障がい者施策の脆弱さが生んだ課題(障がい者施設の対応)

ここ数日、障がい者の結婚や同棲を希望する入居者に不妊処置を求めていたことが発覚し大きな問題として取り上げられています。極めて複雑で深くて思い課題で、ここで軽々に書くにはどうなのか迷うところなのですが、誤解を恐れず書きます。

事の起こりは、北海道の障がい者の自立を支える象徴的な施設として整備されているグループホームでの出来事です。障害のある方が日常生活の支援を受けながら共同生活を送る社会福祉施設ひとつで、障害者の支援をする障害者福祉サービス「共同生活援助」が制度上の名称です。

障害者グループホームは、身体障害者、知的障害者、精神障害者、難病患者など、障害者総合支援法が定める「障害者」に該当する方が利用対象者となります。住み慣れた場所で暮らしたいという方は、希望する地域の障害者グループホームを利用することで支援を受けながら地域生活を続けられます。障害者支援施設のような大規模な入所施設で暮らす方の中には、日常生活のサポートを受けることで、地域の中の住宅で暮らすのが可能な方もいます。障害者グループホームなら、支援を受けながら、一軒家やマンション・アパートといった共同住宅を住まいとして地域に溶け込んだ社会生活ができます。障害のある子供の親である自分が高齢で、万が一の事態が起きたときに子供が安心して暮らせる場所を用意しておきたいという場合の選択肢としても適しています(親亡き後の生活)。

障がい者の地域移行の切り札として1989(平成元)年に制度化されたのが、障がい者グループホーム(共同生活援助)です。ここには、かつて宮城県知事を務めた浅野史郎さんが厚生省障害福祉課長を務めていたときに大きく関わっています。大規模入所施設の反省、すなわち一般社会から隔離し、毎日決まった生活サイクルの枠にはめて自由な選択ができない、という管理体制から、本人の希望が優先される場所であるということを意識しています。グループホームには管理者、サービス管理責任者、日常生活のサポートをする世話人、生活介護支援をする生活支援員などがいます。サービス管理責任者は利用者30人に対して1人、世話人は利用者6人に対して1人など、必要なスタッフの配置基準が決まっています。介護を前提としている介護保険施設「認知症高齢者グループホーム」とは介護力の面で大きく異なります。ここはしっかり把握しておく必要があります。

2003(平成15)年生活開始
共生型グループホーム概観
堀こたつのある居間
どうしても「縁側」をつくりたかった

だいぶ前になります、宮城県にある宮城県拓桃医療療育センター(児童福祉法に基づく医療型障害児(肢体不自由に対応)入所施設)の院長は、「障がいは不幸なのではない、少しだけ不便なだけだ」と、言いました。またある障がい者施設を多数運営している社会福祉法人の理事長は、機械、設備を整えれば障害を越えられると、言いました。彼は(元教員)、様々な施設整備を整え、たとえ重度の障害があっても仕事をしてお給料を得ることが出来るようにして社会参加を果たしています。彼の目標は、障害を持った人達が経済的に自立して税金を払うことです。

2022(令和4)年4月から不妊治療が保険適用になりました。以前は不妊の原因を明確にするための検査や症状の治療のみに保険が適用され、体外受精などの不妊治療の場合は保険の適用範囲外でした。そのため、「特定不妊治療費助成事業」という助成制度が利用されていました。今回の改訂によりこれらも保険の適用範囲となり、今後は医療機関の窓口で支払う医療費が原則3割負担となったのです。病気には手厚いサポートがあり、障がいには「あきらめ」しかない。「産む力はないが育てる力はある」家族には支援を行い、「産む力はあるが育てる力はない」家族には自己責任を問う。これが私たち社会の現実です。

私たちの社会は、ついこの間まで「優生保護法」という法律を持っていました。優生保護法とは、1948(昭和23)年から1996(平成8)年まで存在した日本の法律です。優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)、人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものでした。国民の資質向上を目的とした1940(昭和15)年の国民優生法を踏襲していたものです。これは、戦時下に有り屈強な兵士を必要とする時代を反映して出来た法律です。1996(平成8)年の法改正で優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除され、法律名称も「母体保護法」に改められ現在に至っています。

障がい者に対しては、どこか「社会防衛」的な考え方が残っているような気がします。大規模障害者収容施設コロニーにもそのようなことを感じます。コロニーの多くは1950年代~1970年代になって主に自治体によって設立されています。宮城県にも船形コロニーがあります。当時の宮城県知事浅野史郎氏は、2004(平成16)年、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」を出し、立船形コロニーの入居者全員(485人)を、2010(平成22)年を目標に地域に移行させ施設を解体するという県福祉事業団の宣言を出し、さらに県全体に広げたのです。

悪名高きコロニーですが、この制度は議員立法で成立したと聞いています。仕事、生活が一ヶ所で自己完結できる場所を整備して「親亡き後」の心配がないようにしたいという想いからの施設です。同時に、何らかの間違いが起きないように、人里離れたところに「隔離」するという「社会防衛」という裏目的もあったやに聞いています。

障がい者グループホームは、制度が出来た当初は、脱施設化、地域移行が主眼でした。そして、その事はある程度実現していると思います。しかし、利用者の家庭を持ちたいという人としての根源的な欲求、高齢化や介護ニーズの出現等々への対応は、制度は担保してきませんでした。少し言い過ぎなら弱かったのです。宮城県では、障がい者の介護ニーズに対応する為に「共生型グループホーム」を県単独事業で整備促進を図りました。一つのグループホームで、介護保険と自立支援法の両方の制度を使い、若いときから高齢になっても、その場所を変えることなく住み続けられる、変わるのは制度だけという設計です。

そこには、尊厳や人権に加えて彼らのリアルな日常である地域生活の持続性を支える仕組みが組み込まれています。私は、これがあって始めて尊厳で有り人権なのでは無いかと考えています。

私が、ここ数日の一連の報道で感じたことは、「尊厳・人権」と「実生活」のすれ違いです。マスコミや識者は「尊厳軽視」と非難し、障がい者の日常生活を支えている社会福祉施設の設置者(社会福祉法人)は現実の生活「授かる命を保証できない」すなわち、責任もって対応することは出来ないと語ります。

今回のことは、何らかの障害を抱えている人達が結婚できない、子どもを産み育てることが出来ない現実を「尊厳」「人権」で論じるだけではなく、障がいを持つ人達が、その持てる能力を支えてもらいながら、子どもを産みたい、子どもと暮らす生活をしたい、という人として極めて当たり前の気持ちを尊重し支えてあげる制度・仕組みが整っていない現実を問うべきだろうと思うのです。

私は、視力が低く(近視+老眼)で眼鏡を手放せません。普通の方からみれば、私は障害を持っています。もし、眼鏡がなかったら私は「視力障害者」です。でも眼鏡のお陰で障がい者とは呼ばれません。このように、障害と障がい者は異なります。例え障害(何らかの不便さ)があって、それを支える器具や制度が整えられていれば「障がい者」にはならないのです。

映画「みんなの学校」そして元校長木村泰子さんの言葉を思い出して下さい。現行の制度や社会の風潮に対する「大人の本気」が必要です。彼らを支えているのは、紙に書いた制度ではなく、それを運用する我々大人の意識です。

木村さんは「尊厳」「人権」等は一言も言わなかった。暴れる子どもがいたときの魔法の言葉、「大丈夫?」「何に困っているの?」「私に何か出来ることがある?」を言い続け、「何がしたいのか」に寄り添い耳を傾き続け、それの実現に奔走したのです。とても時間と手数がかかる対応です。でも、それをやりつづけることが「大人の本気」なのだと思います。

これを読んでいるみなさん。施設だけを悪としないで、私たちがやるべきこと見るべきことを怠ってきた、見方によれば加担してきた現実を知り、これを機に障がいを持った方々の極めて根源的な望みを絶つことのないような社会いをみんなで一緒に手を取り合い目指して行きませんか。

それはきっと、障がい者のみならず全ての人々が安心して暮らせる地域社会へつながります。制度要望も大切です。同時に私たちの些細な取り組み、活動もとても大きいように思います。きっと、今取り組んでいる活動はいつしか「運動」となり、大きなうねりとなって日本社会を動かすことになると思うのです。

マスコミから出される報道を様々な視点で読み砕き、タダ鵜呑みにするのではなく自分なりの判断をして下さい。何処に、問題があるのかの背景を含めて、判断して下さい。

長々とした稚拙な駄文を最後までお読み頂き有り難うございました。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

障がい者施策の脆弱さが生んだ課題(障がい者施設の対応)” に対して4件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    私が福祉の勉強を始めた頃に『この子らを世の光に』(糸賀一雄氏)という教えに出会いました。
    障害のある子供達をかわいそうな者として扱うのではなく、この子供達のみずみずしい感性から大人が学び育ててもらおうという様に理解しました。
    その後、私も障害者と関わる機会に恵まれて、その教えの言わんとすることに少しずつ理解を深めている最中です。

    私が出会ったその方は初老の男性ですが、まるで少年のように真っ直ぐで優しい言葉を話し、「ありがとう」「ごめんなさい」をしっかりと伝えてくれます。
    少しだけ手が触れただけでも「あ、ごめんなさい、こんなことするとここに来れなくなんだよねー」と謝ります。
    私はこれを初めて聞いた時(どこで誰に言い聞かせられてきたのか)と驚くとともに、受け皿である私達の障害者であるという偏見と理解の浅さから、地域社会において誤解を招いてしまいがちなのだと頭を金槌で殴られたような衝撃を受けました。

    それから私は彼の様子をよく観てたくさん話をして、その度に心が洗われるような感覚になります。
    彼は懐かしい昭和歌謡で弾ける笑顔になり、水はキライだから石鹸手洗いはイヤだ、上手く気持ちを伝えられない時は大声を出してしまう、でも「さっきはおっきな声出してごめんなさい」と忘れずに反省します。
    私もこの方の様に感謝と反省を素直な気持ちで伝えなくてはと、会うたびに教えられています。

    昨日は「いっしょに写真とりたい」と言ってもらい、クリスマスツリーの前でパチリ。とても温かいツーショットになりました。

    『この子らを世の光に』もう一度よく学んでみます。

  2. ハチドリ より:

    全てを読んでから、改めてタイトルに戻りました。
    『障がい者施策の脆弱さが生んだ課題(障がい者施設の対応)』、施設で暮らせばすぐ傍に支援の手があるから、記事に書いてあるようなことは逆に無いのかなと思いましたが、そうではない現実があるのですね。

    私はこれまで、視力がほとんどない方同士、身体障がい、精神の障がい等をを持った方が結婚をなさり、お子さんも授かり、笑顔で暮らしている家庭も見てきました。正直、本当に大丈夫かなと心配したカップルもいましたが、主治医への相談や起こるかもしれない生活の課題等を関わるみんなで想像し、こんな時は○○さんが訪問しようとか、フォーマル、インフォーマルのサービスを活用したり、帰りにちょっと寄ってみるとかそんなふうにして、地域の中で見守ってきました。それらの支援は制度だけではなく、その人たちの当たり前の生活を実現してもらいたいと言う、関わるみんなの想いや創造力があったように思います。

    先日の「みんなの学校」を見に行く前に、お友達何人かでランチをしたのですが、その時の話題に保育園での保母による虐待の話題がでました。現役の保母さんもいて、保母さん1人あたりのお子さんの受持ち人数の多さを聴いてとてもびっくりしました。諸外国よりも明らかに大変!日本の制度がそうなのだそうです。なかなか言うことをきいてもらえなかったら、ついつい大きな声も出したくなるのではと思ってしまいました。
    障がい者施設のそのような体制はどうなっているのでしょうか。

    『障がいを持つ人達が、その持てる能力を支えてもらいながら、子どもを産みたい、子どもと暮らす生活をしたい、という人として極めて当たり前の気持ちを尊重し支えてあげる制度・仕組みが整っていない現実を問うべきだろうと思うのです。』

    来年度の国の予算が発表されました。防衛費も必要なのかもしれませんが、減らしてはならない社会保障費が少なくなったのにはがっかりしました。しわ寄せはそこにいくんだなと。

    でも、文句ばかり言ってないで、自分自身が何ができるのだろうかと改めて考えてみたいと思いました。

  3. 鈴虫 より:

    障がい者の本当のバリアは、健常者である私達の意識であると心が痛みます。

    同じ地域に暮らす者として、理不尽や不自由を抱えて生きる人に対する思いやりの欠如。どうすれば本物のバリアフリーが地域で築けるのか、もっと本気で想像力を膨らませなくてはいけませんね。

    制度や政治のせいにして批判ばかりしていたって誰も幸せには出来ません。障がいがあるという不自由だけでも大変なハンディキャップです.そのような状況下にある障がい者に対して、さらに「差別」「偏見」という重しを重ねてしまっています。差別や偏見が取り除かれただけでも、障がい者の不自由さはだいぶ軽減されます。先ずは、差別や偏見を無くし、それぞれが抱える不自由を、地域力で分かち合い少しでも軽くしていくという意識を持ちながら、お互いに支え合っていきていきたいです。

    様々な生き辛さを抱える人、そんなもんさとあきらめて生きなければならない人に対する理解をもっと深めなければと考えさせられました。
    ありがとうございました。

  4. いくこ より:

    大変勉強になりました。ありがとうございます。
    唐突ですが、今、少々足を痛めていますが、大きな不都合もなく暮らしています。
    老親と暮らすために建てたバリアフリーの家に手すり、両親が使っていた杖、困った時は福祉用具を借りる手立てを知っていること、不自由な年寄りの暮らしを思って準備したことが、今の生活を支えてくれていると実感しています。
    不自由な思いをしている人のために整えていくことは皆が安心して暮らせる社会ですね。
    それは道具のみならず、心のありようにも言えることですね。

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