障害者福祉の現状に喘ぐ当事者の声(2021/11/03へのコメント)
2021/11/03付けで「宮城県の障害者福祉に大きな影響を与えた人が逝く(田島良昭)」を取り上げました。その投稿に障害を持つご家族の方からコメントを頂いています。是非、このhpを読んでいる皆さまにもこの方のコメントを読んでもらいたくて書いています。
2021/11/03付けの記事は以下の様な出だしで書いています。「みなさんは、約18年前に知的障害者を大型施設ではなく地域で暮らせるようにしよう(知的障害者の地域移行)と、宮城県の障害者施策の方向を明確に打ち出した『みやぎ知的障害者施設解体宣言』を覚えているでしょうか。この解体宣言を出した当時の浅野宮城県知事の理論的・精神的支柱となったのが田島良昭さんです。ロニー雲仙(長崎県)の施設長だった田島氏は、厚生労働省障害福祉課長だった浅野史郎氏と障害者福祉施策の分野で意気投合し、1993(平成5)年11月、浅野史郎氏が宮城県知事になってから、1996(平成8)年4月宮城県福祉事業団副理事長(後に理事長)として迎えられ、知事と二人三脚で障害者福祉施策の改革に取り組みました」。
こうした方々の努力にもかかわらず、障害者福祉の現状は甚だ厳しいものがあり、当事者及びその家族に「福祉に何も期待できない!」と言わしめてしまう。私のつたない経験の中でも、こうした声を多く聴いてきました。「親なきあと」に苛まれる家族の声は、切実さを超え悲鳴にさえ聞こえます。こうした現状を知らないことは、現状の追認にも等しいと思います。ここでは具体的なことは書いてありませんが、「社会的想像力」をもって、その苦しみや「何をやっても無駄」等という閉塞感を感じ取り、共感の輪を広げたいと思います。こうした、一人ひとりの共感や問題意識が、世論の力となり新たな制度を生み出す「潮流」となると信じます。
一人の細やかな声に耳をそばだて全身全霊で「聴く」。せめて、そこから始めたい。その一歩が学びにつながり社会改革への足がかりになります。短い文章です、是非、みなさんに読んで頂き「社会的想像力」をもって、投稿者心に寄り添って頂きたい。何も出来なくてもよいです。こうした気持ちでいる多くの人々の存在を知ることが、その人達への応援になるはずです。
私は政治家でも社会改革運動家でもありません。一介の「市井の人」です。だからこそ、一市民としてこうした言葉に耳を傾け我が事として受け止めたいのです。そして、この言葉を私に宛てられた言葉としてではなく「社会に向けた問題提起」として、このhpを読んでくださっている心ある皆さまと共有したいのです。
若松さまのコメントを読み、みなさんの気持ちがこの課題に集まってきていると感じます。
生きにくさを感じているというひとりのSOSに、見知らぬ人達が少しでも理解したい何かしらで応えたいという一歩を踏み出そうとしているのですね。
この一歩が小さくとも確実な前進となる様に、障がいを持つ人とその家族の日常や、喜びや悲しみを若松さんから聴かせて頂きたいと思っています。
また、それに限らず様々な事をこのHP上で若松さんも一緒に考えたり楽しんだりしていけたらと願っています。
お待ちしています。
若松さま
コメントを寄せてくださってありがとうございます。
なかなか言葉が見つからないのですが、ここでやり取りできることを大切にしたいと思っています。障がいのある方とご一緒するときに、何と声をおかけしたら良いのかとても迷います、どのようにしたら失礼にならず何かしらの応援ができるのか、若松さんの言葉から学ばせていただけたらと思います。
私も1/24のコメントを読ませていただきました。
書いていただきありがとうございます。
とても不安なお気持ちが伝わってきました。そして,障がい者のかたの日中活動の場や生活の場がどのようになっているのだろうととても気になりました。
このように知る,感じる,想像してみることは本当に大切なのだと思います。
「みやぎ政策の風2004年3月創刊」に載った本間先生の提言,改めて読ませていただきました。「明日の福祉に向かってのはばたきプラン 2003~2012」が策定された頃は,高齢者の介護保険が世の中の潮流だったので,この宮城県の障害者計画は画期的だったように思います。しかし,中に書いてありますが,2001年の調べでは,在宅生活者の日中活動の場や通所施設などが無い市町村は県内で58%もあったようで,さらに計画期間の最後の方には東日本大震災もあり,その後,大型の舟形コロニーが解体され,地域生活に移行していくというプランは県内全体では実際どうなっていったのだろうと気になります。
今,宮城県の政策課題はどのようなことが挙げられているのでしょう。
「福祉はなにもしてくれない」そんな宮城県であってほしくないです。
あらためて昨年11月3日の記事も読ませていただき、コメントを寄せられた若松さんにすぐにでもお声をかけたい気持ちと、何と声をかけたらいいのか言葉が見つからないもどかしさが心を揺さぶっていました。
鈴虫さんもおっしゃっているように、若松さんが声を挙げてくださったことに感謝いたします。また、それを全身全霊で受け止めてくださろうとしている本間先生にも感謝いたします。
少し先の未来で若松さんが「あの時声を挙げて良かった」と思える時が来るように、私も共に学ばせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
若松様
1月24日の切実な叫びを読ませていただきました。
ご家族のみなさんが、障がいのある弟さんのことを最優先に生きて来られたであろうその日々を、私は想像することさえ出来ません。
それなのに、私はこれまで障がいのある人もどんな人も、地域社会のなかであたりまえに生きられるのが良いと軽々しく口にしていたことが、只々、恥ずかしく申し訳なく思います。
今まで考えてみようともせずに過ごして来てしまった、障がいを持った家族を支えて生きるということ、その生きづらさややり切れなさのほんの一端でも分かち合せていただけるのなら、私にとって新たな、そしてとても大きな学びになるに違いありません。
この度、若松様が勇気を振り絞って声をあげていただき、すぐ目の前にある大きな課題に気づかせていただいたことに感謝いたします。そして、障がいを持ったが故の家族みんなの生きづらさを知り理解することから始め、私に出来ることを模索していきたいと思います。
若松様、これからも折に触れこの場を借りてもっとお話をきかせていただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。