かじってみよう“社会学”11講目 相互作用論の世界「役割葛藤」

前回から社会学理論の核心には入り、その「役割」をもう少し深掘りし、役割を分類して更に理解を深めていきたいと考え、二つの代表的な分類「構造的役割と対人的役割」をご紹介しました。賢明なみなさんは、構造的役割と対人的役割の相補性にまで言及するなど、学びが進んでいることをうかがわせる記述が多くありました。役割から逃れることのできない私たちの悩ましい状況について触れたいと考えます。

私たちは、たいてい同時に複数の地位につきそれぞれの役割を果たそうとします。その数は、幼い頃は少なく歳を重ねるにつれて多くなります。働き盛りのときにピークに達し、それから徐々に減少していくというのが一般的なライフコースです。

このことは、多くの人のイメージにそう大差なく理解して頂けると思います。一方、昨今は、非正規労働などが一般化されていると聴きます。総務省の調査によると、令和2(2020)年における非正規雇用労働者の割合は、女性54.4%、男性22.2%です。雇用格差、男女格差が顕著です。何より、雇用に安定感がなく、常に失業の不安が付きまといます。この様な雇用環境下では、安心して暮らすことが難しいと思います。人件費は「コスト」として捉えられ、消耗品的に扱われる。この様な状況下では、職場に対する忠誠心などは持ちにくく、役割期待に応えるという気持ちを維持することはなかなか難しいことと思います。

様々な地位・役割を持つことが求められる中で、その土台がしっかりしていない。様々求められる役割期待の一つひとつに丁寧に応えようとすると、多くの葛藤が生まれそうです。それでなくとも、私たちは、歳を重ねるにつれて多くの地位・役割を持つことを求められます。

働く主婦の例を挙げれば、仕事と家事と育児、更には何もしようとしない夫の面倒等々です。仕事での疲れがたまっている中で、様々な役割が覆い被さる様に重なってくると、些細なことで感情が爆発したり、反対にそんな自分を責め、母親として失格なのではないのか、夫に対する愛情が足りないのではないか等と考えてしまいます。また、中間管理職の立場にあったりすると、上からも下からも突き上げられ攻められ、左近のITC化(デジタル機器や情報化によるテクノロジーを取り入れ改革を進めること)の波に乗り遅れそうになり、若い部下にあきれられる等々、職場でも家庭でも居場所がなくなっている感じに苛まれます。その結果、役割期待に応えようとすればするほど「自分にはこの仕事は向いていないのではないか」「能力がないのではないか」等と考え落ち込んでしまいがちです。

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こうした状況を「役割葛藤」とよび、誰しもに身に覚えのある経験で、日常の悩みの非常に多くの部分がこれにしめられているといいます。物事に一生懸命尽くそうとする人はことさらにこの傾向が強いようです。人は、こうした役割葛藤をどのように解決しようとするのでしょうか。時間をやりくりして何とか応えようとする。「無理です」とハッキリ言う。優先順位を付ける。何らかの道具を用いて仕事の効率化を図る等々、様々な対応策を駆使して解決を図ろうとするのでしょう。しかし、役割期待に応えようとすればするほど役割葛藤の悩みは深くなる。かといって手を抜いたり、無理だと開き直ることも難しい。

私たちは、他者からの期待の応え、彼らから評価してもらうところに生きがい(対自欲求の満足)を見いだしているところがあります。NOと言えない日本人がここにいます。NOといったとたん生きがいまでも失ってしまいそうになります。私たちの人生は、このように、かくもやっかいな代物なのです。役割は、自分を奮い立たせ目標に向かわせる力にもなり、自分自身を能力のない存在なのだと思わせてしまったりします。いったい、どう付き合えば良いのでしょうか。「ひとを悩ます役割葛藤」、困ったものです。

みなさんはどの様にして、この悩ましい役割葛藤を解決しようとしているのでしょうか。私は、仕事のピークを越え「市井の人」になっても、役割葛藤に喘いでいます。千一回峰業の修行しかないのでしょうか?それは絶対無理なので、「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」これで役割葛藤への応えを見つけに行くのが一番なのかも知れません!

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

かじってみよう“社会学”11講目 相互作用論の世界「役割葛藤」” に対して17件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    2周目の11講目
    相互作用論のつづき
    『役割葛藤』
    地位と役割の数は幼いころは少なく、働き盛りで最も多くなり、その後徐々に減少していく。しかし、昨今は非正規雇用など、雇用不安のある地位もはっきりしない働き方が増えてきた。そこでは自分の役割を果たそうと努力する気にもなれないのではないか?

    逆に、役割が重なっている状態(働く主婦など)では、役割期待に応えようとするあまり自分を卑下して落ち込んでしまうことがある。一生懸命尽くそうとする人ほどこの葛藤が強くなる。→日常の悩みの多くが役割葛藤

    無理なら断る・優先順位を付ける・効率化を図る・手を抜くという方法もあるが、対自欲求の満足を得たいのでがんばってしまう。この矛盾をどう解くか?

    僕の考える解決案
    ①自分を褒めてあげる
    少しでも成果を出した自分を褒める。褒められたら葛藤はなくなる(減る)。

    ②そこまで期待されていないことを知る
    自分が思っているほど相手は期待していないものだ。『君には期待しているよ』という言葉は全員に言っていると思っていい。

    ③対自欲求を抑える
    まず、自分で自分の要求水準を高くしすぎないこと。
    次に、役割期待に応えることで対自欲求を満たすことは、5講で学んだ『創造』という方法だが、これだけに頼らず、『愛』と『統合』に頼る。

    子どもにはもちろん、大人にも言ってあげたい。人は必ず誰かに愛されて生まれてきたし、君にしかない良さがあると。

  2. welfare0622 より:

    みなさん、今回も“かじってみよう“社会学”11講目 相互作用論の世界「役割葛藤」をお読み頂き有り難うございました。みなさんから長文の(汗)力作小論文である8件ものコメントを頂き恐縮しています。コメントを遠慮して、読むことだけに徹して頂いているみなさんも有り難うございました。みなさんのコメントはだんだんと核心を突くような記述になり、とても嬉しいです。頭で考えるだけではなく、文字に起こして言葉にするというもうひとつの手間が、自分の考えを整理する機会になっていることを強く感じます。

    さてさて、みなさまのコメントを振り返らせて頂きます。

    スマイルさん。「人件費はコスト」これこそが問題で、自殺や登校拒否そしていじめ等々の根源は「唯一無二の大切な存在として扱われていない」ことに起因していると断言しています。全く同感です。こうした状況が子どもまで巻き込み社会全体に蔓延しています。私たちはこうした状況に大きな問題意識を持つ必要がありますね。改めて意を強く持ちました。

    スポ少の事例がありました。その中で「考えた上で振り絞るべき勇気」が、理不尽な中に置かれた子どもを守るとあります。「役割葛藤」とがっぷり四つに取り組む親(母)の強さを感じました。

    「しかたない」「あきらめ」のしわ寄せは、更に増幅して次世代にのしかかる。私たちは、その警鐘を忘れてはいけない。連綿としたつながりの中で、少しでも良い方向に歩を進めようと力強い言葉で締め括って頂きました。この論述に、力強さ、勇気、そして深い愛情を感じました。役割葛藤に喘ぎながらも、常に高みを目指し、あきらめないで、あるべき姿を追い求める。そんなスマイルさんがとても大きく見えます。

    阿部さん。後段の記述。自分にとって自分が最大の理解者であって、自分くらいは自分を褒めても良いのではないか。甘えて何が悪い(本当は、他者に褒めてもらいたいけれど)。わかるな~・・・!社会という荒波の中でもまれている人の言葉だ。

    「役割葛藤」は、それぞれとの向き合い方で、大きくも小さくもなる。また、自己防衛本能が先行して「そこそこの生き方」を選択する若者への警鐘とも言える記述がありました。役割葛藤を考える際の幅の広さを感じさせられた阿部さんの論述でした。

    ハチドリさん。役割葛藤を自分の体験から四つの具体的な場面を下にして説明して頂きました。とてもイメージしやすい記述になっています。
    ①多忙な中にあっては、同僚との関わりの有り様で対応が多少異なるものの、基本的には楽しみを見いだして取り組んでいる。
    ②能力を超えそうな役割の時は、結局引き受けることを選択し、重圧につぶされそうになりながら取り組む。色々方法論を考えながらジタバタしても諦めるという選択肢はない。
    ③障がいを抱えている方々との関わりでは「キリがない」という考えかたはしない。じっくりと話に耳を傾け寄り添うという姿勢を崩さない。結局、それが一番の近道になることを体験からわかっているので、急がば回れを実践している。このことについては、スマイルさんも共感していましたね。
    ④仕事と家庭との折り合いの付け方は、子ども達への多少の後ろめたさを持ちつつもアリナミンVで乗り切る(笑、私の場合はもうチョット高価なユンケル)。

    座右の銘『一生勉強 一生青春』にあるように、身に降りかかる全てのことは「勉強」と受け止め、「あきらめない」という青春のキーワードを持ちながらことに向かっていく姿がよくわかる記述でした。私は、このような姿勢に強く共感します。

    鈴虫さん。年を重ねると時計の針が早く感じる。それは、幾つもの地位役割を兼ね、身体も時間も足りなくなるかも知れない。特に、「仕事を辞める」という選択肢を持たない様にすれば尚更でしょう。役割は他者と喜びを分かち合えるが、葛藤は自分自身の中で向き合い処理するしかない。なるほど!さすがです。

    また「能力の天井を押し上げる」限界を超える努力を惜しまないことで、より良く生きたいとする前向きな姿勢は、人生をポジティブに生きるという視点でも、とても大切な考え方だと感心しました。

    いくこさん。色々と考えている間に、周りの方々が次々とコメントを寄せ、それを読んで更に自分への問いかけが深まっていく。よくわかります。「役割期待との向き合い方」で、いつも自分の姿を思い浮かべながら葛藤している。でも、そんな自分は嫌いではなく、堂々巡りになっても逃げ出したりもせず考え続ける。そこがいくこさんの良さで有り強みだと思います。

    また、自分を客観視することの大切さにも触れて頂きました。相手の定まらない、もしかしたら思い過ごしかも知れない等々、様々な状況の中でもがいているときは、チョットだけ高いところから自分を引いてみることは、おっしゃるように大切だと思います。

    これは深みにはまり、身動きが取れなくなってしまいそうなとき等は、特に必要な姿勢だと思います。自分が機嫌良く生きていくためには、特に持つべきスキルだと思っています。今回も有り難うございました。

    みなさま、今回も多くの学びを有り難うございました。小石が広げる波紋のように、細やかな波風は、池に落ちた枯れ葉を岸まで運び、手ですくいやすくしてくれます。課題を遠くの手の届かない場所から、身近な場所へと移し変えてくれる貴重な原動力になります。この場が、そんな機会となってくれたら幸いです。今回も有り難うございました。来週も宜しくお願いします。

    1. ハチドリ より:

      本間先生、いつも講評をありがとうございます。そのお陰で皆さんが書かれた内容をさらにさらにわかりやすく、深く導いてくださり、とてもありがたいです。自分が書いた所なんかも言葉の表現をちょっと変えてもらったりして、あら?こんないいこと書いたかしら?と別物✨のように感じることもあります(笑)

      先生、当時、私は初めて飲んだアリナミンVはとても効果てきめんでした。たしか270円位でした。しかし、あまりに残業が続いて、遂にアリナミンV Vと言う500円以上の物に手を出してしまいました😅
      でも、先生が飲まれているユンケルにはかないません😂☝️

  3. いくこ より:

    先生、今週もありがとうございます。ハチドリさんと同感、シューズとっても素敵です。
    深~いテーマにう~んとうなり、考えているうちにみなさんの素晴らしいコメントがアップされて、更に自分に問いかけていました。
    「役割期待への葛藤」いつもそこでぐるぐるしてきたと感じています。いつも時間に追われている自分をなんとかしたくて考え続けてきたようにも思います。
    以前阿部さんがおっしゃっていたと思うのですが、自分を観察することが大切と思いました。
    その役割期待をしているのは誰なのか、相手なのか自分なのか?物事にのめりこんで、実は存在していない役割期待を作りだしていないかと。
    ようやく少しずつ気づいてきたこの頃、私の場合は仕事がらみのものではないこともあって、自分が機嫌よくできるようにと考えています。

    1. 鈴虫 より:

      いくこさま
      「その役割期待をしているのは誰なのか、相手なのか自分なのか。物事にのめりこんで、実は存在しない役割期待をつくり出していないか」という考えが胸に迫り、深く考えてしまいました。
      私は今までそのように考えてみたことがありませんでしたが、確かに私たちに求められているものの多くは明確に「これです」と提示されることばかりではないように思います。
      そのような中で、実は自分自身で勝手にこうしたい、こうあるべきだと目指す姿を作り上げ、それに向かって突き進んでいるのかもしれません。
      だとすると、その役割期待をしているのは自分自身だと言えますね。
      ここまで考えて、それは独りよがりと同じなのか?という疑問が湧きますが、いや、それは違う!と思いたいです。
      誰かのためにと考えて、時には考えるより先に体が動いてしまう行為の多くは、より良くなるために行われていると思うからです。
      たまには良かれと思った行為が善意と受け止められないこともありますが、気がついたのに見過ごすことよりは余程人として真っ当だと思うのです。
      でも、出来るだけ相手の必要を聴き取り、それに添いながらより良い加減を導き出していくのが大人の振る舞いと言えるのかもしれませんね。

      1. いくこ より:

        鈴虫さんへ
        コメントをありがとうございます、先生がおっしゃる通り言葉にしようとすることで更に考えることができました。
        鈴虫さんが担っていらっしゃる役割期待は仕事上の責任を伴うものが多いのではないでしょうか、独りよがりのものではないと思いたいとお書きです、真摯に向き合っておられる仕事への姿勢を感じ、ありがたく思いました。私の場合はボランティアや家族とのやりとりの場面で感じたことです。例えば、PTAの役員を引き受けた時、自分が適任とは思えていない(実は苦手なことが少なくないので)だけど、PTAという組織は親として先生方との連携を図るために無くしてはならないと考えているので、引き受け手がいなければ自分がやるしかないと引き受ける。そしてあて職の会議にも頑張ってすべて出席、単身赴任で夫が留守の中子ども達は留守番、晩ご飯も手抜きでやっと、などということが時々ありました、お恥ずかしいです。引き受けたことに後悔はありませんし、これは一例で他にも色々ありますが、もう少し俯瞰しての判断ができて「良い加減」を導き出していれば、煩悶することもなかったなぁと思い出していました。

        1. 鈴虫 より:

          いくこさん
          今日もありがとうございます。
          私も同様にPTAの役員など、はじめは押しつけられる様にして請け負い、ひとつ繋がるとそっちもこっちもと役割が増えていきました。
          でも、交ぜていただいたからには、何でも協力したいと思って参加させていただきます。
          母の教えで「誰かがやらなければならないことなら進んで引き受けなさい。同じやるなら楽しんでやりなさい」と言われて育ちました。
          また別の方からは「頼まれるのはあなただからだよ、やりたいやりたいと手を上げても頼みたくないと思われる人もある。有難く引き受ければいい」と。

          だからいくこさん、忙しくて手抜きの晩ご飯でも恥ずかしくなんかないです。子供達はそうして走り回ったお母さんを誇りに思っているに違いありません。
          いくこさんはそのままが絶対にいいんです!!

          1. いくこ より:

            鈴虫さん
            あったかいエールありがとうございます。
            素晴らしいお母さまですね、いつも前向きに人を導く、そのようでありたいです。

  4. 鈴虫 より:

    幼い頃には一日の時間も十分に足りて、夏休みやお正月はまだかと楽しみに過ごしていたものでしたが、大人になるにつれて一日があっという間に過ぎること。
    何故だろうと不思議に思っていましたが、今回の講義でようやく納得のいく答えが見つかりました。

    私たちは歳を重ねるごとに同時に幾つもの地位役割をつとめ、それぞれの場面において期待に応えるべく学びと実践を繰り返しています。
    それに加えて、自分だけのこだわりは譲れず他人には任せられないとなると、体も時間も足りないと感じるのは当然なのですね。
    でも、家でそんな状況をちょっとでも嘆いてしまったら「それなら仕事を辞めたらいい」と言われるに違いありません。(いやいや、仕事は生きがいですから辞めるなど考えられません、、、、)と、心の声です。
    というわけで、表面上は毎日平静を装って過ごしています。

    考えてみれば、家族、仕事、友達、地域活動、趣味といくつもの役割があるからこそバランス良く生きられているのだと思っています。
    例えば、仕事上の役割葛藤に悩んでいる時でも可愛い孫の最新ムービーに癒されたり、仕事で充実感を味わえれば鼻歌まじりで家事をすることだってあります。

    そもそも役割とは誰かのために努めるもので、その中で感じる喜びは相手と分かち合うことが出来ますが、葛藤とは自分自身の内に生まれるもので分かち合うことが出来ないものではないでしょうか。
    それだから、葛藤を抱くことは苦しさを伴いながらもがくことになります。
    そんな時、私は信頼のおける人に相談したり、時には現実逃避的に一旦距離を置くなどしながら、何度も色々な角度から問題を見つめ直す作業をしていると思います。
    自分自身の能力の不足を認めて、何が足りないのか、どのように補えばいいかと向き合い、能力の天井を押し上げる努力を重ねることでより良く生きたいと考えています。

    1. ハチドリ より:

      鈴虫さんのお母様、素敵な方ですね。そして、その教えをちゃんと身に付けてらっしゃる鈴虫さんの考えも素敵だなと思います。

      『考えてみれば、家族、仕事、友達、地域活動、趣味といくつもの役割があるからこそバランス良く生きられているのだと思っています。』
      鈴虫さん、そうですよね。苦しいこと、イヤなこと、悩むこと、楽しいことが入り交じって私たちはバランスをとってるんですね。お料理もしょっぱいのだけではダメだけど甘いのばっかりも飽きて来る。鈴虫さんの太巻きみたいにいろんなのが入るととても美味しいのが出来ると似てるなって思いました。
      そして、いくこさんとのやりとりの中にあった『気がついたのに見過ごすことよりは余程人として真っ当だと思うのです。』も同感です。
      私の好きなある歌手の歌のワンフレーズ「今だからできること それを決して忘れないで」を心に留めて、これからも仕事も趣味も良い加減にやっていきたいです。

  5. ハチドリ より:

    役割葛藤、この言葉を聴いただけでいろんなイメージが広がりました。
    ①私個人でも、係でも、複数の仕事(役割)を任せられた場合
    ②一つのことで、自分の経験や能力ではそれをやり遂げる自信がどうしてもないから断りたいけど、でもなんとかやりたいとも思う場合
    ③ある障がいを持っている人への対応をチームで行っている場合に、その人の想いをじっくり聴いて応えてあげようと言う考えとあまり話を聴いているとキリがないから適当に切り上げた方がいいと言う考えを示される場合
    ④どうしても夜遅くまでやらないと間に合わない仕事がしばらく続くときに、それもこなしたいし、子どもたちに夕飯もちゃんと作って一緒に食べたいと思っている場合

    もっとあるのかもしれないし、社会学での役割葛藤とは違う内容かもしれませんが、実際に私が経験したり、今も陥っていることです。
    さて、今回のお題の「みなさんはどの様にして、この悩ましい役割葛藤を解決しようとしているのでしょうか」、私も振り返ってみました。

    「葛藤」とは、改めて辞書を見れば、ふたつの相並ぶ欲求がある場合、その両方を選ぶことができないために悩み、どちらを選択するか決めかねている状態を指します・・とあります。

    ①の仕事がたくさんある場合ですが、忙しくても同僚といい関係であれば、楽しんで取り組めているように思います。優先順位をつけながらも同時並行で行ったり、休みの日も事務処理をしに行くのは私は苦ではないので、これは葛藤とは言わないかもしれませんね。ただ、考え方に相違があったりなど一緒に仕事をする人がどういう人かで大部違うと思いますが、相手の仕事にも想いを馳せ、助け合う気持ちが持てるといいなと思います。
    ②の能力以上のことをしなければならないときは、引き受けるかお断りするかとても悩みます。でも強いプレッシャーを感じながらも引き受けてしまい、後悔の念を抱きながらその筋の人に教えを乞うたり、参考書やネットで調べたりして、寝ても覚めても終わるまでその重圧に潰されそうになる小心者です。葛藤しっぱなし!
    ③は、私はどちらかと言うと急がば回れじゃないけど、じっくりお話を聴いたりしてあげた方があとからの関係もよくなることの方が多いと思っているので、キリがないからと言われるのが苦手だし、キリがないという経験もないのです。しかしチームなので自分の思いだけでやってはいけないと思いつつ、実はやはり自分のやり方をそっと実行しちゃっています。
    ④介護保険が始まる時、係長になり、仕事が毎日夜の11時頃まで続いて、初めてドリンク剤のアリナミンVを飲みました。夕飯は朝のうちに何か作り、子供たちも小学校高学年、中学生になっていたのでなんとかなりましたが、もしも子供がもっともっと幼い時だったらどうしていたんだろうと思います。ご近所に私の仕事を理解してくれてるママ友がいたのでお願いできたかもしれませんが、今も家庭と仕事の役割葛藤を考えると、とても申し訳ない切ない気持ちになります。

    現在は、②③の葛藤がありますが、なるようになる!と、いい意味で開き直ることも必要かなと思っています。相談ができる人がいることもとても大切。そして『一生勉強、一生青春』が私の座右の銘ですが、前向きに学ぶ気持ちと感動する気持ちを持ち続けられたらいいなと思っています。

    本間先生、ASICSのその色のシューズ、とても素敵です。見つけるのが上手ですね。

    1. スマイル より:

      ハチドリさんの「キリがないという経験もない」という言葉に心打たれました。これまでのハチドリさんのコメントを読んでいても「それは本当なのだろう」と思うからです。きっと、本間先生も同じなのではないかと推察いたします。
      「葛藤」という言葉ひとつ考えてもとっても奥深いですね。例えば「さらなる仕事」を言い渡されたとき、やる気満々で時間もある時は「葛藤」にはならないでしょう。でも、お子さんの大事な時期と重なった時は「大いなる葛藤」となるでしょう。一人一人の抱える葛藤は「その人の価値観」「現状」などによって千差万別なのだろうなあ、と思いました。そう考えていて思ったのは「葛藤」は心のサインであり、「その時の自分の大切なこと、優先したいこと」を考え、選び取るチャンスなのだろうな、ということ。
      振り返ってみれば、私自身「葛藤」がある時は「もう一度自分の価値観を考え直す」「思い切って手放す」「道を変えてみる」など、何かしら手を打ってきたように思います。大切なのは「自分で考え判断し」、うまくいってもいかなくても誰かのせいにしないで、次により良い道を選ぶための学びとする、ということでしょうか。やっぱり奥深い!

      1. ハチドリ より:

        スマイルさん、ありがとうございます。いつも私には考えも及ばないスマイルさんの深いコメントを読ませていただき、尊敬の念を抱いております。
        最初に前回10講目の時のコメントの中に書いてあったことを返信したいと思っているうちに今になってしまい、ここで書かせてもらいますね。『「期待する方」が成熟してるかどうかということがとても大事で』と言うところに、思わず「うんうんうん・・😍」と頷いていました。職場でも家庭でも地域社会でも、この事はとても大事なことかもしれないと思ったのでした。
        そして、今回の役割葛藤に対しての返信ありがとうございます。
        『「葛藤」は心のサインであり、「その時の自分の大切なこと、優先したいこと」を考え、選び取るチャンスなのだろうな、ということ。』スマイルさん、なんて素敵なことを言ってくださるのでしょう。確かにそんなふうに考えると、葛藤することは自分の価値観と言うものを見つめなおし、そして価値観を大切にすることに繋がりますよね。
        さらに『大切なのは「自分で考え判断し」、うまくいってもいかなくても誰かのせいにしないで、次により良い道を選ぶための学びとする』と言う考え、大好きです。本当にありがとうございました!

        1. 鈴虫 より:

          賛成賛成❗️
          私はお二人とも考え方が深くて尊敬しております🙇‍♀️

          1. 鈴虫 より:

            2月4日の私のコメントが言葉足らずでしたのでやり直します。

            スマイルさんの言葉「葛藤は心のサイン」「その時の自分の大切にしたいこと、優先したいことを考え、選び取るチャンス」そして「大切なのは自分で考え判断し、うまくいってもいかなくても誰かのせいにしないで、次により良い道を選ぶための学びとする」というところに共感します!
            ともに同じ言葉に共感し「その考え大好き」のハチドリさんに賛成賛成!です。
            心の中にある簡単なことさえも、そのままを言葉にのせることがとても苦手な私にとって、スマイルさんとハチドリさんはさらに深くまで考えが及んでいて、まさに思考と表現の大先輩と尊敬しております✨
            これからもどうぞよろしくお願いいたします!

  6. 阿部 優 より:

    本間先生
    11講目ありがとうございます。

    「役割葛藤」は人によっては、あまり感じないのではないか。これは僕自身の話しです。
    スマイルさんがおっしゃるように、役割期待に応えようと一生懸命やりきった自分をほめてあげると、葛藤はなくなります。もちろん、どんな期待がきても対応できるよう常に成長努力は続けています。手は抜かない。

    もう一つのパターン。そもそも役割期待に応える気がない人。学業であれ仕事であれ家庭内であれ、排除されない程度に少しだけやる。面接していると、こんな若者によく出会います。趣味はない、仕事は生きていければ何でもいい、友達もいらない、恋人などいらないという。

    どうしてそうなったのか?役割期待に応えようとするあまり、〇〇大学に不合格で絶望する同級生、上司の要求を達成できなくて絶望している大人をみて、防衛本能でそのような選択になったのではないか。学校でイジメを受けていたら、転校する(やめる)という防衛はよい選択だと思います。

    自分を認めて褒めてあげるなどというと、甘えだとか批判する人もいますが、自分くらいは褒めてくれてもいいのでは。甘えて何が悪い(本当は人に褒めてほしい)。

  7. スマイル より:

    『人件費は「コスト」として捉えられ、消耗品的に扱われる』という一文に、まさにそれが大きな問題だと感じました。「いつでもおまえの代わりはいる」という無言の脅しを感じながら働いている辛さ。だからこそ逃げ出せない辛さ。逃げ出したら生きていけない(暮らしていけない)かもしれないという不安。若者たちがニートになってしまうのも、自殺や登校拒否が増え続ける一方なのも、いじめがなくならないのも、すべての根源は「唯一無二の大切な存在として扱われていない」というところにあるのかもしれません。

    今の時代、これまで「それがあたりまえ」「それが常識」と多くの人が前提としているものが揺さぶられていて、大きな過渡期にあります。一番犠牲となるのは、その前提では生きていけないと気が付いている若者や子どもたち。そのことが本当に痛ましく、なんとかしたいといつも考えています。

    ふと思い出したことがあります。かなり強いスポ少に入り、そこでエースで活躍できるくらいの実力がある子がいたのですが、指導者の理不尽な言動にお母さんが我慢できなくなりやめさせた、という出来事です。私はその勇気に心で拍手を送りました。強いチームの指導者が人格的にも素晴らしいというのが理想ですが、そうはいかないことも多々あります。そんな時「このチームにいたら優勝できるかもしれない」「次はレギュラーにしてもらえるかもしれない」あるいは「他の人たちの手前やめると言い出しにくい」などとずるずるとその理不尽な中に我が子を置き続けるということはよくあることだと思います。その時の子どもの心理とはどういうものでしょう?指導者の理不尽に傷つくだけでなく、そのことを黙認したということで親に対しても傷つくということになりかねないと思うのです。

    親としては「良かれ」と思って(思おうとして)のことでも、理不尽な中に置かれ続けた子が、成長してから心身に不調をきたしているのを見聞きすることがあります。「やめる」ということは、親も子も一時的に孤立してしまうかもしれない、それでもなお「子どもに理不尽を耐えさせ続けることはできない」と思えるかどうか・・・その後の孤立や批判なども覚悟できるかどうか・・・「今」だけでなく「将来」のことまで考えることがとても大切だと思います。わかりやすい例を挙げただけで、人生はそういう選択の連続です。「役割葛藤」の中でも、必ずやそこに「考えた上でふりしぼるべき勇気」があるのではないか、と思います。

    自分自身がまず自分を大切な存在として扱うこと。そのためには理不尽な扱いに対しては自分のために「ノー」と言う勇気が必要となるでしょう。「本当はこうしてみたかった」と思うことに踏み出してみる勇気も必要となるでしょう。また増え続ける役割の整理のためには「それぞれの果たすべき責任を他の人が負うことは、結局はどちらのためにもならない」という認識も大事になってくるように思います。的確な判断力や、決断する勇気を持つために大切なのは「俯瞰してみる目」ではないでしょうか。今の状態を続けることがこの先どんな未来になるのか、ということを想像し、目をそらさずに見つめること。目先にとらわれず、想像する力を養うこと。残念ながら今の日本の教育は「横並び」「受け身」でいるのが楽だというのが現状です。でも、教育をどうこうと批判している間に世の中は進み、子どもたちは成長してしまいます。まずは大人一人一人が自分の人生で実践する、ということが大事なのではないか、と思います。

    「しかたない」という「あきらめ」のしわ寄せは、もっと大きなうねりとなって次世代にのしかかるのだということを忘れてはいけないと思います。広い視野で見た時に出せる勇気というものがあり(「母は強し」というように)それは本当に素晴らしいことだと思うのです。私たちは連綿とした繋がりの中にあります。少しずつでも良い方向へ向かう一歩を歩めるようでありたいです。

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