かじってみよう“社会学”(第1講「イントロ」)

みなさんおはようございます。『かじってみよう“社会学”』を開講致します。

多くのみなさんから励ましのメッセージを頂きとても嬉しいです。同時に、後戻りできないプレシャーを感じています。本日(11月8日)の第1講目は、かじってみよう“社会学”を始めようと思った動機やどの様に進めていこうと考えているのか等々についてお話しし、みなさんと一緒に気持ちを合わせて進めて行く為のご説明となります。『かじってみよう“社会学”』のイントロダクション(introduction:本論の前置きとして述べる、導入的、総括的な概説)です。

かじってみよう“社会学”は、毎週月曜日5ヶ月15回、1,500字程度の内容の文章をHP(https://welfare0622.org/)に掲載し、それをみなさんに読んでもらうというやり方で進めます。大学で言えば2単位に相当する学習時間です。講義内容は、全体を三部構成にします。

第一部は、イントロダクション「社会学ってどんな学問?」

第二部は、社会学で扱う言葉を解説する「社会学理論」

第三部は、社会学と生活の関わりを取り上げる「生活の中の社会学」です。

大学であれば、毎回の講義毎にミニッツペーパーと呼ばれている小テストを課し、最終には学生の習熟度を判断するためにレポート(A4版1枚:1,500字程度)を求めます。しかし、ここでは、そのようなことを求めたら誰も参加してくれないと思うので、小テストも最終レポートもありません。でも、可能なら感想や叱咤激励を「返信」で寄せて頂けると嬉しいです。その際、私に対してだけではなく、この『かじってみよう“社会学”』の受講者同士で感想を交換し合うような姿(受講者の感想に他の受講者が感想を送る)を私は期待しています。

次に、「受講料はいかほど?」とありました。当然、受講料を頂けるような内容・レベルではありませんので、当然全く不要です。私に頂けるようなお金がありましたら、托鉢を行っているお坊さんとか教会の礼拝での献金等に使って下さい。

講義には、写真にあるような図書(例示程度の冊数を乗せました)を参考文献として用いながら、お話しさせて頂きます。基本的には私のオリジナルはありません。申し訳ありません。オリジナルな理論を申し上げられるほどの学問的知見や研究成果はありません。私のお話は、これまで多くの学者が積み上げてきた知見を、出来るだけわかりやすく解説するというやり方で行わせて頂きます。

私が、『かじってみよう“社会学”』を始めようとしたのは、物事を見る際の視点を一つ増やしてもらいたいという想いからです。世の中では、日々、様々なことが起きています。そして多くの情報が氾濫しています。私達の暮らす社会は、私達の日常の振る舞いや消費行動という自己選択・自己決定によって、この社会の流れを作っています。

このような中にあって、私達は目の前に起きていることやこれから起きそうなことについて、どの様に判断し対処していかなければいけないのでしょうか。ただたた世の中の流れに身を託する生き方もあるでしょう。何かことが起きると「行政頼み」に終始し行政におんぶにだっこの生き方もあるでしょう。でも、いずれも自分であって自分でない生活、他者の判断に身を委ねる生活になってしまうような気がします。そして、気づいたときには「こんなはずではなかった」と悔やんでも悔やみきれない社会に放り込まれてしまうことになってしまいます。

これを避けるためには、もう少し、世の中を自分の目でしっかり見て、自分なりの考えを持てるようになることが必要なのではないかと思います。

この時の「自分なりの考え」を持てるようになる為には、物事を切る(判断する)ためのメス(判断基準・着目点=分析する手段)が必要です。このメスを持つことで、自分オリジナルの判断及び他者の判断の根拠を知ることが出来、それらを比較検討することによって、独善的(自分だけが正しいと考えるさま。ひとりよがりであるさま。)判断を避け、より客観的で的確な判断を可能にします。この様にして、物事を見るメスを持つことは、複眼的な視点で「自分なりの考え」を持つ助けになります。

『かじってみよう“社会学”』は、このメスを持つことに役に立つのではないかと思ったのです。みなさんが従来から持っていた判断基準にもう一つの分析手段を持つことで、玉石混交の溢れるような情報の中から、より自分の考え方にあった情報を選び出し、様々な人達の論考をただ鵜呑みにするだけではない受け止め方をすることに役立つのではないかと思うのです。簡単な言い方をすれば、私達の目を肥やすことに役立つのはないかと思うのです。このことがひいてはより良い社会づくりに役に立つのではないかと考えたのです。

少し大げさな言い方になってしまいましたが、物事を従来の見方だけではなく、違った視点で見ることのできる力「見立て力」を高めることに役立てば嬉しいです。どこまで、この狙いが達成できるかは分かりませんが、面白半分、興味本位、冷やかし、で結構です。一緒に社会学の視点で、人と人、人と社会の関わりを見てみませんか?

来週15日(月)から本論に入ります。皆さんの聴講を心からお待ちしています。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

かじってみよう“社会学”(第1講「イントロ」)” に対して8件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    3月7日より2週目に入ります。

    本間先生の意図、着地点を確認する。
    物事を見る際の視点を一つ増やしてもらいたい。社会学の視点。
    「自分なりの考え」を持てるようになるためには、判断基準・分析する手段(メス)が必要だ。
    これを持てば、オリジナルの客観的で的確な判断が可能となる。目が肥える。
    目が肥えた人々が増えていけば、より良い社会づくりに役に立つのではないか。役立てたい。

    15講終えた今、大げさでも何でもなく、見立て力が高まったと感じています。

  2. 00 より:

    コロナ禍で、改めて社会学をはじめ歴史や思想、哲学、心理学を学びなおしてみると、
    現在の社会に蔓延っている無学の醜態があらゆるところで見られるような気がします。
    私自身、コロナ禍で今まで歴史には興味がなく適当に学んできてしまったことを実感し、
    改めて歴史に向き合おう思うきっかけにもなりました。
    社会の在り方は人間一人が簡単に変えることのできるものではないけれど、
    気づいたとき、機会が与えられたときに、学ぼうとする志を持つことはとても大事なことだと思います。
    この「かじってみよう社会学」で私を含めたくさんの人が与えられた貴重な機会を活かし、「ものごとを見る目を一つ増や」して、社会を面白がれる感性を育んでいけたら素敵だなと思います。
    また私自身、社会学や心理学、思想など文系学問を学んでいる身として、文系学問の自己内省的学問としての面白みを共有できたら嬉しいです。
    楽しみにしています。

    1. welfare0622 より:

      無限の可能性を秘める00さん有り難うございます。
      「現在の社会に蔓延っている無学の醜態」との指摘、心に刺さります。

      そんな社会をつくってきた我々大人の責任は大きいと思っています。
      そのようなことから、我々は、子どもたの未来が輝く希望の持てる社会にする為に、もっと学ばなければいけない。そう思い、その一助とすべく「かじってみよう社会学」を企画しました。

      私自身、まだまだ力不足ですが、これを読んでくださる方々と一緒に学びを深め、かといって肩肘張ることなく、楽しみながら悩みながら、明日に希望を持って日々を刻んで行きたいと思っています。

      とても熱いメッセージを有り難うございます。

  3. 阿部 優 より:

    社会学というと、大局というか視野が広すぎて使い方に困る、という印象を持っています。

    しかし、本間先生のゴールが具体的かつ明確に示されているのをみて、早くも感動しています。

    気が早いですが、16回目に本間先生の生講義が聞けたら最高です!

  4. Da Cruz より:

    私たちの(社会を・地域を見る)目を肥やす、物事を違った視点から見てみる「見立て力」…
    しっかり身に着け養いたいと思います!
    オンライン本間ゼミですね!楽しみに参加します!よろしくお願いします。

  5. お待ちしていました!鈴虫さんがおっしゃっているように、イントロダクションだけでわくわくします。また、書かれてある内容に深く頷いています。

    『気づいたときには「こんなはずではなかった」と悔やんでも悔やみきれない社会に放り込まれてしまうこと』(本文より)は想像するだけでぞっとしますし、どうしてもそれは避けたい。

    『これを避けるためには、もう少し、世の中を自分の目でしっかり見て、自分なりの考えを持てるようになることが必要なのではないか』(本文より)というのは本当にそれしかないと思います。

    本間先生に教えて頂きながら、一緒に参加している方たちと交流しながらの15回、これからの自分のためにも、未来のためにも、楽しみながらしっかり受講したいと思います。

    『物事を従来の見方だけではなく、違った視点で見ることのできる力「見立て力」を高めることに役立てば嬉しいです』(本文より)という言葉を読んで、ハッとしました。ちょうど私たちNaritaマルシェのウェブサイトで昨日『子育てのタネ~本気の「ごっこ遊び」~』というタイトルで、「見立てて遊ぶ」ことの大切さ、その力こそ子どもたちに持たせてあげるべきものなのではないか・・・と書いたところだったのです。

    もちろん、私たち大人も日々「見立て力」を鍛える必要があります。与えていただいた命を最後の瞬間まで輝かせるためにも、共に学べる場があることを心から嬉しく思います。

    どうぞよろしくお願いいたします。

  6. 鈴虫 より:

    おはようございます。
    いよいよ始まるのですね。

    イントロダクションを見ただけでワクワクが止まりません。
    これまでの物事の見かたを様々な視点から見直す機会になるのかなと思います。

    噛み砕いて講義頂いたものをよーくモグモグして、飲み込みの悪い脳みそに吸収させたいと思います。
    お手柔らかにお願いします。

  7. K より:

    おはようございます。
    私たちの身の回りには実にさまざまな情報、出来事が存在しますが、ただ流されず、かと言って自分の考えだけに固執しないよう、「見立て力」を高められたらと思います。さらにみなさんのいろいろな意見を聴けるのもいいですね。
    来週から楽しみにしております。
    よろしくお願いいたします😃

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