「国家百年の計」を担う教員が不足している
河北新報(2月1日)1面の「小中高教員2,558人不足」に目が止まりました。読めば、2021(令和3)年4月の始業日時点で、2,558人の教員が計画通りに配置されなかったあります。全体の5.8%の1,897校が該当しているそうです。これは、文部科学省が初めて実施した教員不足全国実態調査でわかったともあります。
しかし、遡ること2年前の河北新報電子版(2019年12月04日 13:53)では、「先生足りないSOS 欠員でも代替講師見つからず 宮城の小中学校、現場でカバー限界」との見出しで『「宮城県内の小中学校で先生の欠員が深刻だ」。ある現役教諭からの悲痛な訴えが「読者とともに 特別報道室」に寄せられた。県教委と仙台市教委に聞くと、病気や出産、育児で長期休業した人の代わりとなる講師が見つからないなどし、一部の学校で人員不足が生じているという。今のところ児童生徒に履修漏れはないものの、授業が遅れるなどの影響が出ている。県教委と市教委によると、県内の公立小中学校では9月1日時点で107人の教員が不足。既に講師が見つかって欠員が解消された学校もあるが、年間を通じて教員不足は続く。』と報じています。
このように、教員不足は今に始まったことではないようなのですが、2月1日の新聞では、「文部科学省が初めて実施した教員不足全国実態調査でわかった」とあり、今まで何をしていたのかと思ってしまいます。
小中学校では、多忙化への敬遠などから教員志願者が減少傾向にあるといい、産休・育休取得者や病気休暇者を補う人材が不足する現状が浮かんでいます。また識者からは、学校が過酷な職場だとの認識が広がり人気が落ちたことを上げる意見も多いです。2021(令和3)年度採用公立小学校教員の競争倍率が2.6倍と過去最低を更新したこともわかっています。
文部科学省は、こうした状況に対して、不足分は、教員採用試験を目指す教員免許取得者らを講師に臨時採用して補ってきたと語っています。こうした文部科学省の対応に対して現場の教員は「教員不足を講師で埋めるという目先の解決策にとらわれてはいけない。負担軽減や教員の増員に本気で取り組まなければ、なり手不足は解消しない」と語っています(愛知県一宮市立小学校教員)。全く同感です。具体的な影響としては、教員が次々と入れ替わるためか、「子ども達に落ち着きがなく、ちょっとした言い合いが増えたようだ」と語ります。当然の反応だと思います。
「教育は国家百年の大計である」という言葉を耳にしたことがあると思います。人材育成こそ国家の要であり、また100年後の日本を支える人物をつくるために長期的視点で人を育てることの大切さを説いた名言です。元々は、春秋戦国時代を代表する名宰相「管仲」の言葉です。その言葉とは「一年の計は穀を樹えるに如かず。十年の計は樹を樹えるに如かず。終身の計は人を樹えるに如かず。」です。
「国家百年の計」という言葉は、文部科学省中央教育審議会中間報告『新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について』(中間報告)(平成14年11月14日)「はじめに」にも引用され「国家百年の計である教育の在り方は,国民一人一人の生き方や幸せに直結するとともに,国や社会の発展の基礎を作る大変重要な問題であり,特にその根本法である教育基本法の在り方については,国民的な論議が不可欠である。審議会では,今後,教育関係者をはじめ国民各層の意見を伺い,更に議論を進め,答申を取りまとめることとしている。この中間報告を機に,国民の皆様が教育への関心を一層高め,幅広い視点から活発な議論を展開していただくことを期待したい。」と書かれています。
しかしながら、この言葉とは裏腹に、教育の現場を支える教員の数は、新聞報道にあるようにお寒い限りです。未来を担う子ども達の教育を担う学校では、教員が忙しく走りまわり「モンスターペアレント」と呼ばれる、常識では考えにくいクレームや要求を突き付ける人々の対応に追われます。「学校が過酷な職場だとの認識」される中にあっては、優秀な人材は集まりません。彼らが、教育に専念できる環境の整備は、制度改正を待つばかりではなく、私たちにも出来ることはあるように思います。以下は、その大切な機会になります。
文部科学省では、学校が地域住民等と目標やビジョンを共有し、地域と一体となって子供たちを育む「地域とともにある学校づくり」コミュニティ・スクールを推進しています!コミュニティ・スクールは、学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで、一緒に協働しながら子供たちの豊かな成長を支え「地域とともにある学校づくり」を進める法律(地教行法第47条の5)に基づいた仕組みです。
私たちの未来を担う子どもたちを守るためには、教員を守り疲弊させないようにする取り組みが重要です。教員を増やすことは真っ先にやる必要がありますが、同時に私たちにも教員を支える活動を考える必要があると思います。以下は希有で貴重な実践例です。
スマイルさん
今回のコメントからも、教育現場の課題に向き合う並々ならぬ熱意を感じました。
これまでもスマイルさんからは常に子供達と教育環境に絡めたコメントが熱く語られてきましたが、その背景にとんでもなく荒れた時期を経験されていたことを知り、そういう事なのかと納得しました。
地域の子供達と学校を守りたいと本気で関わり続ける姿勢が、周りの人達を惹き寄せ、じわじわと良い連鎖に繋がってきているのでしょう。
でも、ここで手を緩めてはたちまち元の木阿弥という未だに危うい環境だと訴えているのですね。
その強いメッセージが私にもしっかりと伝わりました。
この地域にスマイルさんやお仲間達の力強い連携があって本当に良かったです!
未来を背負って立つ子供達を地域の大きな愛情をもって見て守る行為、私も今から心掛けていきます。
もう、気持ちは地域に積極的に参加しています。ありがとうございました!
「かじってみよう社会学10講」のコメントで本間先生が私たちの活動について触れてくださいました。地域の学校が荒れてしまい、先生方も保護者もお手上げになり、地域でも立ち上がった時のことです。なんとかしたいと思って行動起こした保護者の子どもがいじめにあう、それでみんな躊躇してしまう・・・という悪循環。それならば、もう子どもが卒業している私たちが立ち上がろう、となり、教室の見守りをしました。
怖いものなしになっていた子どもたちは、地域の人だろうがお構いなし、ここでは書けないような暴言を浴びる日々、時に怪我をするのではないかとハラハラすることもありました。一番切なかったのは、私たちの姿を見てとても喜んでくれた子どもたちが、後に涙ながらに「もう、見ていられない。いつも良くしてくれる人たちがあんな暴言を浴びせられている姿は耐えられない」とお母さんに訴えたという話。私も涙が止まらなくなりました。誰がどう手を尽くしても、どうすることもできない状況だったと思います。
でも、私たちは「子どもたちのため」だけでなく「学校や先生のため」に続けました。疲れ切って表情もなくなっていた先生方が、私たちの姿を見ると「今日もありがとうございます。本当にありがたいです」と声をかけてくださいました。子どもたちの責任は先生方だけにあるわけではない、私たち地域にも責任はある、ということを行動で示したかった。
別の会議でその学校の先生にお会いした時、涙ながらに「みなさんの姿を見て、私たちもこうしてはいられない、と話し合ったんです。本当になんとお礼を申し上げたらいいか」とおっしゃってくださいました。その時の教頭先生が転任される時に次の教頭先生に伝えてくださったようで、わざわざ家まで挨拶に来てくださいました。その後校長先生も代わられたのですが、その校長先生は私たちのイベントに足を運んでくださり「本当にお世話になったとお聞きしています。当時のことをお聞かせください」と熱心に耳を傾けてくださいました。
今、本当に学校や先生方は大変です。地域でもできることがあるなら、未来を創る子どもたちのためにも手を尽くす必要があると感じています。今の社会や子どもたちの姿は、私たちすべての大人が選択してきたことの結果です。これからの選択一つ一つが未来の社会や子どもたちを創っていきます。そのことを忘れずにいたいです。
スマイルさん、改めて10講目のところを読みました。
中学校が荒れると言うのは聞いたことがありますが、小学校が大変だったと言うのは初めて聞いたかもしれません。コメントに書いていただいた内容、状況が胸に刺さるように感じました。本当に大変な状況だったようですね。
立ち向かった親御さんのお子さんがいじめられるからと、お子さんが卒業したスマイルさんが先導に立って頑張られたのですね。その想いに賛同して一緒に動いてくれたお仲間がいてくれたのも素晴らしい!と思いました。いざと言う時に同じ目的に向かい、同じ想いで動いてくれる人がいるということも、それは日頃の行いが素敵なスマイルさんの人徳のような気がします。学校の先生方もどんなにか支えになったかと思います。
とにもかくにも、書かれていたようなことは実際の行為に結びことはなかなか出来ないように思いますが、実際に動いたスマイルさんたちから大きな勇気をいただけました。この事は学校以外の様々なことにも通じます。
最後の方に『今の社会や子どもたちの姿は、私たちすべての大人が選択してきたことの結果です』とありました。そうなんですよね。その事をよく考えていかないとなりませんね!ありがとうございました🤗