NHKテレビの「やまと尼寺」をみてあのような暮らしも素敵だなぁと思っています。
私がやると「家出」になってしまいそうです(笑)
いくこさん
お返事ありがとうございます。
出家か〜、確かに惹かれるものがありますね。
でも、待ってください✋
家出娘に間違われないようにウォーキングの時はシャキッとした後ろ姿を意識しましょうね!
🌲🏕🌲🏃♀️🌲
まさか、ソバージュへの反撃がこのような歴史的背景を滔々と述べられる記事になるとは想像もしていませんでした!かなりのご準備が必要だったことと思います。先生の労苦にお答えして、私も少々長くなりますが、ソバージュをめぐるあれこれを書いてみたいと思います。
それにしても、懐かしいコマーシャル!今井美樹ちゃんがなんと可愛いのでしょう!多くの人がソバージュをかけたら今井美樹ちゃんに近づけるかも、という幻想を抱いたのは間違いありません。もっと昔「ローマの休日」を見て、オードリー・ヘップバーンのように、と注文つける女性が続出したと聞いたことがあります。もちろん、オードリー・ヘップバーンのようになれるわけがなく「違う!そうじゃない!」と叫んだ女性も多かったのではないかしら。今井美樹ちゃん風も然り。「そうじゃない!」と思いつつ(わかりつつ)夢見てしまうのが女性なのですね。
私個人的には、学生時代1か月ほどの短期留学したことがあり、あちらの水はミネラルが豊富と言えば聞こえはいいですが、石灰質で髪も肌もキシキシになると聞いていたし、ドライヤー使いたくても電圧を変えたりしなくてはいけないので面倒くさく、ソバージュはとっても楽だったのです。髪のことはいっさい気にしなくてよい気楽さ、他のことに時間も気持ちも向けられるありがたさは忘れられません。あれは必須だったと思っています。服装と言えばジーパンにスニーカーで、一緒に行った他の友人は男性に次々声をかけられるのに、私は小学生にしか見られず、話しかけてくれるのはお年寄り、寄ってきてくれるのはスズメだけ(あちらのスズメは何か食べていると手にも乗るほど人懐こいのです)。ホームステイ先では「あなたを助手席に乗せることはできない」と言われいつも後部座席(子どもは助手席に乗せてはいけないんですって。子どもでないのはわかるけれど、聞かれたら説明が面倒だからと)。そんなことを懐かしく思い出しました。
また、女性は年齢によって髪質がとても変わるんです。多分ホルモンの影響なのでしょうね。出産してからは、硬いくせ毛だったのがコシのないあまりくせのない髪になりました。そういう視点で見ると、女性の髪は人生そのものであり命と連動しているのですね。
ソバージュにしていた当時、本間先生と同じように多くの男性はあまりソバージュは好きではないのだな、と感じていました。でもあの頃のことを思い出すと、女性は「それが何?」と、「あなたたちの思うようにはならないわよ」という気持ちが無意識にあったのではないか、という気がします。それはそれで、歴史的にも、女性の一生としても必要な時期だったのではないか、と思います。人の思惑通りに生きたくはないという願い、自分らしさを模索するための通過点。いろいろ模索していた時代だったのだと思います。肩ひじ張るだけが能ではないと理解するようになるのはずっと後のこと。でもそれは肩ひじ張ってみたからわかることでもあるのではないかしら・・・
それと、一つお知らせを。ナチュラルなメイクというのは派手なメイクよりずっとずっと手間暇かかるものなのだそうですよ。またナチュラルで自然な髪型と見える髪は、腕のあるプロによって綿密にパーマの加減などを調整して自然に見えるようになっている場合が多いと思います。現代は「みどりの黒髪」という人はあまりいなくて、サラサラのストレートヘアーはたいていストレートパーマです。むしろソバージュは「ええ、私はパーマをかけていますよ!」と正々堂々としたもので、裏表がなくて可愛げがある、とも言えるかもしれません。女性はなかなか一筋縄ではいきません。
でも、本間先生がなぜソバージュがお嫌いか、という気持ちもとてもよくわかるような気がします。オードリー・ヘップバーンは人生の後半で苦しんでいる子どもたちのために活動しました。飾り気のないスタイル、化粧っけのない皺の刻まれた顔。でもその佇まいの素晴らしさ!彼女のものと伝えられる素晴らしい言葉があります。「控えめであるためには、その前になにかに立ち向かうことが必要です」「私の最大の願望はキャリアウーマンにならずにキャリアを築くことです」「しわの一本にも手を加えないで。どのしわも私が手に入れたものだから」きっと、先生も頷きながら読まれているのではないでしょうか・・・
ソバージュにしてみたり、肩パットにしてみたり、そういうすべては一人一人の自分探しの旅だったのでは、と思います。そんな人生を愛しく思います。そして、できることなら最後には、オードリーのような境地に至りたいと思います。
おはようございます。
聞いたことはあるけどどんなファッションかわからなかったことがたくさん書いてあります。
そして『ナチュラルな感じ』も含めて、時間かけてイメージしながらあらためて読んでみたいと思います。実におもしろい!
先生、物申す、書いていただきありがとうございます。