親が子に寄せる愛情
いつも習慣の様になっているBlogを開きました。そこには、美味しいに違いない「具沢山のお雑煮」やほっころりする懐かしさを感じる「塩鮭と雑穀入りとろろ飯」と、子どもに対する愛情に満ちた想いが添えられていました。家庭で普段に食べる食事が、これほど幸せなに満ちた食事とは!母は偉大なりです。Naritaマルシェ (tumblr.com)
NaritaマルシェのBlog「心と体にやさしいレシピ」編は、この言葉にある様に「心」と「体」にとても優しく響いてきます。これを読みながらな「何でだろう、この響きは」って考えてみました。そうしたら思ったのです。殆ど知らないことばかりの中に、微かですが記憶のどこかに残っていることが蘇るのです。体がその味を覚えていて、その体の感覚が遠い昔の他者との関わりで抱いていた心(気持ち)を思い出させるのです。
板のりに醤油とかつ節を巻いただけの弁当が殆どだったときに、本当にたまに、母が「今日はごちそうだよ」って焼き塩鮭を乗っけてくれた弁当を思い出すのです。その時の母の嬉しそうな顔が蘇ります。また、とろろご飯は、いつもの麦ご飯を劇的に変えてくれる魔法のご飯でした。なぜか、とろろを摺るのは父の役割でした。私は、すり鉢を正座して両手で動かない様に支える役割でした。我が家で使うとろろ芋は、とても粘りのあるとろろができます。その為でしょうか、父はその粘りけの強いとろろに味噌汁を加えます。この為、我が家のとろろは、すこし薄くなっているので、いわゆる「すすって食べる」感じのとろろご飯になります。
今日のNaritaマルシェのBlog「心と体にやさしいレシピ」編は、私の心の故郷を思い出させてくれる、とても嬉しい内容でした。ここで描かれていたお母さんと遠くで働く子どもの関わりについて、食をとおして「想いをつなぐ」母の優しさを感じました。そして、私も母や父に愛されて育ったのかも知れないなって、ないがしろにしていた母や父に詫びたい気持ちになりました。今日のお経はいつもより長くなるかも知れません。
以前、親と子どもの関わり方には三段階あると書きました。子どもが幼い頃の「手をかける」から始まり、自我が出始めたことからは、チョット距離を置いて「目をかめる」、そして自立して遠くで生活している時には「気にかける」。私は、今日のNaritaマルシェのBlogを読んで、これまでは、段階を踏んで一方通行で進んでいくのだとばかり考えていたのですが、違うのではないかと思えたのです。確かに、娘が遠くで頑張っているときには、「気にかける」ことしか出来ないかも知れません。しかし、帰省したときには、めいいっぱい手塩にかけてお腹と心をいっぱいにしてあげる「手にかける」をすることで、自分が母であること、娘は、この母のもとに生まれた来たことに感謝する、このような気持ちが起きてくる機会になります。こうして親と子どもの絆がまた一つ強くなる。こう考えると、「手をかける」「目をかける」「気にかける」は、時と場合に応じてグルグル何度も繰り返しながらスパイラル状になりながら上昇していく。そしてその経験や感じを体と心で覚え込み、いつか自分がその立場になったときに、知らず知らずの内に同じような振る舞いをしている。この様に思えたのです。
今朝は、早起きして、といっても6時ですが、三文の徳でした。何かいつになく体も心も元気な朝を迎えています。このBlogは「言霊」が詰まっている、いつもそう感じています。有り難うございました。
Naritaマルシェさんのブログ、私もいつも楽しみに拝見しております。
ご長女さん、お正月のお仕事頑張って帰ってこられてすぐに食べたお母さんのお雑煮、どんなに美味しかったことでしょう。どうしても私も自分の娘とダブってしまい、ジーンと来てしまうのです。今年のお正月、いろんなおせち料理を準備しても、野菜たっぷりの雑煮が一番の好みだったようで、今年は作り方を聞いていきました。
新巻鮭を入れると言うのは初めて聴きました。塩味?しょうゆ味?と興味津々です。濃いだしの餡をかけた野菜入りのお粥も是非とも作って食べてみたいと思いました。
ネバリスターって、とても強力な粘りを感じさせるネーミングですね(笑)。それで作ったとろろご飯がまるでケーキにも見えるし、フランス料理のような出立ちで、スプーンで食べたくなりました。お嬢様、どんなにか喜ばれていたことでしょう。いつかお嬢様がおかあさんになったときにお母様の味を思い出し、3世代で台所に立ったりするのでしょうね。私も今度娘が来たら、これまで以上に心を込めてひとつひとつ丁寧に手をかけてごはんを作ってあげようと思いました。
そうそう、本間先生の思い出の麦ご飯を劇的に変えてくれたという魔法のとろろご飯の芋は自然薯ではなかったでしょうか?
私が小さい頃、父に連れられて自然薯採取のためによく山に登っていました。地中深く、クネクネ曲がった長い自然薯を折らずに獲るのは至難の業で、父はでっかい彫刻刀のような形の道具を使って土を掘り、丁寧に自然薯を掘り上げていました。それをきれいに洗って擦ると、つきたてのお餅みたいになるのです。それをすり鉢に入れて、濃いみそ汁を少~しずつ入れて時間をかけて擦っていました。すり鉢を支えるのは私の役目でしたが、私はそれが嫌で早く終わらないかなと思っていたものです。両親、親戚のおじさん、兄もそのとろろ汁ごはんが何よりのごちそうのように(鼻を鳴らして 笑)食べていましたが、実は当時の私はあのとろろご飯はイマイチだったんです。でも、いつのまにか気が付いたら、両親を思い出すご馳走になっていました。自然薯、今はなかなか手に入りませんが、秋になったら宮城のあの山に獲りに行こうかなと思いました。
マズローの人間の基本的欲求の一番下に「食欲」がありますが、高価なものでなくとも、愛情を込めて作った物を大切な人と一緒に食べる行為は、本当に身体と心の栄養になり、私の自己実現でもあります。
ハチドリ様、いつも私たちのウェブサイトを見てくださってありがとうございます。
荒巻鮭入りのお雑煮、私も初めて聞いたんです。ハチドリさんも作っていらっしゃる宮城風のお雑煮に、荒巻鮭の皮と骨をとっていったん茹でたものを入れるようです。もしかしたら茹でずにそのまま入れてもいいかもしれません。その塩気があるからあまり塩を入れなくてもいいとのことでした。義姉はいろいろなお雑煮があるけれど、宮城の雑煮は本当に豪華だと言っていました。さすが伊達の文化だと・・・私は他のお雑煮はあまり食べたことがないのですが、ハチドリさんの娘さんと同じできっと宮城のお雑煮が一番好きだろうと思います。
とろろご飯、私も今までで一番おいしかったのは母の実家で食べた、やはり味噌味で溶いたとろろご飯です。今度はそれを作ってみようと思います。でも想い出の味には敵わないのだろうなあ。祖父母やおじやおばやいとこたち・・・いったい何人いるかわからないくらいたくさんの人と一緒に食べた味は、二度と手に入らない調味料が入っているようなものですよね。そんな味の想い出があるというのは、なんと幸せなことでしょうか・・・
これからでもいいから、幸せな想い出の味となるように、心を込めてお料理できたらいいですね。こうしてこのホームページで語り合えることに感謝です。
成田マルシェさま、今頃の返信、そしてどんと祭も終わったと言うのにごめんなさい。全国あちらこちらの友だちとお雑煮の話をしたことがありますが、どちらかと言うと汁の中に餅があるようなあっさり雑煮が多いのですね。で、宮城の野菜たっぷり具だくさんの雑煮の写真を見せたりしたら「美味しそう!食べてみたい」と言ってもらえたんですよ。
『これからでもいいから、幸せな想い出の味となるように、心を込めてお料理できたらいいですね』私も本当にそう思います。これからも宮城県の食文化の発信をどうぞよろしくお願いいたします。私も見習って皆さまにお伝えできる様になりたいと思っています。😃🎵
Naritaマルシェのウェブサイトをいつもご覧いただいていること、とても嬉しく思います。
ウェブサイトに綴った内容が、本間先生の子どもの頃の思い出を蘇られたというその光景を思い浮かべ、涙がこみあげてきました。お弁当に塩鮭を入れることができた時、お母様はどんなにか嬉しかったことでしょう・・・きっと喜んでくれるに違いないと思って、子ども以上に嬉しかったのはお母様だったのではないでしょうか。そう思うと胸がいっぱいになります。そんな愛情に育まれてきたからこそ、周りの人のために一生懸命になれる先生の土台が築かれたのではないかと思います。
24時間開いているお店があって、スーパーに行けばたいていのものが手に入るそんな時代に生きる子どもたちは、年を重ねた先にしみじみと体と心が思い出す味というものがあるでしょうか・・・豊かさってなんでしょう?そんなことを考えながら読ませていただきました。
溢れるほど食べ物があっても、なんとかやりくりして食べ物を手に入れても、大切なのはそこに「愛情」があるかどうかなのでしょうね。
今日の食事を心を込めて作っていけるようでありたいとあらためて思いました。そして、子育て中の「できればあの時をやり直したい」という自分の未熟さも、これから作る料理や、子どもたちにかける言葉に心をこめることで、紡ぎなおしていけたらと祈るような気持ちです。
大切な想い出を分け合ってくださり、ありがとうございました。