満80歳、栗駒山頂(標高1,626m)に立つ
2021(令和3)年8月28日午前9時37分、ちよのさんは栗駒山山頂に立ちました。長年、ちよのさんは、自宅から薄青くみえる栗駒山を朝な夕なに眺めていました。そうしているうちの5月25日、社協若柳支部が毎月開催している「にこにこカフェ」に参加していたちよのさんのことばを社協職員由利さんは聞き漏らしませんでした。「80歳になったが、人生の最後やりたい事は、毎日眺める栗駒山に登りたい!」。たまたま居合わせた、律子さん(3月社協を定年退職)もしっかり聞き取っていました。
社協職員由利さんは、「何とか願いを叶えたい」「ちよのさんなら、きっとやり遂げれる」と思い、コロナ禍や高齢であることなどの不安材料は山ほどありました直ぐにサポート人財を頭の中で探す行動に出ました。
当日に向けての始めての打ち合わせは6月17日に行っています。始めに行ったことは、栗駒山を知り尽くしている地元の博泰さんに計画の趣旨を説明し登山ガイドを依頼することでした。博泰さんには快諾を頂き、8月28日(土)決行と決めています。
それを受けて、当日までに様々な準備に取りかかっています。7月21日に登山メンバーで再打ち合わせ。博泰さん、律子さん、社協職員由利さんの三人で当日の詳細なタイムスケジュールを決めて、最終準備に入っています。
当初は、社協職員由利さんのチャンネルで現職の看護師も参加を予定しましたが、宮城県がコロナ禍にあって緊急事態宣言下に入ることに伴いコロナ自粛で参加を見合わせることになってしまいました。 ちよのさんの大親友のかずえさんは、一緒に登るのは無理だから、しっかり送りだししっかり迎えてあげたいと、当日のお昼の準備を担当することになりました。ちよのさんの娘は、無事を祈り登坂メンバー全員に手作りの天然石のお守り作りをしています。
準備は進み具体化するにつれて、当初家で待つと言っていた夫の清四郎さんにも傍で支えたいと参加するようになっています。ちよのさんは、栗駒山登山が具体化するにつれて「優しくなった」と帰路で語っていました。
栗駒山登山当日(8月28日)の朝は薄曇りでカンカン照りを免れ安心しました。栗駒山と縁のある駒形根神社(東奥の一宮で栗駒山頂には奥宮がある)に登山の安全と登頂成功を祈願してから栗駒山登山口「いわかがみ平」に向かいました。この頃は、皆さん余裕で口数も多く、普段と変わらない様子です。そのような中でただ一人、様々な想定を反芻して不安を隠せない様子を見せていたのが、企画運営の中心である社協職員由利さんでした。
7時34分、登山開始。メンバーは、ちよのさん、清四郎さん(夫)、博泰さん(登山ガイド)、律子さん(元社協職員:登坂サポート)、利浩さん(CLC同行取材)、由利さん(企画運勢責任者)及び私(記録担当)の7人です。清四郎さん(夫)は、登山は初めてだと言っていましたが、登山開始から終始先頭を歩き、「早いよ~!」と声がかかるほどの健脚でした。あたりまえかも知れませんが、皆さん余裕でお話をしながら登っています。ちよのさんは、誰の支えもなく、山菜採りの感じで歩を進めていました。
頂上を望める場所に辿り着く頃には、「もう少しだから頑張れ~」の声に「もう少しが長いんだよね」等と応えながらの歩みになっています。途中、段差がとても大きな場所では、夫の清四郎さんが待ってて手を貸して引き上げる微笑ましい様子も見られました。頂上近くでは、二本丸太で階段が作られた急勾配の登山道になり、さすがにちよのさん一人では厳しく、博泰さん(登山ガイド)の手を借りていました。
9時37分、栗駒山山頂に立ちました。ちよのさんは、万歳をするわけでもなく、ただ微笑んでいるだけでした。周りの我々は、感激で拍手と「おめでとう」を連呼していました。居合わせた登山している皆さんに、「80歳の方が自力で登ってきました」と、紹介すると、「凄いですね」等と言いながら拍手で迎えてくれました。山頂では、博泰さん(登山ガイド)が事前に用意してくれていた横断幕を広げて記念撮影をしました。そんな様子を周りの登山者も拍手で応援してくれています。それを見ていて、何かとても良い感じだなって思ってみていました。
ちよのさんは私たちのために朝早くに起きて用意してくれたシソの葉をまいたおにぎりや博泰さん(登山ガイド)が持って来てくれたあんパンを頂き、十分な栄養補給と休養を取りしばしの登山談義に花を咲かせました。
10時、下山を開始しました。天候は雲が広がり、しだいに雲の中を下山する状況でした。雨粒が大きくなったり小さくなったりして来ました。登山道の敷石はとても滑りやすくなり、それでなくとも疲労で足下がぐらついている状況なので、足首をひねり捻挫しそうな中での山行でした。皆さん次第に無口になり、顔も険しくなってきた感じです。
そのようななか、律子さん(元社協職員:登坂サポート)と由利さん(企画運勢責任者)は、本体とだいぶ距離が空き、ちよのさんは「御姫さん達は大丈夫かね~」と何度も振り返る時がありました。休憩をかねて待っていると二人が戻ってきて、開口一番「すいませ~ん、40年ぶりで二人とも知っている知人に会い話し込んでいました」と、言うものでした。色々なことのある山行です。
下山も、もう一息といったところまで来た頃のちよのさんと博泰さん(登山ガイド)の会話です。この頃には、博泰さん(登山ガイド)の支えが必須の状況になっていました。
ちよのさん「もうしわけないね~」
博泰さん 「年を重ねてくると、人様と関われることが嬉しいんですよ。」「この様な出会いもあるしね」
ちよのさん「ありがたいです」
このような短いけどとても深い会話がありました。なんて素敵な関わり出会いなんだろうと思いました。
11時57分、駐車場に着く。同級生で大親友の一枝さん、お茶飲み仲間の一人さざれさん、そして二人を車に乗せていわかがみ平らまで来てくれた行政区長の茂さんの三人が駆け寄ってきました。発泡スチロールの箱いっぱいにお弁当を詰め込んで待っていてくれました。
ちよのさんは、雨に濡れた頭や顔を拭きながら言葉少なです。偉業達成の実感を持つには、今の疲労困憊(ひろうこんぱい)の状況が過ぎないと難しいかも知れません。それほど、下りはきつかったと思います。
ここでは、用意してくれたお弁当(いなり寿司、しその葉おにぎり、ウインナー、卵焼き等々)をみんなで頂き、空腹と疲れを癒やしました。何よりのおかずは、同級生で大親友の一枝さんのみなさんへの振る舞いといつもの語り口調でした。彼女の語りで、一気にいつものお茶会の雰囲気が醸し出された感じがしました。
ちよのさんは、良い友達、近隣の方々と関わっているなと感じました。
私がこの80歳の高齢者が挑む栗駒山登山に関心を持ったのは、正にここです。80歳という高齢で登山するということは、とても素晴らしいことです。
しかし、わたしが着目したのは、地域福祉は「自己実現」を支える活動なのだという視点です。「福祉」という言葉には、弱者救済や障害・高齢などの言葉だけが連想され、ややもすると救貧的なイメージを引きずってしまいがちです。
しかし、私が考える福祉は違います。福祉は、もっと全ての方々に関わり、より豊かな生活を営むために必要な施策で有り、運動であると考えています。今回のことは、この考え方に、更に「自己実現を支える場」であることを教えて頂きました。私は、このような地域福祉を社会全体に理解して頂き、それぞれ出来ることで取り組んでもらいたいと思っています。
今日、この活動を知らせた方から、助言を頂きました。人生最後のお願いだけではなく、もっと身近なところで、例えば誕生日に目前の願いを叶えるお手伝いをする等、年を重ねることを前向きに捉えられるような活動を支えてあげることが大事だと。
現在の社会においては、年を重ねることが必ずしも喜びにつながっていない現状が多々あります。しかし、上記のようなことがあると、本当の意味で「長寿」社会といえるようになるのではないかと考えさせられました。
何か目標を持つということは、努力や希望につながります。そのような年の積む重ね方は、きっと長寿社会と呼べる時を引き寄せてくれるように思います。また一つ、勉強させていただきました。
(註)個人情報保護の視点で氏名はお名前で記載しています。特に、親しいからお名前を記述しているわけではありません。なれなれしく感じたらお詫び致します。
ちよのさん80歳、栗駒山の歩幅に合わないあの階段を一歩ずつ登ったのですね。
おめでとうございました!
人様の自己実現を応援することが、自分自身にとっても自己実現となる事を見せていただきました。
関わる一人ひとりが、其々に出来る事を持ち寄って伴走しているところに胸を打たれ、清々しい気持ちになりました。
鈴虫さん、コメントを寄せて頂き有り難うございました。とても嬉しいコメントです。80歳に方の夢をみんなで支える。そんな姿は、私が希求する地域の姿です。出来ることを出来る範囲でみんなが持ち寄る支え方は、とても素敵です。これからも、このような関わりのある社会づくりを求め続けたいと思います。