かじってみよう“社会学”14講目 集団の世界「集団とはなにか」

前回は、私(自我)とは、どの様に構成されているかを説明しました。I Me理論で私(自我)はどの様に形成されるのかを見ていきました。それぞれの私には、様々関わりがあって今の私があるということに気づかれたと思います。今回からは、別のテーマ「集団」について考えてみます。若干、抽象的な説明になるかも知れません。イメージを膨らませて取り組んでみて下さい。

私たちは、様々な集団に属して生活をしています。集団の定義は、様々あるようですが、ここでは、以下のように定義しておきましょう。集団とは「人と他者とそれ以外の人たちとが、質的にちがう相互作用を継続的におこない、そうした相互作用の範囲が特定のメンバーに限られている場合、その複数のメンバーを集団という」。

例えば、家族で説明しましょう。家族の中での相互作用は、どのメンバーにとっても、その他の場所での相互作用とは質的に違い、それは家族の外部には及ばないことが暗黙の内に意識されている。夫婦の関わり方は、他の場所での他者との関わり方とは質的に異なり、その夫婦の関わり方(相互作用)は、家族だけの関わり方であって、他者との関わり方にまでは波及しない。他の、親と子との関わりにおいても同様なことが言えます。この様なことから、家族は「集団」なのです。

こうしたことは、職場や友人関係、そして近所づきあい等にも当てはまります。ソバージュをこよなく愛した「ハチドリさん」と「いくこさん」の関わりは、趣味の合う友人関係を築く「集団」としての関わりを持てますが、ソバージュに偏見を持つ私は、趣味が質的に異なりその集団には組みしません(笑)。

冗談はさておき、集団には、どのような種類があるのか有名な分類法を紹介致します。この辺になると聞き覚えるある名称が出てきます。

先ずは、一度は聴いたことがあるかも知れないF.テンニースの「ゲマインシャフトvsゲゼルシャフト」です。ゲマインシャフト(Gemeinschaft)は、他者と感情的に結合して共同生活を送ろうとする生得的で本質意志から生じる集団です。家族、地縁の基づく村落等です。Naritaマルシェのメンバーはこれかな。全人格的な結びつきを特徴とします(人々の一体感による集団)。対してゲゼルシャフト(Gesellschaft)は、何らかの目的を達成するために共同で生活しようとする理性的な選択意志から形成される集団です。打算的・契約的な結びつきを特徴とし、会社や組合などはこれにあたります(合理的選択による集団)。

次は、C.クーリーの「第一次集団vs第二次集団」です。第一次集団とは、フェイスツーフェイスの直接的な相互作用をかわし、親密に共同している小規模な集団です。家族、仲のよい仲間、近隣社会等です(直接的相互作用)。一方の第二次集団は、何らかの目的を達成するために組織され、間接的な相互作用を特徴とするタイ規模名集団です。国家、政党、企業、労働組合等がこれにあたります(間接的相互作用)。C.クーリーは、第一次集団は、人間の自我の形成や社会性の「養成所」と考え、その意義を非常に重視しました。

三つ目は、R.マッキーバーの「コミュニティーvsアソシエーション」です。コミュニティ(community)は、同じ所に住み、同じようなライフスタイルを持ち、同じ集団の集まりという感情を共有している集団です。村落や地域社会そして国民社会への同心円的に広がります(居住地の共有)。アソシエーション(association)は、人々が自分の個別的な関心を満たすために人為的につくりだす集団です。企業者、宗教集団等がこれにあたります(関心の共有)。

集団と言う言葉を、チョットだけ社会学の視点でのぞいてみました。これまでの、集団イメージ、人が集まっている状態を三つの視点で見ることによって、集団の成り立ちやその集団が持つ特徴をより把握できるようになったのではないでしょうか。みなさんそれぞれが、様々な集団に属しています。自分の属している集団は、それぞれの地位・役割からして、どれに分類されるのかこの機会に考えてみるのも面白いかも知れません。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

かじってみよう“社会学”14講目 集団の世界「集団とはなにか」” に対して18件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    2周目の14講目
    集団の世界

    人と他者とそれ以外の人たちとが、質的にちがう相互作用を継続的におこない、そうした相互作用の範囲が特定のメンバーに限られている場合、その複数のメンバーを集団という。(←定義をこのように説明されても、2周目になると全く違和感なく、すんなりと理解できる)

    集団の分類法
    ① ゲマインシャフトVSゲゼルシャフト
    ゲマインシャフト=他者と感情的に結合して共同生活(家族・地縁・村落)
    ゲゼルシャフト=目的達成のための理性的な選択意思による集団(会社・組合)

    ② 第一次集団VS第二次集団
    第一次集団=直接的相互作用を交わし、親密に共同している小規模集団(家族・仲間・近隣社会)自我形成・社会性の養成所

    第二次集団=間接的な相互作用を交わし、目的達成のための大規模集団(国家・政党・企業)

    ③ コミュニティーVSアソシエーション
    居住地の共有VS関心の共有

    集団にはたくさんの種類があるのだと知った。3つの視点で見てみると、やはり
    中間層というか、行ったり来たりというか、そんな集団が魅力的に見えてくる。
    集団に限らずどのような対比でも、重なり合う部分は必ずあるはずです。その重なりに注目することで、新しい視点がもてるのではと考えました。

    どの集団に属したとしても、できれば感情的に結合して、親密に共同して目的まで達成したいなあと改めて思う。

  2. 阿部優 より:

    いくこさん、コメントありがとうございます。

    何か二つあったとき、対比ではなく『寄り添う』が理想かなと思っています。

    挨拶については、なんか挨拶してくるオジサンがいるなぁと思われてもいいやと考えてます。いずれ、なぜ挨拶をしてくるのか?を考えるきっかけになれば。

  3. welfare0622 より:

    皆さま、14講目 集団の世界「集団とはなにか」 を読んでいただきまして有り難うございました。皆さまからは12件のコメントがあり嬉しく思っています。また、阿部さんからは貴重な提案もあり、さらに膨らみを増した回だったと思っています。

    始めに、せっかく頂いたので阿部さんからご提案にあった件から始めましょう。私達の生活場面においては、AかBかという二者択一、究極の選択という場面はそれほど多くなく、AもBもや73でAなかとか、今はAだけどこれからはBもあるかも知れない等々、「どっちか」と言う場面よりも、阿部さんの言う「どちらも=and」場面がとても多く現実的な感じがします。そうした意味では、阿部さんのご提案は、的を射たご提案だと思います。

    H.Y.さんからもコメントがありましたので、私がどの様な意味で使っているのかの、そもそもの所から書いて見ます。

    V.S.は「versus」(前置詞)の略語です。大きく、二つの使われ方をしています。
    ①△に対する□、△に対して□のように、対立概念として使われる例です。多く使われる場面としては「原告対被告」と言った訴訟場面での使われ方です。
    ②△に対比して□、△と比較して□のように、対比概念として使われる例です。例えば、「飛行機旅行か汽車旅行か」といった感じの使われ方です。

    私の場合は、どちらかと言えば②対比概念として使っています。それぞれ、の事例をより明確に、よりイメージしやすくする為に、代表的な事例として対比させ、それぞの考え方の特徴を際だたせ、判断の助けにしているのです。判断においても、AかBかだけの二者択一だけではなく、AとBの組合せやAとBとのウエイトの違い、時間的経過の中でのAやB等々様々な考えかに思考を膨らませていけることを想定しています。ようは、自分の考え方を整理する手助けとして、代表例を挙げていると言うことです。

    そうはいっても、このように長々と書かなければ意図が伝わらないような表現の仕方は好ましくないかも知れませんね。いずれにしても、この様な意図であることをご理解して向き合っていただければ幸いです。

    さて、本論です。今回も長いコメントが多く、それぞれの考え方を自分の事例を引きながらコメントしていただいているので、地に足が付いた内容となっており、とても楽しく読ませて頂きました。

    ハチドリさん。早々に着手して頂き有り難うございました。小さい頃の心温まるエピソードから始まり、様々な場面を思い出しながら「集団」という考え方に接近して頂きました。更に、二項対立ではなく、ゲゼルシャフトがゲマインシャフトを後押ししてくれるような関係という提案(考え方)は、厳しい現場で様々な人々や組織に関わっているからこそ導き出された考え方だと感心しています。比較するだけではなく補い合う関わりについて示して頂き有り難うございました。

    阿部さん。今回も貴重な疑問・提案を有り難うございました。第一次集団と第二次集団のギャップの大きさや反対に規模や形態が第一次集団であっても感情の共有が薄かったり、第二次集団でも親密感が共有されているなど、集団の形態と意識間に一筋縄ではいかない事例を示して頂きました。こうした体験が、今回のvsではなくandの提案につながっているのではないかと思いました。多くの方々がうなずく貴重な疑問・提案を有り難うございました。

    スマイルさん。「市民協働」というご自身の大きな関心事を通して、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの「協働」という全く新しい視点・考え方を示して頂きました。更には、ゲマインシャフトの中で培われた想いが、打算的・契約的結びつきと言われるゲゼルシャフトを変えられるのではないか、いや変えたい!そこに、社会学の役割を果たしてもらいたい。学問が単なる研究でなく「社会をより良い方向へ導く気概をもつもの」となり、若者たちも「学び甲斐がある」と感じられるようであって欲しいと切に願います。と結び、力づよいメッセージを頂きました。有り難うございます。

    やまぼうしさん。「集団」の分類を学ぶ過程で「準拠集団」を思い出し、知らず知らずの内にその場からの影響で様々な選択をしている自分がいることを、前に出ていた例に例えれば幽体離脱的に自分を見ています。なかなか面白い発想の展開です。様々な学びを生かして思考を深めている姿勢がうかがえます。素晴らしい姿勢です。まあ~「ソバージュ」で締め括っている所が気にくわないですけどね(笑)。Cafe de Monk 全国サミットをご視聴頂き有り難うございました。

    いくこさん。14講を下にして、絡まった糸をほどくように、これまで関わって来た集団を思い浮かべている。何かの物差しを当てて、物事を見ることで、物事がより鮮明に見えてくる。これは学ぶことの醍醐味そのものなのではないかと思います。

    一般的には、ゲマインシャフトがあってその次にゲゼルシャフトがでてくると考えるのですが、いくこさんはその逆の流れもあるのではないか!との考え方を示してくれました。私は、このコメントを読んで、「マズローの欲求五段階理論」を思い出しました。第1段階の生理的欲求から始まり第5段階の自己実現にいたるという考え方です。一般的には、第一段階から順に上に上がり自己実現を目指すと言われています。しかし、現実は下から上へだけではなく上から下への流れも有り、上がったり下がったりを繰り返していると言われています。

    いくさんのコメントはこれだと思いました。そしてこれにスマイル理論、ハチドリ理論を加えると、現実的な中にあって発展的思考を持てる、そばらしい「知の協働」が成り立つと思いました。「ソバージュ軍団」恐るべし!

    鈴虫さん。これまでのコメントには出てこなかった「Social capital」(社会関係資本)を持ち出し、集団の中での関わりの有り様や受け止め方そしてそれによる影響の大きさや大切さに触れて頂きました。学は全てが血となり肉となる、捨てるもの無駄なものは何もない!そんなことをおっしゃっていると感じました。また、「常に学ぶことが大切というのは、偏った考えに固執せず物事を様々な角度から見てみる必要がある」と、学びには謙虚な姿勢が大切とも語って頂きました。有り難うございます。

    S.M.さん。日常の些細な出来事のなかでの関わりの中に自分の役割を発見した喜びが伝わってくるコメントでした。有り難うございます。「私の所属している集団が温かい気持ちの詰まった集団であるようにと願い、私からも温かいものがじんわりとこぼれるような過ごし方をしたい」。このような姿勢は、次第に他者に伝わり、広がっていくと思います。少なくとも、そうした未来への期待を持って日々精進する人がいる。それだけでもその組織及びその組織のもといらっしゃる人々は幸せだと思います。

    H.Y.さん。私のつたない説明の補足を有り難うございました。そのとおりでございます。

    皆さま、今回も有り難うございました。少々ばて気味の中ではありますが、何とか二日がかりで書き上げました。お目を通して頂けたら幸いです。

    1. 鈴虫 より:

      先生
      お疲れのところ丁寧にコメントありがとうございます。
      VSの解説ではAかBかの選択では無いことが良く理解出来ました。
      両方の良い所取りや、相互作用で其々がより良くなるというのもありですね。そうかと言って、あちこちにいい顔をして八方美人にならない様に、自分の考えはしっかりと持つ必要があります。
      学んだことを無駄にしないようにこころに留めつつ、明日からまた励みます。
      ありがとうございました。

    2. ハチドリ より:

      鈴虫さんと同じく、本間先生、お疲れのところ、今回も講評を大変ありがとうございました。

      いくこさんへの講評にあった『一般的には、ゲマインシャフトがあってその次にゲゼルシャフトがでてくると考えるのですが、いくこさんはその逆の流れもあるのではないか!との考え方を示してくれました。』のところ、私もいくこさんと同じで逆の場合もあると思います。

      こんな事例があります。介護保険が始まる前にたくさんの家庭訪問を行いました。その時、介護保険には該当にならなそうな、でも、こたつの運転手をしている高齢者が多いことが気になり、町から歩いて行ける距離の所でミニデイサービスをしては?の提案をしました。社協に協力をお願いし、地域の区長さんや保健推進員さんと話し合いを持ち、行政区ごとに展開できていったことがあります。

      このようなことも、ゲゼルシャフトから始まりゲマインシャフトにつながっていったケースかなと思いました。

      明日は、第一期(勝手に言ってます😅)最後の15講目となる「かじってみよう”社会学”」ですね。少しお休みの時間をとっていただき、また再開していただけますようにと祈願しております。

    3. やまぼうし より:

      本当にバテ気味だったことかと思います。そんな中、2日がかりで書いてくださったご講評も、お疲れ様でした。
      ふとしたところで、これまでに学んだことを思い出し、頭に入っているのが嬉しく思います。ちょっと前のことを思い出して書いたことに対しても向き合っていただき、ありがとうございました。
      また、○vs△があるとき、場合によっては○と△が支えとなったり、協働で動いていたりと、どちらもお互いのために大切な存在(集団)である場合が多く、それは阿部さんが提案してくださった「and」がぴったしくるな~と思ったことです。先生の講評を読み進めることで、皆さんのコメントの内容がさらに理解が深まります。それはとても嬉しくありがたいことです。

  4. H.Y より:

    こんばんは!
    まだ先生の講評が書き込まれていないようなので今のうちに。

    私はわからない言葉やはっきりしないことがあると調べたくなります。
    今回、たくさんの方が『vs』について意見を述べられていたので、そもそもその意味は何だろうかと調べてみました。
    そしたら、こんな風に書いてありました。

    vs=versus(バーサス)の意味、使い方
    ①訴訟や競技などの「対立」を表す場合
    ②異なる2つの物、考え、選択肢などの「対比」を表す場合

    私もvsと聞くと、すぐに頭に浮かぶのは「対立」です。でも②のような「比べてみる」と言う意味もあるんだなと改めてわかりました。ですので、もしかしたら今回の講義では②の意味なのかもと思いました。

    集団のことは何も述べずにすみません。皆さんのコメントがすべて勉強になります。いつも、ありがとうございます。

  5. S.M より:

    今回も先生の講義から考え、みなさんのコメントからも勉強させて頂くことが沢山あります。
    毎回、自分ひとりの解釈では至らないところにみなさんが連れて行ってくれて、いい勉強になっています。ありがとうございます。

    さて本題に入ります。
    ちょっと個人的なことですが、つい最近、若い同僚のお母さんから「娘が最近また仕事に行きたくないって言ってて、毎朝何て言ってやれば良いのか困ってる」と打ち明けられました。
    ちょうど私自身もちょっとした不調を抱えていて同僚達に気配りする余裕が無い状態だったので、その話を聞いてハッとしました。
    私ほどの歳を重ねてさえも自分自身をコントロールすることが上手くいかないこともある、ましてやハタチそこそこの人生経験の少ない若者が私と同じような状況に陥っていると聞いて、年長者としてたいへん申し訳ない気持ちになりました。
    次の朝、私は彼女に「今朝は寒くてベットからなかなか出られなかったんだょ〜」と声をかけました。彼女も「私もそうなんですぅ」と笑顔で答えてくれたので、短い会話のあと「みんなおんなじだねぇ」と結びました。こんな些細な会話を積み重ねることで、独りじゃないと感じられる空気感を作っていこうと思いました。
    こんなことで彼女をちょっと後押し出来たことが、私自身にも少し元気をくれたようです。
    当然ですが、毎日元気に振る舞って居る周りの人達にも、それぞれのコンディションがあることを今更ながら気づかされました。
    集団の中では自分が影響を受けていることばかりに気を取られがちでしたが、自分からも周りに影響を与えていることはあまり気に留めていませんでした。
    これからはより意識して、一時的に弱っている人に素早く気づける私で有りたいと、集団の中での私の役割の再確認が出来ました。
    私の所属している集団が温かい気持ちの詰まった集団であるようにと願い、私からも温かいものがじんわりとこぼれるような過ごし方をしたいと思えるようになりました。
    私のちょっとした不調が、思いがけないところからの関わりによって少しずつ癒されているのを感じています。
    私を取り巻く様々な関わりに感謝でいっぱいです。

    1. ハチドリ より:

      S.Mさん、『こんな些細な会話を積み重ねることで、独りじゃないと感じられる空気感を作っていこうと思いました。 こんなことで彼女をちょっと後押し出来たことが、私自身にも少し元気をくれたようです』この状況、とてもよくわかります。そうなんですよね、ほんの些細なことでもやり取りがある、コミニュケーションが図れてるって、組織においては特に大切なことのように思います。そして、そう感じることができたときに自分自身も嬉しくなり、元気になると言うのも、うんうん!って、ここにボタンがあったら「いいね👍️」を何回も押したい気分です。

      1. S.M より:

        ハチドリさん、温かいコメントをありがとうございました。
        この状況に共感していただけて心強いです。
        自分を大事にしようとすると、周りの人の変化に対してもさらに敏感になれる気がします。
        こんな自分の些細な変化が、集団にもいい影響を与えられるのかもしれないと、小さな光のように感じます。

        今夜もありがとうございました。おやすみなさい。

  6. 鈴虫 より:

    24日にロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を開始したというニュースが入り衝撃を受けています。
    生まれた国の違いで、人の人生がこんなにも軽々しく台無しにされているという不条理に胸が潰れそうです。
    私達はよその国のたいへん厳しい現実を知ることで、平和の尊さを噛みしめ、常日頃から身の回りの大小の問題に対して平和的な解決方法を考える機会にしたいですね。

    さて、今回の『集団とはなにか』について考えてみました。
    私の所属する数々の集団も、知らぬ間に入っていたものから意志を持って所属しているものまで様々です。
    それぞれの集団の中で、そこならではの役割を持ち、沢山の人に影響を受けたり与えたりしながら暮しているんだなぁと改めて思いました。(自分自身も集団の中で人に影響を与えているという自覚を持つ事は大事ですね!)
    私は普段そのようなことを意識せずに毎日をあたりまえのように過ごしているのですが、それは先生の仰る「時を刻む」という過ごし方ではないと反省するところです。

    ハチドリさんの「ゲマインシャフトで進めていきたいと思いますが、そこにゲゼルシャフトの後押しがあれば、なお心強いかと思います」に私も同感です。
    これはソーシャルキャピタルの考え方と通じるのでしょうか。自分の課題をクリアする為の行動や判断の目安となるものを集団の中で学び、実践していく。
    この時により大きな影響を受けるのは、一方通行でない信頼関係が築けている集団になると思います。もし、方向性の違う集団に属してしまえば、その後の人生が自分の目指すものからかけ離れてしまうことにも繋がりかねません。
    これらのことから、常に学ぶことが大切というのは、偏った考えに固執せず物事を様々な角度から見てみる必要があるということなのですね。
    幸いにも私達は今、現実社会を生きながら社会学をかじることで視野をさらに広げている真っ最中なんだと有り難く思います。
    自分の意思で毎回の講義を受け、自分自身を深く見つめ直しながら考えを整理し、意見を述べるという行為そのものが「時を刻む」ということなんですね。

    時に集団に属していながら孤独を感じてしまう私にとって、みなさんと励まし合い、語り合うことの出来るこの場は、刺激と癒しの両方がある学びの場と心から感謝しています。

    最後になりますが、阿部さんが「なぜvs.なのでしょうか。andにできませんかね」とさらりと仰っていましたが、私もその様に思います!
    そうするにはお互いへの尊敬の気持ちが根底にあることが大前提なのかも知れないと思いました。
    阿部さんのおかげで大切な基本の基を思い出させていただきました、ありがとうございました。

  7. いくこ より:

    先生、今週もありがとうございました。
    私もこれまで関わってきた沢山の集団を思い出していました、その折々に感じた人の在りように対する疑問は、今回の講義をたよりに考えると納得がゆくことが多いようです。学ぶということは絡まった糸をほどくようですね。
    ゲマインシャフトとゲゼルシャフト、Naritaマルシェを例に挙げてくださいましたが、私は少し違うように感じています。成田は1千世帯を超える大きな団地で27年前から入居が始まった比較的新しいところです、人の繋がりには人によって大きな違いがあり、Naritaマルシェのメンバーの住まいは点在していて何かしら地域の役割を引き受けなければ、出会わなかった人たちだからです。
    ゲゼルシャフトで知り合ってゲマインシャフトに移行したと思ったのですが、先生いかがでしょうか。

  8. やまぼうし より:

    人が集まっていればそれを一くくりで集団と言うのかと思っていましたが、集団ってその成り立ちや求めるもので、こんなにいろいろ種類があるのですね。それを知れただけでも嬉しいです。
    私はこれまで、何の気なしに入ったり、願って混ぜてもらったり、知らず知らずのうちに入っていたりと、結構いろんな集団に足を踏み入れていたかもしれません。そして、私の未熟さ故、その集団の本質も理解できないまま「もういいや」と足を洗った集団もあるかなと思います。

    この14講めの講義で思い出したのが「準拠集団」でした。何講めだったかなと見てみたら、第6講めでしたね。わあ、あれから半分以上進んでいるんだとびっくり!

    準拠集団とは『自分自身の態度や意見の形成と変容において、自分を関連づけることによって影響を受ける集団』(新社会学事典)とあり、さらに『これらの集団の規範や価値観との関係において、自らの準拠枠の形を作り、それに基づいて自己の態度などを作り上げることになります』と書いてありました。今回の講義の集団と準拠集団とはちょっとばかり意味が違うのかもしれませんが、集団の規範や価値観との関係において自らの態度などを作りあげていくというあたりは同じなのかなとも思いました。
    そして、今回の集団から逸れる話で恐縮ですが、『もう少し簡単にいえば、私たちは周りの人に影響されながら、無意識の中で模倣しながら、自分の振る舞いを選択しています』を読み直していて、あっ、流行とかブランド嗜好とかがこれだよなと思いながら、あっ、今ここで旬な話題の「ソバージュ」ってこれじゃない?と一人ニンマリしてしまいました。その瞬間、先生の心の声「もう聴きたくありません😅」が聴こえたような・・

    今夜のサミットのご講評の役割、頑張ってください。

  9. スマイル より:

    ハチドリさんや阿部さんのコメント、とても勉強になります。阿部さんのなぜ「VSなのでしょうか」というご指摘、その感覚が素敵と思いました。(特に夕刊の見出しが「ウクライナ攻撃」という衝撃的なものだったので、なおさら)これからは、今まで「VS」と思われていたものでも、対立ではない道を模索していく時代になって欲しいと心から願います。またハチドリさんの「ゲマインシャフトで進めていきたいと思いますが、そこにゲゼルシャフトの後押しがあれば、なお心強いかと思います。」というコメントにも共感いたします。

    私の大きな関心ごとのひとつは「市民協働」です。今回の講義によれば「行政」はゲゼルシャフトに分類されることになるのでしょうか。行政側の「市民協働」の出発点が「仕事だから」「担当になったから」というものだったとしても、関わりの中で「市民協働あってこそ、良い地域になっていくのだ」という気づきとなり、積極的により良い地域への模索へ乗り出す、となったらいいなあ、と。そのためには、それぞれが自立していることが大切。市民も自分の地域は自分たちで良くしていく、という気持ちで行動し、行政の出番と思われる分野はお願いする。そういうすみわけができたら、それぞれが伸び伸びと互いの持ち味や良さを発揮していけるのではないか、それが私の理想の「市民協働」です。きっと、ハチドリさんがおっしゃりたいことも、そういうことなのではないかと。

    「ゲゼルシャフトは打算的、契約的な結びつきを特徴とする」とありましたが、時代と共にいろんなことは変わっていきます。特に、今は大きな変革の時にあると日々感じています。これまで以上に「動機」「想い」が大切で、打算的な気持ちで始まったものは先細りになっていくのではないか、と思います。すでに、これまでは大手をふるっていたものが「これからもそのまま続く」とはいかない風潮になっています。「自分だけでなく周りも良くなるよに・・・」という思いこそが、良い循環を生み、持続するものになるのだということを、社会学のような学問でも伝えていただきたいと思います。

    3つの視点の中のひとつだけを取り上げてみました。学問が単なる研究でなく「社会をより良い方向へ導く気概をもつもの」となり、若者たちも「学び甲斐がある」と感じられるようであって欲しいと切に願います。

    1. ハチドリ より:

      スマイルさん、こんばんは!
      こんな時代に戦争が始まり、とても残念で悲しいですよね。

      さて、先ほどまで「第一回カフェデモンクサミット」に参加しておりました。面白かったなんて軽々しく言ってはだめかと思いますが、とても面白かったです。きっとこのことは、時間が延びてタイトな時間の中でも素晴らしい講評をなさった打たれ弱い(と自分で言ってた)本間先生から教えていただけるかと!

      そして、スマイルさんの『市民協働あってこそ、良い地域になっていくのだ』というのは、本当にそうだと思います。私も行政にいて、地域づくり、まちづくりって市民のみなさんの想いと活動があるからこそ真に良いものが醸成され形になっていくと、つくづく感じています。そういう風に言葉にして力強く言ってくださるのがとても嬉しいです。
      本日のサミットの『協働で共に、住み慣れた地域で、地域資源も開発しながら、みんなが活躍出来るようになったらいい』と言う締めくくりとも通じますね!

  10. 阿部 優 より:

    14講目ありがとうございます。
    講義を聴いて毎回思うのは、幼少期から現在までの自分を掘り下げることで自分を理解することができるということ。また、他者にも当たり前ですが、幼少期からの体験・感情があり現在を作り上げているということ。自分と考えが違う=嫌う人間・間違った人間ではない。

    ゲマインシャフトvsゲゼルシャフト
    第一次集団vs第二次集団
    コミュニティーvsアソシエーション

    6つもあるんですね。

    地縁に基づく村落・同じ集団の集まりという感情を共有している集団というのが感じられない町や地域が多いように感じます。特に都市部。
    僕の住んでいる地域は、朝出会う人に挨拶をしても、半分以上の人はシカトです。隣に住んでいる子どもに挨拶しても無視。僕はこの集団に属するのを拒否されているようです。

    一方、仕事で出会ったお客様とは第二次集団を形成しています。親密に共同している小規模な集団ができています。これはとても楽しいことです。

    僕の属している集団は、主に家族・会社・お客様の3つしかない。
    趣味や思想、目的によって新たな集団に属してみたい。そうなればもっと楽しい人生になりそうです。社会学の視点で僕の属する集団をのぞいてみたら、思いのほか少ないことが分かった講義でした。

    ギモンがひとつありますが、なぜVSなのでしょうか。もちろん対比という意味もあるかと思いますが、対抗・競争をイメージしてしまう。andにできませんかね。

    1. いくこ より:

      「and」私も賛成です。
      「挨拶」私も返してもらえないことが少なくなありません、集団に属することを拒否しているのは相手の方かなと思っているので、めげずに声をかけています。
      近頃うれしいのは中学生が元気な声で自分から挨拶をしてくれることです。先生も関わってくださっている、地域と合同の防災活動をするようになってから目立って多くなりました。自分が地域に受け入れられていると、子どもたちが活動を通して感じてくれたからなのかなと思っています。
      シカトにめげそうになった時には、阿部さんも続けておられること思い出すことにします。

  11. ハチドリ より:

    本間先生、cafe·デ·モンクの全国サミットのご準備、お疲れ様です。そんな中、14講目もありがとうございます。

    今日は祝日なので早めにレポートに着手できました。
    さて私が記憶にある最初の集団はと言うと、まだ幼稚園にも通っていない5歳頃のことです。近所の数歳しか違わない子どもたち4~5人の遊び仲間の集団です。毎日遊んでいて、春にヨモギが出れば家からカミソリを持ち出して指を切ったり、私の家の畳の上にあった貯金箱を誤って踏んで壊してしまった年下の子を叱ったあとに泣かれ、後味の悪さを感じたり、一番面白い遊び場のあるお宅の庭で大声で遊ぶものだからいつも怒鳴っていたおじいさんを最近見かけないなと、そっと縁側から覗きに行ったら座敷に臥せっているのを見つけ、みんなでそっと手を降ったらニコっと振り返してもらい、とても嬉しかったことなどをとても懐かしく思い出しています。
    当時、どんな質だったのかわかりませんが、幼いながら楽しい、悲しい、嬉しいなどを感じる、覚える相互作用のある仲間だったように思います。この私の幼少期の集団は、ゲマインシャフト?第一次集団?コミュニティ?の中の、第一次集団になるのでしょうかね。
    就職してからは『何らかの目的を達成するために共同で生活しようとする理性的な選択意志から形成される集団で打算的・契約的な結びつきを特徴とし、会社や組合などはこれにあたります(合理的選択による集団)』と言う、ゲゼルシャフトの集団に属することが多かったですが、「質を同じく互いに相互作用を継続的に行う集団」に出会えた時はとても有りがたく、行き詰まりや悩みがあっても前に進んでいけたように思います。自分の考えの狭さに気づいたり、目から鱗の学びがあったり、また、人は見かけによらないと言うこともたくさん学んだようにも思います😁👠✌️

    私のお葬式で流して欲しいと思っているくらい好きな歌手K.Oさんの趣味の集団は『人々が自分の個別的な関心を満たすために人為的につくりだす集団』でアソシエーションと言うのですね。還暦を過ぎてもこんなに夢中になれる集団があるのは、ある意味幸せなことだと思っています。

    本当に集団と一口に言っても、たくさんあるのだと言うことがわかりました。

    昨年末あたりから、入り口に足を踏み入れようとしている集団(まだ、集団とは言わないかもしれません)があります。
    原発事故で集団避難をしたけど避難先で知り合いができず、「以前暮らしていた地域にご近所の誰かが戻っているかもしれないから帰りたい」と息子さんに頼んで自宅に戻ったAさん。しかし、Aさんのご近所にはたまたままだ誰も戻っていなくて、道路を走るトラックを眺めるのが唯一の楽しみだと聴き、何とかしたいと思ったメンバーが集まりました。その後、社協さんにもつながり、週一回外出するサービスも利用するようになったようです。週一回でも楽しみがあるとないとでは張合いのようなものが違うと思います。そして、現実はまだまだ厳しいのですが、普段、もっと他者との関わりを持てるような、近隣や地域社会、NPOやボランティアなどが行う活動で公的なサービス以外のインフォーマルサービスが何かできないかなと想いを寄せて話し合いを始めた、集団の入り口に入ったのが、仮称「ねっぱす」です。まだ、う~んと唸る時間が多いのですけどね。

    そのようなわけで、今回のお題の「みなさんはどちらでコミュニティづくりを進めますか?」は、ゲマインシャフトで進めていきたいと思いますが、そこにゲゼルシャフトの後押しがあれば、なお心強いかと思います。

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