宮城県の障害者福祉に大きな影響を与えた人が逝く(田島良昭)

みなさんは、約18年前に知的障害者を大型施設ではなく地域で暮らせるようにしよう(知的障害者の地域移行)と、宮城県の障害者施策の方向を明確に打ち出した『みやぎ知的障害者施設解体宣言』を覚えているでしょうか。

この解体宣言を出した当時の浅野宮城県知事の理論的・精神的支柱となったのが田島良昭さんです。ロニー雲仙(長崎県)の施設長だった田島氏は、厚生労働省障害福祉課長だった浅野史郎氏と障害者福祉施策の分野で意気投合し、1993(平成5)年11月、浅野史郎氏が宮城県知事になってから、1996(平成8)年4月宮城県福祉事業団副理事長(後に理事長)として迎えられ、知事と二人三脚で障害者福祉施策の改革に取り組みました。

浅野史郎氏が厚生省障害福祉課長時代の1989(昭和64)年、制度化された「地域生活支援事業」(知的障害者グループホーム)を下に知的障害者の地域移行は積極的進められ、知的障害者グループホームが急速に整備されました。その流れを宮城県の基本施策として確固としたのが『みやぎ知的障害者施設解体宣言』です。

みやぎ知的障害者施設解体宣言

宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中で生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることを、ここに宣言する。

宮城県福祉事業団は、2002(平成14)年11月23日、船形コロニーを2010年までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるという、「施設解体みやぎ宣言」を発した。宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。施設運営に関わる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。

この疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。船形コロニーは知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別に設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中では、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。にもかかわらず、施設解体宣言を発したということの重みを、十分に考える必要がある。

知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的であるという原点に戻って考えたい。地域の中にこそ普通の生活がある。適切な支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送ることができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、これまでの多くの実践の中で実証されている。

船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。つまり、知的障害者の入所施設を解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向として、明確に示す必要がある。それが、今、このような宣言を発する理由である。

宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。知的障害者への各種の施策が量的にも、質的にも貧しかった頃、知的障害者施策の中心は、施設入所であった。「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老いていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。施設入所は、こういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。

入所施設での処遇に比べれば、地域生活支援施策は、歴史的にも浅いものであり、目に見えるインパクトとしても施設のように目立たない。一握りの先進的な取組みとして存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識されていた時代が長く続いている。一方において、入所施設は、多くの職員と関係者を抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。そういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われることがないままに、障害福祉の仕事は成り立っていた。「あなたは、どこに住みたいのか」、「あなたは、誰と暮らしたいのか」、「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めつけられる存在としての知的障害者という図式である。障害福祉の仕事は、知的障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対して、まず、この問いが発せられなければならない。そして、その答を模索することが求められる。

知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがあったとしても、知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならない。障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。普通の生活は施設の中にはない。地域にしかない。であるとすれば、地域の中で、知的障害ゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。グループホームがある。日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保などなど、やるべきことはたくさんある。宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である。「施設解体」を宣言しても、解体することに目的があるのではない。あくまでも、知的障害を持った人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。そのような条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということになる。宮城県の障害福祉のありようとして、こういった方向に進んでいくことを少しでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。

宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのではない。時間はかかっても、目指すべきは施設解体、まずは、それが可能になるための、地域生活支援の施策の充実である。県内のそれぞれの入所施設において、このことを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いが出てくる。それぞれの施設において、解体が可能になるまでにやるべきことは何か、何が障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交えて真剣に討議し、行動することが求められる。

繰り返して言う。障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにすることである。そのために、今、それぞれの立場で何をなすべきか。たどり着くべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。

2004(平成16)年2月21日

宮城県知事:浅野史郎

今日(10月30日)、新聞の切り抜きをしていて田島氏が亡くなった(8月2日76歳)ことを知り、改めて宮城県の障害者福祉に貢献された田島氏を偲んだ次第です。燃えるような熱気のあった障害者福祉分野は、今、どの様になっているのでしょうか。当時のDNAがしっかり継承されているのでしょうか。

現場の情報に疎くなった私には分かりません。障害者福祉は、その社会の成熟度を現すと言われています。このことはSDGs 目標10「人や国の不平等をなくそう」にも関わることです。障害者の置かれている現状に目を向けてみることも必要だと思います。

高齢者福祉の福祉施設は、ほぼ100%公的費用がつぎ込まれて社会福祉法人等が設置運営しています。一方、障害者施設は、障害者を持つ親の会が設置している場合などがあります。私は、現職の時にこの事実を知って愕然としたことを思い出します。

無関心は現状肯定になってしまいます。何か、我が身に関わることがあったときでも良いので、しっかり現状と向き合う時間を持ちたいものです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

宮城県の障害者福祉に大きな影響を与えた人が逝く(田島良昭)” に対して19件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    若松じゅん子さま
    桜の景色が日々の疲れを癒してくれる、いい季節です。
    その後、ご家族みなさま如何お過ごしでしょうか。

    私は最近、ひとりの男性から名前を覚えて頂き、何をするにも私と一緒にしたいとご指名を頂けるようになりました。

    その方は好き嫌いがハッキリしていて、思い通りにならない時には叫んでしまいます。ところが、少し経つと「さっきはごめんなさい」と忘れずに反省されています。
    喜怒哀楽がシンプルで分かりやすいのです。
    私は彼に会うたびに、その行為や表情から家族に温かく支えられているだろうことを感じています。
    そして、今回の名前の件では先に苗字を覚えてくれましたが「下の名前で呼んでくださいよ~」とお教えしたのです。
    すると次に会った時には「〇〇さ〜ん」と覚えきてくれた!
    あれから彼の中で、私との関わりが何度も思い出されていたのかと感激したのです。

    私は彼に関わる者として、日常の何でもない関わりを一緒に積み重ねていく。
    只、それだけに尽きると思っているのです。
    私がこんなことをあらためて言葉にするまでもなく、彼は本能的に同じく感じていることと思います。
    そして、私は彼との関わりの中で尊い学びを授けられているのでしょう。

    若松家のみなさんにも、春の穏やかな時間が流れていますように🌸

  2. 若松 じゅんこ より:

     私の弟は知的障がい者です。私は、以前知的障がい者更生施設で働いており、解体した船形コロニーの入所者数名の受け入れを経験しています。浅野知事の宣言は立派なものでした。しかし、行き場のない障がい者がいたことも事実です。
     私の弟は多機能型のグループホームに入居していますが、問題とされる行動が悪化し、このまま入居できるかどうか危ぶまれています。私が小さいころから感じてきたことは、福祉は何もしてくれないということです。私の両親は高齢になってもずっと我が子の行く末を案じ、親亡き後の心配を死に際までするのでしょう。障がい者が普通に暮らせるなど、幻想としか思えません。私も、ずっとたったひとりの弟のことを背負わなくてはなりません。普通に暮らすなど、考えられません。
     

    1. welfare0622 より:

      コメントを有り難うございます。障害者福祉の分野では、厳しい現実がそれも長期間続くという状況があり、親御さんやご家族のみなさんの心痛は想像を遙かに超えるものがあると思っています。障害者の高齢化なども進み、終の棲家としては難しいグループホームの現状など、次から次と課題が襲ってくる。それに対して制度は一体なになのか、何を支えてくれているのか。返す言葉が見当たらない現状が多々あります。地域で見守るという障害者福祉の方向性は尊重するものの、受け皿となる地域の理解は進んでいるのか。地域で暮らせるハード的、社会的環境整備は進んでいるのか。これらの全てに、まだまだ納得できる回答がないというのが現状。これが私たちの社会の障害者福祉の姿です。

      どれだけの人々が、この現実を知っているのでしょうか。どれだけの人が、我が事として障害者福祉と向き合おうとしているのでしょうか。制度の充実には、多くの人々にこの現状を知ってもらうことも重要な要素になってきます。障害者福祉は、社会の成熟度を表す指標だともいわれています。みなさんの声を多くの人に伝え、共感を広めて下さい。これまで長い間、良かれと思ってやって来たことではありますが、障害者は人々の目から遠ざけられ、結果としてその存在が限られた空間に押し込められるという現状もありました。

      今、その反省に立ち、障害者福祉施設の小規模化や特別支援学校から支援学級の充実へ等々、地域で共に暮らす社会をつくっていく方向性が模索されています。きれい事を言うつもりはありません。もっともっと地域社会の中で暮らし、人々に「特別視されない」地域共生社会の構築が急務です。地域で暮らせる環境整備は喫緊の課題です。

      様々な機会を使って、障害者福祉の現状を訴え、市民に「社会的想像力」を持たせて下さい。偏見を取り払うためには、もっともと多くの人々に現実を知らしめて下さい。制度の充実のためにも、多くに人に現状を伝えてください。劇的に状況が変わるとは思いませんが、少しずつではあっても意識変革の輪は広がっていくと私は信じています。

      こうしてコメントを頂いたことも、こうした流れにつながっていくものと思います。何か特別な対応が出来るわけではありませんが、「知る」ことが次なる一歩につながると信じます。この度はコメントを頂き有り難うございました。

      1. 若松 じゅんこ より:

         返信ありがとうございます。読んで涙がでました。他人事としてとらえていないところが、ただただ驚くばかりでした。誰に相談しても、結局他人事です。私自身も弟の現状と課題などを発信し、「知ること」につなげられたらと思いました。私の両親のことを思うと、また障がいをもって生まれた弟のことを思うと胸がいっぱいになります。
         障がいをもっても安心して暮らせる社会は遠いですが、少しづつ実現すればよいです。コメントをいただきまして、たいへん恐縮です。励みになります。ありがとうございました。

        1. welfare0622 より:

          私には、力になれることは何もないかも知れません。でも、こうした状況を理解しようと思い、すこしでも貴女の苦しみや願いに寄り添いたいと思う、そんな自分になりたいと努力することは出来ます。弟さんの小さな成長に喜びを見いだし、その事の積み重ねが希望となることを祈っています。希望は力です。批判からは何も生まれません。些細なことに希望を見いだせる、そんな人こそ共感の輪を広げ社会を導く人なのだと思います。何も力になれず申し訳けないです。こんなことしか言えない自分が恥ずかしいです。ごめんなさい。

          1. 若松 じゅん子 より:

            とんでもないです。わかってくれようと努力してくださる人が一人でもいることが、私たちのようなものの救いになります。本当に心からありがとうございます。

  3. 鈴虫 より:

    浅野前宮城県知事の近況が気になり調べてみました。
    知事職を離れた後には複数の大学で教鞭を取られ、今現在は岡山県のALSなどの方をケアする重度訪問介護施設のアドバイザーに就任されているようです。
    「障害者が施設ではなく地域で普通に暮らせる社会をつくろう」と、2004年に宮城県で施設解体宣言をした頃と変わらぬ信念を持ち続けて活動しておられるようです。
    この様な素晴らしいリーダーが居てくれたこと、その先導によって変わり続けてきた時代を生きていることに感謝したいです。
    「たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている」私もそのように信じます。
    そして、大変遅くなりましたが、私も同じ船に乗り込みましたと伝えたい気持ちです。

  4. 『繰り返して言う。障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにすることである。そのために、今、それぞれの立場で何をなすべきか。たどり着くべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。同じ船に一緒に乗り込んで欲しい』

    当時の浅野県知事のこの言葉に圧倒されています。文章で読んでいるのに、まるで目の前で精魂込めて語り掛けられているように感じます。現役で県知事をなさっている時に、もっともっとその姿勢を知りたかった、という気持ちでいっぱいです。

    高齢者の抱える問題に関しては、「介護」にしてもまた「高齢になっていく」ということにしても、誰もが「いずれは自分も・・・」という意識があるから共感も得られやすいし、政策も進めやすい。でも様々な障害を抱えている人やその家族のことに関しては、私たちにさらなる「社会的想像力」が求められるもので、果たして自分は、と振り返っても「無関心」に近いのではないかと思わずにいられません。

    だからこそ、当時の行政のトップであった浅野県知事の『みやぎ知的障害者施設解体宣言』は衝撃です。知ろうとしなかった自分を恥ずかしく思います。

    本間先生のホームページを通して教えていただいたことに感謝いたします。浅野県知事と同じような熱い想いを今日の記事に感じ、先生がどのような想いで県政に携わってきたのか、その一端を垣間見たような気持でいます。

    『同じ船に一緒に乗り込んで欲しい』と浅野知事が訴えていたとき、無関心だった私のこれからの一歩を、少しでも「無関心からの脱却」へ迎えるものにしたいと思います。いつもご教示ありがとうございます。

    1. welfare0622 より:

      コメント有り難うございます。私は、Naritaマルシェの活動(私の認識では社会運動)は、フィールドは違いますが、目指す社会は彼の求めた社会に共通するものがあるように思います。とても感心し共感を持って見ています。

      『無関心』は現状肯定となってしまいます。様々な場所・機会に、声高に拳を振り挙げなくても良い、「これでいいのか?」と立ち止まり考えてみる時間を持つことを忘れないようにしたいです。

      今回も心強いエールを有り難うございます。

  5. 鈴虫 より:

    当時の浅野宮城県知事が知的障害者施設解体宣言をしたというニュースを見て、私は障害者を施設から地域に放り出すのかと間違った捉え方をした事を覚えています。
    私達の地域にはその受け皿となる体制や覚悟が何も無いと思ったからでした。
    でも、解体を目標にその為にどうすればいいか、どうすれば地域に生活の場を移せるかという議論や意識改革がなされたのですね。世の中のあたりまえとして来た事に疑問を持ち、猛省したからこその宣言だったと知りました。
    私が日常的に行っている事にも、これでいいのか?と立ち止まって考える事が大切だとわかります。何事にも意味がある、何故こうなったか、何故こうするのかとひとつ一つ良く考えることから始めなければと思います。
    慣例を撃ち破ることは大きな決断ではありますが、なぜ変えなければならないのかをよくよく考え、理論的に説明ができれば決して不可能などないのだと教えられました。
    目指すところはこれです、その為にはこれらを解決し、このような体制を構築しましょう。この様な考え方が出来るよう、謙虚な気持ちで学び続けたいと思います。
    障害者も高齢者も私達も同じステージに立ち、それぞれの役割を持ち寄って助け合うのが私達の目指す地域社会なのだと改めてこころしました。
    今日もありがとうございました。

    1. welfare0622 より:

      「障害者を施設から地域に放り出すのか」当時、多くの方々がそのように捉えました。特に、障害者施設で暮らす子どもを持つ親には根強い反対があったのも事実です。一生安心して暮らせる場を持てたと思っていたのに、何を言い出すのだ!って。

      でも、そう思う親を責められない。そう言わざるを得ない現実があるからです。私達は、施設に送らなくても良い、親元で育てられることを可能にする社会をつくっていく必要があります。

      どうすれば良いのか、考えましょう。そして小さなことから実践を積み重ね、我々の社会の潮流にしましょう。

      1. 鈴虫 より:

        人それぞれの違いを障害や認知症とグループ分けする事がもはやナンセンスなのだと思います。要支援者と支援者との区別もしかり。
        支援しているつもりが反対に教えられ癒されている、と同時に私ならではの役割まで頂いていると痛感して感謝の毎日です。
        一人ひとりの生きづらさを地域全体で引き受けられるような懐の深い地域が良いです。
        これを実現するためには、折に触れ周りに広報して同志を増やしていこうと思います!

        勇気の湧くアドバイスをありがとうございました。

    2. welfare0622 より:

      「障害者を施設から地域に放り出すのか」この様な声は多く聞こえました。特に障害者を持つ親には少なからずありました。私達は、そう思う親や人々を責めることは出来ません。そう言わざるを得なかった現状があったからです。

      私達は現状を知り多くのことを学ばなければ、彼らを地域の一住民として受け入れようとしません。障害者グループホームの設置を拒否する運動が起きたりする不幸な現実をなくすためにも、彼らのおかれている現状を知らなければなりません。

      このHPが、これまで見過ごしてきたことを改めて考えてみる機会として受け入れて頂けるよう頑張ります。これからも宜しくお願いします。

      1. 鈴虫 より:

        私はあまりにも世の中に興味が無さ過ぎたのです。
        もっと知らなくてはならない事が山ほど有ります。
        学びの種は限りがない、その事に気づかせて頂いて感謝です。

  6. Y.H より:

    田島良昭さんのことはよく存じ上げておりました。お亡くなりになられたのですね。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

    船形コロニーの解体の話を聞いた時は、よくぞやってくれました宮城県!と胸が熱くなったことを思い出します。現実的には、ではその後どのようにしてその重度の障がいを持つ人たちを受け入れていくのか、支えていくのかがたくさん議論されたと思います。
    そこですぐに思い出すのは、白石の共生型グループホーム「ながさか」です。本間先生の発案ですよね。確か、重症心身障害者と知的障害者や認知症高齢者等が,一つ屋根の下で年齢や障害の内容・程度を超えて,地域との関わりの中で生きがいや役割を持ちながら豊かに暮らすことを目的とした,ケア、サポート付きの住まいで、生活を共にするグループホームとしては全国初の取り組みであったかと思います。(素晴らしい!パチパチパチ)
    私も何回か見学に行き、掘りごたつで癒された記憶があります。あのようなグループホームは今は県内に増えているのでしょうね。

    しかし、まだ不十分でも、認知症をお持ちの方への施策はいろいろ拡がりや深まりを感じますが、知的障がい者や精神障がい者の施策はどうなっているのだろうかとふと思ってしまいました。先日、米粉の入ったこんにゃくを求めにある授産施設に行ったのですが、車をしばらく走らせ着いたのは、人里離れた山の中でした。

    SDGs 目標10「人や国の不平等をなくそう」を改めて読み直してみようと思います。

    1. welfare0622 より:

      共生型グループホーム「ながさか」を記憶に留めて頂き有り難うございます。あの掘りごたつ、縁側は、どうしても欲しいと設計業者にお願いして実現しました。現在で言う共生社会の象徴としての取り組みでした。障かい者健常者の区別のない共生、施設と地域の共生、自律と支援の共生等々、様々な共生が組み合わされると、それは、何らかの不自由さを抱えながらも「あたりまえ」の生活を営む生活の場になります。そのようなことを夢見て頑張ったように思います。

      宮城県の障害者福祉を日本一にする!そのような覇気のある取り組みを期待しています。なぜなら、障害者福祉は、その社会の成熟のバリメータだからです。障害があっても暮らせる社会はきっと豊かな社会です。「親亡き後」を心配しながら年老いていく親を泣かせてはいけません。その家族だけではなく、地域社会全体で支えていく社会、そのな社会が「当たり前だ!」とさらりと言える社会でありたいです。

      1. H.Y より:

        「親亡き後」を心配しながら年老いていく親を泣かせてはいけません。
        身に沁みる言葉です。
        具体的にどうしていったらと思いますが、制度と共にやはり地域福祉がキーワードになって来ますね。様々な共生、自分のこととして考えてみないといけないと思います。

        そう言えば、最近の選挙ではそのようなことを少しでも話題にしたのは野田聖子さん、ただ一人だったかも・・

  7. 鈴木郁子 より:

    「地域の中にこそ普通の生活がある」
    「念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いが出てくる」
    どんなことにも通じる大切な考え方だと思います、思いを込めた先人の知恵を心に刻みたいとおもいます。
    ありがとうございます。

    1. welfare0622 より:

      おはようございます。物事を意識してみるのと、ただ万全と眺めているのでは大きな違いがあります。たまにでいい、物事を「なぜ、どうして」とチョットだけ意識してみると、以外にも新たな発見や学びに出会えることがあります。そんな時間を持ち合わせる生活って良いなって感じます。

      また、「地域」という普段は意識していない空気のような存在の地域。今見えている世界は、決して普通ではなく、決して自然に出来る空間(場)ではありません。みなさんの振る舞いが醸し出す唯一無二の場所だと思います。

      いつもコメント有り難うございます。

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