終戦76年の日を迎えて
国内外に苛烈な犠牲を強いた先の大戦(太平洋戦争:第2次世界大戦)終結から76年となる「終戦の日」8月15日を迎えました。昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国側に通告し、翌8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表されました。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府及び軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了しました(山川出版社 2002年4月4日文部科学省検定済 345頁)。
この対戦で、3百12万人(軍人212万人、民間人100万人)が犠牲となりました。私たちの両親の世代では、兄弟に戦死者がいたり、軍需工場へ動員されていた姉妹がいたりします。
戦争とは、人を殺して、建物を壊し焼き払って「勝った」と万歳する愚行です。稲を手塩にかけて生産し、自然と共に暮らし神仏に感謝しながら暮らしてきた素朴な人々を「殺人者」に変える場が戦場です。このことを教科書の世界、過去の歴史だけの世界だけに留めていてはいけないと思います。
戦争遂行のため、当時の方々は、赤紙を名誉と受け止め(表面的には)、現在の中学生の年齢の子どもたちが争って予科練を志願し、爆弾を抱えた特攻機に乗って太平洋に散っていきました。市民は、戦争に勝った場面だけを切り取ったプロパガンダ(propaganda:、意図をもって、特定の主義や思想に誘導する宣伝戦略のこと。大きな括りでは国家においての思想統制や政治活動を指す)映画で「神国日本」と信じさせられました。
戦争を遂行するためにあらゆる情報が隠蔽・操作され、鬼畜米英と教育され、互いに監視し合う近隣関係が構築されました。こうした戦時中の闇が、どの様に検証され今日の社会形成に生かされているのでしょうか。
東京電力福島第一原子力発電所の事故では、市民が説明のないまま彷徨を強いられ、事故のダメージは過小にしか報道されませんでした。その結果、隣県福島県では、10年過ぎた現在でも帰還困難区域を抱えています。また最近の新型コロナウイルスではどうでしょうか。東京オリンピックを開催したいという時期には、PCR検査数が抑えられ感染者数が過小に発表されました。それが一転、1年の延期が決まったとたんPCR検査数が急増し、陽性者数が一気に増えました。こうした状況下で、情報操作はなかったと断言できるのでしょうか。極めて疑問です。
二度と戦争を起こさない、しない。このことはとても重要なことですが、同時に、それが止められなかった社会システムについてもしっかり考える事が必要です。この為には、私たち一人ひとりが判断力を持ち、操作された情報に疑問を持ち、率直に語り合える社会秩序の構成員である自覚を持つ必要があります。
大きな社会的出来事だけではなく、小さな日常の出来事についてみんなで考える機会を持ち、地域で話し合い様々な意見を闊達に出し合うことの大切さを学ぶことが必要です。今日は、一日、先の対戦で命を落とした方々の冥福を祈りつつ、これからの地域社会づくりの有り様を考えてみたいと思っています。