家庭菜園という名の作務
猫のひたいほどの狭い庭に、わずかばかりの畑を作り野菜づくりをしています。私としては、家庭菜園に興味関心はなく、いわれるままに土作りや水やりをしています。私にとっての家庭菜園は「作務」そのもので修行の場です。
毎朝、草取りや落ち葉拾いを終えた後に、芝生と一緒に野菜に水やりをしています。種から植えた野菜や苗からの野菜と様々です。今、植えてあるのは、「小松菜」「山形系だだちゃ豆」「ミニトマト」「キュウリ」の四種類です。それに、孫の観察用に、野菜ではありませんがひまわりを植えています。
水やりを終えた後に、葉っぱの陰をよくよく見ると、青く小さな実がなってたりします。小松菜は、もう収穫できていて、おひたしで頂いています。昨年の例だと、収穫時期になると毎日取れます。キュウリやミニトマトが、毎日食卓にあがります。朝取り野菜は、何とも言葉の響きが良く新鮮を絵に描いたようです。スーパーで買った物と味の違いはよく分かりませんが、朝取り野菜の新鮮さは分かるような気がします。
まだまだ青のですが、ミニトマト、キュウリが目視できるようになってきました。孫と一緒に収穫できる日が、刻一刻と近づいている感じがします。ただ収穫するというだけではなく、孫と一緒に収穫するというプラスαが楽しみを持たせてくれます。
孫は、自分で収穫した野菜は自分のものと思っているようで、「おかあさ~ん!」といいながら、自宅に持ち帰ります。そんな親子の様子を見るのも楽しいものです。肥料や種・苗のコストを考えると、きっとスーパーから買った方が安いのかも知れません。でも、野菜の新鮮さや孫が楽しそうにお母さんに野菜を持っていく様子は、お金では図れない価値があるように思います。
今朝も、この様なことを思い浮かべながら、家庭菜園という名の作務、私の修行を終えて朝食を頂いたところです。