かじってみよう“社会学”特講「社会的想像力」

かじってみよう“社会学”は、2021(令和3)年11月1日に開講し、前回(12月20日)で7講目を終え、概ね半分の所まで来ました。手探り状態の講義で、皆様には何かと???だらけの講義だったと思います。なかなか講義に成長の跡が見られず申し訳ないです。今後も、目に見える改善・発展は無いかと思います。諦めてください。

今回は、もうすぐお正月を迎えるという慌ただしい時期にあることから、社会学のテクニカルタームについてお話しするこれまでの流れとは異なり、皆さんのコメントなどから感じた重要な言葉についてお話しをすることと致します。大学も、冬休みに入っていることから、今回は気を張らずに読んで頂けるような内容に致しました。それは「社会的想像力」です。

QSL card用に光のページェントを撮りました

社会的想像力を米国の社会学者ミルズ(Charles Wright Mills:1916―1962)は次のように説明しています。実際の諸関係を通じて、我々は生活を実感し、その実感が社会の存在を想像する力、つまり「社会学的想像力」へと通じる(Mills Wright C. 1959)。言い換えれば、実在する個人の諸経験をもとにした、社会学的想像力から社会を見ることができる。共に支え、共に助け合う社会に向けてキーとなる概念は、当事者を思いやり、共に社会の構成員として社会の諸問題を共有する「他者感覚」。

我々一人ひとりが直接的、間接的に社会の様々な課題と向き合うためには、他者感覚という社会的想像力を研ぎ澄ますしかない。共生社会(お互いさまの社会)を構築するためには、この社会的想像力を持つ必要がある(参考文献:白波瀬佐和子,2010『生き方の不平等-お互いさまの社会に向けて』岩波新書,210頁.)。

私たちは、障害者だったり、認知症高齢者、余命幾ばくも無い重篤な病気を抱えている等々の状態にはないこともあります。こうした状況になっていないと、当事者としても気持ちはわからないのか?。彼は、そうではないと言っているのです。他者感覚を研ぎ澄ました社会学的想像力で接近できると。当事者でないことの限界を感じつつも、他人事としてではなく、社会の問題として捉える。これこそが、我々に切に求められている社会的想像力なのであると。

小田和正クリスマスの約束(今回は最後まで観ました)

ミルズは、いっけん個人的に見える問題がじつは社会構造に由来することを明らかにするのが社会学的想像力と言っています。社会学的想像力は「炭鉱のカナリア」として説明された例もあります。カナリアは、有毒ガスに対して人間よりも敏感に反応するので、かつての英国の炭鉱では坑夫達が、入坑に際してカナリアを連れて行き、自分たちの働く場所の安全を確認したのです。このように、まだ気づかれていない社会的変化について、いち早く察知し、これを多くの人々に知らしめるというというところに、社会学的想像力が発揮される大きな役割を見いだしているのです(出典:武川正吾,2012『福祉社会学の想像力』弘文社.)。

社会的想像力(社会学的想像力)は、相手の方に寄り添い、相手の立場になって物事を考えるという他者感覚(其の立場になった自分を客観視する)を研ぎ澄ますこととして理解しています。しかしミルズは、「まだ気づかれていない社会的変化について、いち早く察知し、これを多くの人々に知らしめる」ところに社会学的想像力の意味を説いています。社会学的想像力は、ただ単に相手の立場になって理解することに留まらず、社会の変化にいち早く気づき、そのことを多くの人々に知らしめること、様々な活動を通して周りの方々に問いかける行為も社会学的想像力だと。社会学的想像力とは、社会運動にも通じる考え方なのだと知る事ができました。こう考えると、皆様が行っている様々な実践の意味が更に重みを増しているような気がしています。

全15回の講義の前半が終わりました。是非、後半もお付き合い頂けると嬉しいです、尚、これまでの講義で感じたことやそれぞれの皆さんの実践や振る舞いになにがしかの変化があったらコメント頂けると幸いです。強制のレポートではありません。でも、チョットだけ期待して本講を終わりに致します。来年は、お正月はゆっくりして頂きたいので、1月10日から再開したいと考えています。では皆様、良いお年をお迎えください。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

かじってみよう“社会学”特講「社会的想像力」” に対して12件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    2週目の特講
    『社会的想像力』
    個人の経験をもとにした社会的想像力から、社会を見ることができる。
    当事者を思いやる他者感覚を研ぎ澄ますことで、共生社会を構築できる。
    まだ気づかれていない社会的変化に、いち早く察知し、これを多くの人に知らしめるという役割を担う。様々な活動を通じて周囲に問いかける行為も社会的想像力である。

    他社感覚を究極まで研ぎ澄ますと、当事者本人にもなれるのではないか。当事者も気づいていない問題にも気づけるのではないかと考えるようになりました(2022年4月現在)。

    本間先生のコメントから、場の力(空気感)の存在がとても大きいという話がありましたが、いま読み返してみると新しい気づきがありました。日本人は特に場の空気に敏感に反応するということは、悪い流れに流されないようにするだけではなく、よい空気感でもって周りを流してやればよい。では、どうやるか?まで考えてみよう!

  2. やまぼうし より:

    年越しそばをいただいているうちにこんな時間になってしまいました。

    様々な状況、状態の方と出会いますが、職業的な癖なのか、相手の立場に立って考えようとします。例えば、統合失調症の人がいたらどんな症状が出てくるのかとか、考えがまとまらなくて不安でいっぱいのときのような感じなのか、薬の副作用はどんなのがあるのか、口の中を切るくらい不随運動が出たらどんなに辛いだろうか、認知症の人の混乱とはどんな感じなのか、期限付きの仕事が一気に三つも四つも来たときのような感じなのだろうかとか、想像してみます。
    でも、その人になりきることはできないから、本当の気持ちはほんとのところはわかりません。それでも、嫌な感情、心地よい感情に近づくことは出来るかもしれません。
    「社会学的想像力は、ただ単に相手の立場になって理解することに留まらず、社会の変化にいち早く気づき、そのことを多くの人々に知らしめること、様々な活動を通して周りの方々に問いかける行為も社会学的想像力だと。」とのこと。
    私はまだ相手の立場になって理解することにとどまっているのかもしれません。でも、その行為は相手のかたの心地よい感情になってもらえるような気がするのです。だから、理解しようと努力し続けたいと思います。それがなんとなくでも回りの人にもつながっていったら、とても嬉しいです。

    あと1時間半くらいで今年も終わりになります。いろんなことがあったけど、明けない夜はありません。
    先生、皆様、有意義な時間をありがとうございました。来年は虎年ですね。
    どうぞ新年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。

  3. welfare0622 より:

    鈴虫さん。「社会学をとおして、いつもの毎日の見え方が変わった!」この言葉は、私が最も願っていることなのでとても嬉しいです。母親を取り囲む地域社会の現状は、個人の資質や無理解のレベルではなく、社会全体の問題として捉えるという学び。これはとても大きな成長だと思います。こうしたところに、二次社会化の課題が潜んでいるのかも知れません。こうした経験を、拳を突き上げ大きな声を張り上げて叫ぶのではなく、人々に寄り添い鈴虫さんの振る舞いを観て頂くという進め方をして頂くと、遠回りのようですがきっと着実な歩みとなって地域にも受け入れられ広がるのではないかと思います。それを信じてこうした経験を発信して下さい。

    1. 鈴虫 より:

      先生、あゆみの鈍い私をいつも励まして頂きまして、本当にありがとうございます。
      カメのあゆみでも止まらずに進んで行きますので、かわらぬご指導をよろしくお願いいたします🙇‍♀️

  4. 鈴虫 より:

    すっかり乗り遅れてしまいました。
    今日からお休みを頂きドタバタと家事をして、ちょっとコーヒータイムです。

    私は認知症を患った母のおかげで、沢山の場面で母の生きづらさを目の当たりにしました。
    その度に、様々な課題は個人の問題でなく社会全体の問題であると思っていました。
    幸いにも私はキャラバンメイトとして、その当時に一般庶民として感じた喜びや悲しみを地域の皆さんにお話させて頂く機会がありました。
    つい気持ちが入り過ぎてしまい、私の個人的な意見を熱くなって語っているのではないかという葛藤が常にありました。

    でも、社会的想像力という講義を聴いて、ようやく私の活動がきっと誰かの胸に届き、同じ気持ちで社会的弱者の生きづらさに思いを寄せてくれる人が増えるはずだと思うことが出来ました。
    この気持ちに到達するまで随分と時間がかかりましたが、これからはもっと胸を張って活動出来ると思います。

    社会学をかじってみたら、いつもの毎日を少し違う角度から見直してみる良い機会になりました。

    来年も、私には何が出来るかを探るために、さらに学ばさせて頂きます。
    先生、みなさんありがとうございました。
    来年もどうぞよろしくお願い致します。

  5. welfare0622 より:

    いくこさん。いくこさんの日々の振る舞いが、10年という歳月を通してさらに輝きを増し、それに魅せられて近寄っていった結果が今になっています。感謝するのは私の方です。有り難うございます。「社会的想像力」は自然に身につくものではなく、他者感覚を研ぎ澄ますことで次第にみについて来ます。なので、「自己中」の方は、なかなか難しい。その為にも、日頃から他者との関わりの中で自分の考えを客観視する必要があります。Naritaマルシェはこうした意味でも大切な準拠集団なのかも知れませんね。来年も宜しくお願いします。

  6. いくこ より:

    「想像力」、人はみなそれぞれに個性があって能力も感性も違っている、と頭では理解しているつもりでも、なかなか深いところまでは到達していないものだと、また思いました。
    想像力もまた違うものなのでしょう、人付き合いの中で「???」だったことは想像力の違いだと考えることで腑に落ちました。

    この10年の日々の積み重ねが、このページで学ぶことに繋がったのだと感じています、なんと幸せなことでしょうか。みなさんのコメントを読みながら、暖かな繋がりの場を作って頂いたことに感謝の思いでいます。
    本間先生、今年もたいへんお世話になりました。ありがとうございます。
    来年も、楽しい時間を一緒にどうぞよろしくお願いいたします。

  7. welfare0622 より:

    かじってみよう”社会学”にご参加頂いている皆様、補講「社会的想像力」にまでお付き合い頂き有り難うございました。皆様のコメントを読む毎に、ことの重要さを感じ、月並みな言葉ですが身の引き締まる思いをしています。

    栗原市民さん。はじめてのコメント有り難うございます。これからもどしどしコメントして下さい。日々、目にする事柄を「豊かさとは何か」という視点で考えるようになった。何気なく見過ごしている日常の些細な事柄について、今一度立ち止まってゆっくり見直してみる。また、社会学の視点(メス)で切り直してみると、これまでの印象とは異なる姿が見えてくる。この様なことはとても大切な姿勢だと思います。そうした中から浮き出てきたのが「豊かさとは何か」という問い!是非これからも、生活の上でも、仕事の上でも、こうした問いを持ち続けて頂きたいです。

    ハチドリさん。物質的な豊かさから「つながり」に豊かさを見いだしている視点はさすがです。社会関係資本(Social capital)は「つながりの資本」とも訳されています。人と人との関わり合いは、安全・安心の地域づくりを進めるために投下する「資本」なのです。多くの人達が、そうした視点に立てるよう、一緒に手を携えて行きましょう。

    スマイルさん。「便利さを手放したくない自分」と「原発」の問題をつないで考える「社会的想像力」は、私たちに警鐘を鳴らしてくれる機会になっています。まさに「炭鉱のカナリア」です。この社会的想像力を研ぎ澄ます機会は、足下にあります。地道な実践を積み重ね、地域社会と向き合い、その一つひとつの原因と結果を自分の中で咀嚼し次に進むという真摯な向き合い方。その繰り返しが、いつかは高村光太郎の「道程」の如く、しっかりとした新たな「道」となって、多くに人々が安心して歩けるようになることでしょう。

    阿部さん。役人や議員の方々にこそ他者感覚を研ぎ澄ましてもらいたい!元公務員だった私には耳の痛い言葉です。最近、事前調査で勝ち目がないとわかっていたのにもかかわらず太平洋戦争に突き進んでしまった当時の様子を知る公文書が公開され、それを下にしたドラマが放映されていました。それを観ると、個人の力とは別に「場の力」(空気感)と言うものの存在がとても大きいように感じます。日本人は特に、場の空気感に敏感に反応するようです。こうした過去の苦い経験を今に生かす為にも、私たちは「自分の考え」というものをしっかり持ち、場の空気感に流されない様に心がけることが大切だと思います。私たち実践を、公務員や議員のみなさんに見せつけ、彼らの社会的想像力の幅を広げてあげる必要があります。その為にも、我々市民が他者感覚を研ぎ澄まし社会的想像力を高める必要があるのです。それを地道にやっているのがNaritaマルシェです。また、住宅づくりと通して、健康や安全んの持つ豊かさを繰り返しといかけているのが、阿部さんのものづくりです。

    今回も、年末の忙しい中でお読み頂き、そしてコメントを寄せて下さり有り難うございました。この「かじってみよう”社会学”」は、来年10日から再開します。それまでゆっくりお正月をお過ごし下さい。

  8. welfare0622 より:

    阿部さんからコメントを頂きました。hpの調子が悪く入力できなかった様なので、私の方で全文コピーしてアップ致します。(以下、全文コピー)

    本間先生、おはようございます。
    サイトにコメントが送信できなかったので直接メールいたしました。

    本間先生、おまけの講義ありがとうございます。1回得した気分です。

    当事者でなくとも、他者感覚を研ぎ澄ました社会学的想像力で接近できる。できます。
    より良い地域社会、共生社会を実現するためには、この想像力が必要なのは想像できますが、いち早く広く知らしめるのは、僕たち一般市民にはとても難しいように思いました。

    役人や市議会議員の方々にこそ、研ぎ澄ませてほしい。役人になるには社会学を必修科目にするべきでは?いや逆に本間先生に議員になってもらうのが早いか。

    さて、前半終了ということで、これまでの講義が自分にどのように影響したかを考えてみました。

    今まで漠然と、人の役に立とうと行動してきましたが、社会学の目で見てみるとより具体的に進む方向が分かる。行動指針になっています。

    第一次社会化には統合という恐ろしい作用があるので、仕事で出会う子どもたちには慎重に慎重に接するようになりました。

    また、今の仕事が目的合理的行為となるよう、スタッフに少しづつ知恵を与えはじめました。今後が楽しみです。

    そういえば、スタッフ間でボーナスの額を気にしているのを見て、やはり比較するんだなと実感しました。僕はボーナスないので、ちゃんと妬みました。

    少しかじっただけで、これだけ目線が変わるとすると、本間先生にはこの世界がどう見えているんだろうと気になります。今度聞かせてください。

    今年は社会学をかじる機会を与えてもらい、より楽しみが増えました。本間先生、ありがとうございました。

    一緒に受講している皆さん、たくさんの刺激をいつもありがとうございます。私たちは同じ準拠集団ですもんね。来年もよろしくお願いいたします。阿部

  9. スマイル より:

    「栗原市住民」さんのコメントが、気持ちを代弁してくださっているように感じてとても嬉しくなりました。月曜日の「かじってみよう社会学」だけでなく、本間先生が日々綴ってくださる記事すべてが学びであり、励ましであり、喜びをもたらしてくれる日々です。

    「社会的想像力」という今回の講義を読み、これまでを振り返って思うこと。先生が何度か書いてくださっていた「原発事故」の問題に対して、コメントをすることができませんでした。あの事故の後、子どもたちの健康を心配する保護者の方達のために奔走したり、勉強したりしました。そしていつも行きつくのは「自分の覚悟」のようなものでした。寒いと言えばすぐ暖房をつけてしまう自分(寒いのがとっても苦手です)。温かいお風呂につかる幸せ。つまりは便利に慣れていて、それを手放すのが嫌な自分。「原発」の問題を一番やっかいにしている原因のひとつは、私にもあるこの「便利を手放したくない自分」だと思います。

    そんな時、あの事故で今なお苦しんでいる方たちがいること、故郷を取り戻したいと願う人がいることを知ろうとすること、地球にとって未来にとってという視点でも考えようとすることが大切になってくるのではないか、と思います。

    同時に「栗原市住民」さんがおっしゃっているように『誰かの喜びを共に分け合い、独り占めするのではなく、嬉しい気持ちもお裾分けできるつながり、そんな人と人の繋がりこそが「豊かさ」では。先生の目指す地域共生社会とは、高く、遠くにあることではなく、すぐ近く、足元にあることを知ること』ということがやっぱり大事、と思うのです。

    「身近な人を大切にする、日々の暮らしを大切にする」ということが、大きな視点でも考えられる自分を育ててくれるような気がします。「大切な人たちがこれからも安心して暮らせて、未来でも守られる環境を作っていく」と考えると、大事なことが見えてくるように思います。

    また体調を崩したり怪我したりすると、他の苦しんでいる人のことが実感としてわかります。そういう「経験」を無駄にしないで、さらに「想像力」を使って「誰もが安心して暮らせる社会とは?」と考えることが大切なのだと、今回の講義であらためて思いました。

    「かじってみよう社会学」は講義はもちろんですが、みなさんのコメントを読むこともとても楽しみです。感銘を受ける言葉がたくさんあって、そのお人柄やお仕事場での振舞いを想像し幸せな気持ちになります。先生が毎回心を込めて書いてくださるコメントも最も心待ちにしているものの一つです。一人一人に心を寄せてコメントする、というのは本当に大変なことと思います。それぞれの立場や役割まで理解して(理解しようとして)精魂傾けて言葉を綴ってくださっていることが伝わってきて毎回心打たれています。今年このような時間が持てたことは、本当に豊かなことでした。先生と講義を受けている仲間のみなさんに心から感謝申し上げます。

    どうぞ来年もよろしくお願いいたします。本間先生、みなさま、良い年をお迎えください!

  10. 栗原市住民  より:

    社会学受講生の一人です。初回からずっと毎週月曜日を楽しみに待っていました。その度にコメントしたいことが色々とありすぎて、やっと本日初コメントです。
    やっと書こうと思ったのは、仕事納め最終日の今朝、80歳で夢をかなえた、鈴木ちよのさんからの電話。ここ数日体調を崩されておりましたが、元気になったとの連絡でした。
    私にとって社会学とは? 今年に入り本間先生がこのブログ開設をし、そこに書かれていることすべてが、社会学ではと自分なりに解釈しました。日々アップされる内容を読んでは、自分に置き換え、今目の前にある業務に活かしたり、家族、遠くに暮らす息子に問いかけたり、何だか涙を流したりと、このブログ社会学から、私が今年一番に考えさせられたこと、それは「豊かさ」とは何か? ということです。
    80歳で夢を語りそれを実行、鈴木さんの思いに寄り添うことができ、共に栗駒山頂に立てた喜び。誰かの喜びを共に分け合い、独り占めするのではなく、嬉しい気持ちもお裾分けできるつながり、そんな人と人の繋がりこそが「豊かさ」では。先生の目指す地域共生社会とは、高く、遠くにあることではなく、すぐ近く、足元にあることを知り、それを感じることが出来た一年でした。 
    昨日は、私の事業所で毎月行っている住民カフェの日でした。住民さん方が、忘年会だと言い、手作りの漬物、手作り菓子の差し入れがありました。正月のおせちの準備。いんげん豆を煮た際に出た煮汁を捨てずに、砂糖と寒天を加えて、水羊羹風なお菓子。豆の香りがしっかり品ある和菓子が出来ました。何でも買える今、粗末にしないでひと手間加えて出来た和菓子を一口。この一口にも「豊かさ」を感じました。
    社会学とは?  私にとって実はハードルが高く、皆さまのようなコメントを書き込むことは難しく腰が引けていました。そういえば、小学校の社会科の時間は楽しく,そして通信表欄も〇印や、5を頂きました。さて、この社会学講座を終了した折には、先生から 通信表5を頂けるように、新年度からも、じっくり読み、サボらずにしっかり受講致しますので、よろしくお願致します。

    1. ハチドリ より:

      栗原市住民さん、初めまして!
      元、大崎市住民です。

      スマイルさんも書かれていましたが、栗原市住民さんの「誰かの喜びを共に分け合い、独り占めするのではなく、嬉しい気持ちもお裾分けできるつながり、そんな人と人の繋がりこそが「豊かさ」では」に、本当にそうだなと思いました。
      嬉しい気持ちをお裾分けしたときに、まわりから「やったね~!」「良かったね~!」と、それを自分のことのように一緒に喜んでもらったと感じることができたら、さらに喜びが増し、幸せな気持ちになっていきますよね。身近なところでそんなプラスのスパイラルが起きていったら「あ~、ここで住んでいて本当に良かった❣️」と心から感じるだろうと思います。

      栗原市住民さん、私も本講座はまだついていくのに精一杯ですが、しかし、楽しんでいるのは確かです。私も通信簿に5をもらえるようになったらいいなと思います。一緒に楽しみましょう(ピース)

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