訃報が届く、ただただ悲しい
一枚のはがきに立ち尽くしてしまいました。長寿社会政策課で机を並べた最も若い同僚が急逝したのです。食道静脈瘤破裂で緊急搬送され、翌日(8月31日)には満四十九歳の生涯を閉じています。また、葬儀などは、コロナ禍にあることから、近親者のみで既に執り行っているとありました。夫と長女の二人を残して旅立ちました。
喜びには言葉が口をついで出てくる。そして、喜びを分かち合える。悲しみは共有する言葉はなく、分かち合うことは出来ない。喜びに言葉はあるが、悲しみに言葉はない。全く、そう思います。今朝、普段より丁寧にお経をあげました。今私の出来るご供養は、このくらいのことです。
同じ職場で机を並べたのは、2年程しかありません。しかし、その時の同僚は、転勤後も何かと理由を付けては集まり、毎年年末には県内外で泊まりがけで懇親を深めています。20年以上も続いているのですが、昨年はコロナ禍にあるために初めて中止しましたので、今年は何とかやろうねって言っていた矢先でした。
故人は、とても優秀な方で、20年も前に「成年後見制度」の重要性を説き、自分で資料を集め解説本を作成に県内の高齢者福祉・障害者福祉の関係者に配っています。今でこそ、認知症高齢者や障害者の地域移行で、自己選択自己決定を支える成年後見の重要性が語られるようになっていますが、20年前となると「成年後見」という言葉は一般化していませんでした。長寿社会政策課で仕事をするようになって、日常的に班内で語られている認知症高齢者の実態に触れたことが切っ掛けになったようでした。
コロナ禍が落ち着いたら、お線香をあげに伺いたいと思っています。其れまでは、朝夕お経をあげることで供養したいと思っています。
悲しいですね。
介護保険制度が始まった頃に成年後見制度も出てきたように記憶しています。当時、なかなか理解できずにいたときに、同僚の方が作った解説本をとても参考にさせていただきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
故人はとても喜ぶと思います。実際に使って頂いた方からのコメントは何よりの供養になると思います。有り難うございました。何らかの方法でご遺族にお伝えします。