孫の自転車練習
今年の春、小学校1年生になった初孫の自転車練習に立ち会いました。何度か、練習に付き合ってきましたが、ようやくペダルを付けて、一人でこぎ始める段階に来ました。
昨日(土曜日)と今日(日曜日)は、近くの公園で、安定して前に進めることを目標にした練習です。始めは、連続した足のお運びがスムーズではなく、一回転でふらついてしまいます。それに足下を見ているので、なおさらふらつきます。
そこで、私が10m程先に立ち、こっちを見るように手招きして声をかけ、誘導しました。何度かしているうちに、20m程こげるようになってきました。これまでの様子から見ると大きな進歩のようです。
今日は、昨日良い感じで終えたのを忘れないうちに再度、前を見てこぐことから始め、次の段階を目指しました。それは回転することです。チョット広めの公園を一回りすることを目標にしました。始めは、ハンドルを使って曲がろうとするので、直ぐバランスを崩して倒れてしまいます。これの繰り返しです。そこで、先に立っている私に向けてこぎ続けるようにお話しし、私が大きな円を描くように走って誘導することにしました。何度か続けるうちに、ようやく、倒れずに一周できるようになりました。
母親が、動画を撮ってお父さんに見せようとすると、孫はお父さんをびっくりさせたいので撮らなくでといっています。そんな親子の会話を聞きながら、単身赴任で関東にいる父親に格好いいところを見せてあげたい母子の気持ちがとても微笑ましく伝わってきました。公園で子どもの自転車乗り練習やキャッチボールをする。なんか、昔のホームドラマに良くあった一コマのような感じがしました。
我が家の孫は、気持ちが打たれ弱く、褒めて育てる典型のように感じます。色々な教育の仕方、励まし方があるのでしょうが、私は、子どものみならず、褒めた上で不足分を諭すやり方に心がけています。叱るほど自分に自信がないということもありますが、できないことを叱って直すよりも、できることを褒めて伸ばしてあげ、自ら不足分に気づいて取り組んでいく方が、生産的で効率的な感じがしています。
子どもが小さいときのことです。私は、子どもができて、公園に手を繋いで遊びに行くというのが、テレビの世界としか思えなかったことが、今できていることに「幸せ」を感じました。幸せって、この様なことをいうんだとつくづく思ったものです。それと同時に、この幸せを自分だけで独占していて良いのだろうかとも思いました。世の中では、様々な生活のしづらさや子どもの成長に課題を持っている家族が多々あります。どの様な環境下にあろうと、子どもの成長を願う親の気持ちに例外は無いように思うのです。自分が幸せと思うなら、自分一人だけでは無く、そのように願う全ての親が幸せを感じられるようになる為に、何らかの社会貢献をする必要があると思ったのです。
社会貢献といっても何と能力の特技も無い私は、何をすれば良いのか色々と考えました。そんなことが心の奥底にあったからも知れません。子どもが中学生になった頃に、東北学院大学に、社会人も対象にしだ大学院ができたというのを知人から教えて頂きました。社会に役立つことを学んで、その知識を生かすことで社会貢献ができるのではないかと思ったのです。直ぐには難しかったので、一年間受験勉強や受験環境を整え、第二期生として1996(平成8)年4月、東北学院大学大学院人間情報学研究科に入学しまた。45歳の時です。私と大学との関わりは、子どもと手を繋いで児童館や公園の帰り道と時に感じた「幸せ」が原点なのです。