老人デイサービスについて

2012-08-14「新盆でお線香をあげてきました」の投稿に、当時大変お世話になった保健師さんから懐かしいお返事がありました。それを読んで大変懐かしく、そして今に続く原点の学びがそこにあったのだと再確認する機会になりました。

2000(平成12)年の介護保険制度が始まる前は、老人デイサービスは市町村(基礎自治体)の任意事業でした。1989(平成1)年「老人保健福祉推進10カ年戦略」(ゴールドプラン)が策定され、1999(平成11)年度までの10年間の具体的な目標値を掲げ、在宅福祉の推進を図り、ホームヘルパー、ショートステイ、デイサービスセンターの普及促進が求められていました。

当時、高齢者福祉の一部は、老人保健法(1982年創設)が担っていました。この法律で、市町村を中心とした福祉行政の展開や地方行政における計画的な老人保健福祉の基盤整備の推進が図られていくことになっていたのです。要介護高齢者のための在宅・施設サービスが、①住民に最も身近な市町村で、②老人保健法による保健・医療サービスと有機的に連携して、③きめ細かく計画的に提供される体制が整備されることとされていました。

老人デイサービスは、全市町村が等しく積極的に取り組んでいるわけではありませんでした。そんな中にあって、私を受け入れてくれた町はとても頑張っていました。介護職員と保健師さんとが一緒になって、手探りで老人デイサービスの基盤をつくっていました。1年もの間お風呂に入っていない高齢者を何とかしてお風呂に入れてあげたいと、お風呂の設備がない2階に、捨ててあった浴槽を拾ってきて設置して仮設のお風呂を設けたりしていました。今の言葉で言えば「市民的専門性」を持った人達でした。この方々は、その後認知症高齢者グループホームの管理者やホームヘルバーになり、その町の高齢者福祉に欠くことのできない人財として活躍していました。

私は、この時この保健師さんに「心が動けば身体も動く」と教えてもらいました。私が、ソーシャルインタラクション(社会的相互作用)に関心を持つ大切な切っ掛けになった言葉です。私の社会学理論は、常にここに基盤を置いているので、この言葉は生涯の宝です。

この時の老人デイサービスの経験は、その後、返事をくれた保健師さんが職員提案(町長賞受賞)で実現した「ミニデイサービス」に生かされ、全行政区で実施されるという偉業を成し遂げました。ミニデイサービスを地域住民に普及するために、「テレビデオ」(テレビにビデオが付いた視聴覚機材)を持って地域に出向き、その大切さを説いて廻ったりしていたのです。ミニデイサービスは、今日の地域包括ケアシステムを20年先取りする内容です。如何に先見の明があるかがわかるエピソードです。

東北学院大学大学院に在籍していたのは、1996(平成8)年4月から2年間です。その時の所属は、宮城県庁健康対策課で、その後、長寿社会政策課に籍を移しています。こうした時に、この町のデイサービスと出会ったので、何とかここで行われているデイサービス事業を科学的に評価し、他市町村への普及につなげようと考え、修士論文は「高齢者デイサービスの効果に関する研究」としました。当時の論文を読んでみると、アタッチメント理論、役割理論、社会的相互作用などの言葉が出て来て、その後の東北大学大学院に進学して執筆した博士論文の基礎が形成されていることがわかります。

私の高齢者福祉・地域福祉に関する研究や問題関心のDNAは、この時期に形成され脈々と今につながっています。この2年間はそれ以降につながるとても大切な期間だったと、この時お世話頂いた皆様に改めて感謝しています。頂いた返信を機会に保存していたハードディスクを調べ、当時の修士論文を探したのですが見つかりませんでした。当時OSはマッキントッシュのパソコンを使っていたので、見つからなかったのかも知れません。唯一、東北学院大学人間科学科(大学院)の研究紀要に掲載した概要版があったので添付します。図表もなくてわかりにくいので、最後の考察だけ読んで頂き、当時何をしたかったのかを読み取って頂ければ幸いです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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