泣いて喜ぶ岩谷堂の羊羹

隣の娘家族が週末に花巻にあるらしい雪遊びのできる温泉宿に行きました。コロナ禍で少々活動量の減っている孫を思う存分遊ばせたいということで出かけたようです。なかなか良い心がけと喜んでいます。それに、何と何とお土産に「岩谷堂の羊羹」を買ってきてくれました。孫には、外に出かけた時には「お土産」を買ってくるものだよって何度も言い含めた「一次社会化」が功を奏したようです。娘からしたら、旅館代金の割引の他に地場産品を安く買えるクーポン券が付いていたようで、それを「消化しただけ」らしい。なんと親不孝者めが!

岩谷堂羊羹「本練」630g

日曜日に頂いたのですが、三回目のコロナワクチンで少々参っていたので、口にすることなく、数日寝かせたから頂きました。羊羹は「とらや」等とのたまう方々も多いのですが、いやいや羊羹は「岩谷堂」でしょう。

虎屋は、確かに室町時代後期の創業で、パリにも支店を持つ和菓子製造販売の第一人者です。経営理念は「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」と、いたってシンプル。味は確かに美味しく天下一品だ。人気があるのはわかる。ここは素直に認めよう。

でも、岩谷堂(回進堂)だって負けてはいない。『始まりは延宝年間(1637〜1681)と伝えられ、伊達藩・岩谷堂城・城主の保護奨励により城の名をつけることを許されたとされています。以来、300有余年の時を育み、伝統を受け継いできた「岩谷堂羊羹」。その歴史の中で、回進堂は羊羹専門の菓匠として誕生。古来伝来の古法古格をつくりの柱として変わらぬ技、変わらぬ味をかたくなに守り続けています。「喜びの時、悲しみの時、団らんや憩いの時いつの時代も、人々の暮らしに寄り添い、心を和ませる羊羹づくりを」そんな思いを胸に刻みながら、日々、技と心を磨いています。』との理念。

「喜びの時、悲しみの時、団らんや憩いの時いつの時代も、人々の暮らしに寄り添い、心を和ませる羊羹づくりを」泣かせるではないか岩谷堂。虎屋の「「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」」という、チョットおすましした感じの、如何にも私は都会よ!っていう語調が気にくわない。私は片田舎の中新田生まれで都会的センスとは縁遠い。私の身体は東北魂!(サンドイッチマンの言葉を借用)がてんこ盛り。東北人は、謙虚、質素、寄り添いが心情。虎屋の少し突き放したツンデレ的な所とは一線を画し、何とも暖かみを感じる。味だって虎屋と遜色ない。虎屋に負けるな~、私は「岩谷堂」押しだ!

私のお気に入りは「本煉」昔ながらの製法と味を守り抜いた伝統の逸品。小豆の深い味わいを楽しめます。「おいしくな~れ、おいしくな~れ」(どこかで聴いたことのあるようなセリフ)と、ゆっくりじっくり小豆と会話しながら小豆本来の味を引き出している様がありありと蘇ってくるような味わいです。素朴な味わいの中に、郷愁や母の優しさ等を思い出させてくれる唯一無二の一品。「和菓子」という言葉では伝えきれない味わいを持つ岩谷堂羊羹。みなさん、ご笑味あれ~・・・・!

謹んで申し上げます。もしも、もしもですよ。どこかに出かけて、私に何かお土産でもって、もしもですよ、あくまでももしもですよ、頭をかすめたら、迷う必要はありません。「羊羹」をお願いします(笑)。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

泣いて喜ぶ岩谷堂の羊羹” に対して5件のコメントがあります。

  1. S.M より:

    少しの間HPをチェックしそびれていたら羊羹談義が始まっていたのですね。

    岩谷堂vsとらやですか、私は美味しいのでどちらも好きです。以前のコメントで言っていますが、私の仏壇にたまにはとらやの水羊羹を供えて欲しいと子供には頼んであります。それが美味しいからと、子供がお盆の帰省の時に私のためにこれをと買い求める姿を想像してみているからです。

    そして、昔むかし、私の故郷に『とらや』というお菓子屋さんがありました。子供の頃、大事なお客さんがある時にはその店に行ってお饅頭やケーキを選ばせてもらえるのがとっても嬉しかったです。今はもう、駅前ホテルの並びに看板だけが残るその場所は、私にとって甘くて嬉しい思い出のある場所です。そんなこともあって、『とらや』には勝手に親近感がいっぱいで「おらほのとらや」みたいに感じているのです(笑)

    羊羹へのこだわりひとつにも、それぞれの思い出にまつわるエピソードがあるようです。そのようなことを聞けるのも楽しいですね♪

    追伸 もちろん「おらほのとらや」はツンとした『とらや』とは別もののお店です(?)と、思います。今思えば、あのでっぷりとしたお腹のおじさんは『とらや』に追いつけ追い越せと精進をされていたのかも知れません!

    1. ハチドリ より:

      S,Mさん、こんばんは!
      「おらほのとらやさん」のお話、ほっこりとしますね。看板だけが残っているのですか。それではやはり、同じ名前の「とらや」には反応しちゃいますよね。

      とらやの水ようかん、食べてみたいなと思います。今度、仙台三越に行くことがあったらぜひ地下に寄ってみたいと思います。気にいったら、私もお供えしてもらうようお願いしちゃおう(笑)

      私は「まずは自分で確かめてみる」をモットーにしており、まだ食べたことのない岩谷堂の羊羮をお取り寄せしてみました。しかも本練と黒本練の2本です。ククク( *´艸`)

      1. SM より:

        ハチドリさん。今回もお返事を有り難うございます。羊羹も百聞は一見にしかずですか、食べてみなくちゃわかりませんものね。手元に届くのが楽しみですね。

        こんな話を思い出しました。若い頃に職場にいた叔父さんは、甘党が高じて白松がモナカ本舗に就職したそうです。そしたら最初にしたことがでっかいボウル一杯の餡子を食べることだったそうです。食べ盛りの新人達は、喜んで食べ始めたけれど最後にはみんなお腹が痛くなってしまったそうです。その後は餡子のつまみ食いはする気にならなかったそうですよ。少々手荒ですけど、なるほどね〜と思いますね。何ごともほどほどが良さそうです😊

        ほとんど思い出すことも無さそうな場面をこうして思い出し、ひとり笑っています。ありがとうございました。

        1. ハチドリ より:

          何日も経っての返信、ごめんなさい。今、読んだもので!
          その甘党の叔父さんとお話をしてみたいです。ボール一杯のあんこは同じ物だったのですか?とか、なぜ違うあんこが食べられなかったのですか?とか聴いてみたいと思いました( *´艸`)(笑)

  2. ハチドリ より:

    30年近く前になるのでしょうか?
    ソバージュにして肩パットの入ったブレザーを羽織り、ハイヒールで流していたハチドリです。さらに言えば、真っ赤な口紅もつけていたかもしれません。少し前についテレビによく出ていた、あのバブリーダンスみたいにカッコよくはありませんでしたが、ブラウスにもカーディガンにも肩パットが入っている時代でした。
    でも、あんなにブームだった肩パットの入った洋服は今は一枚もありません。
    もったいなくて肩パットを外したこともありますが、それはやはり変な形になり、もったいないけど思いきってほとんど捨てました。
    なのに、今残っている洋服は、着ないのになかなか断捨離が進みません(笑)

    さて、三回目のワクチン接種後も副反応で大変だったようですね。でも、すっかり良くなったご様子が、この投稿記事で推察されました。このワクチン接種、いったいいつまで続くのでしょう。飲み薬もできているようですが、副作用の極力少ない物が早くたくさん行き渡るようにならないかなと願っております。

    それでそれで、羊羹のお話です。
    長男の彼女(東京の人)が初めて家に来てくれた時のお土産が、とらやの紅白のもなかの詰め合わせでした。
    「とらや」というお店も「可愛い梅の形をした紅白のもなか」も、当時の私は見たことも聞いたこともなかったのですが、「とらや」は、室町時代後期、京都で創業した和菓子屋なそうですね。
    どんな味なんだろうともなかを一口食べた時の「ねっとりした程よい甘さのこしあん」に、衝撃を感じるくらいとても感動し、宮城県では売ってないのかしらと検索したら三越デパの地下で売っていることがわかり、わざわざ買いに行ったものでした。

    先生が書かれていた『「喜びの時、悲しみの時、団らんや憩いの時いつの時代も、人々の暮らしに寄り添い、心を和ませる羊羹づくりを」泣かせるではないか岩谷堂』はわかるような気がしますが、『虎屋の「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という、チョットおすましした感じの、如何にも私は都会よ!っていう語調が気にくわない』は、チョットの三乗くらい私にはわかりません。でも、岩屋堂羊羮の本練630gにも興味津々、ポチっとしてしまいました。きっと先生は東北を心から応援していらっしゃるのだと思います。

    私はケーキなら甘くないクリームのケーキ、でもどちらかと言えば、フルーツたっぷりのパフェやアイスクリーム、そしてあんこのお菓子が好きです。日本茶はもちろんですが、濃い珈琲を飲みながら食べるあんこのお菓子もなかなかです。

    お土産は羊羹がご所望なんですね。
    メモしておきます φ( ̄ー ̄ )!

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