16年目のミエナイチカラ

4月27日に取り上げた「ミエナイチカラ(那須町立高久中学校の取組)」。2014.3月発行『ミエナイチカラ』は、那須町立高久中学校(栃木県)が作成しています。ここには、南三陸町を訪れた中学生の思いが綴られています。南三陸町に漁業体験で来た、当時栃木県内の中学校1年生の方が、16年を経て、当時の宿泊施設平成の森(南三陸町歌津)に立ちました。三十路を前にして改めてみた建物の概観はハッキリ思い出せたといいます。

縁あって福島県に嫁ぎ、縁あって南三陸町につながり、中学1年生の時の自分に振り帰ることができたといいます。「南三陸町を案内してもらいたい」というお話しは、だいぶ前にきいていましが、様々な事情で実現が二転三転し、直前になってようやく決まり5月14日(土曜日)に実現しました。

中学生の時に見た南三陸町は、のどかな漁村と青い海。漁業体験では、船酔いに悩まされたことが記憶の多くを占め、建物などは概観程度の記憶になっているようでした。それでも、人家と海の近さや潮の匂いは、当時の記憶を引き起こすには十分な要素のようでした。海に近い里山やそこに立つ木々は、自分の住む街と違い、南三陸町の記憶と一致するようで、「見た記憶が有る感じだ!」を連呼していました。

国道45号線を津山方面から入り戸倉、志津川と車を走らせ、途中で止まっては被災時の写真を見せて当時の様子を説明しました。中学校1年生の時に見た風景が東日本大震災を挟んで今目の前にしている。懐かしい中にも、とてつもなく大きな変化がある。時の経過は、中学生から三十路目前という短期間で大きな変化のある年齢ということもあり、私が想像する遙かに大きなものであったに違いないと思います。

志津川災害公営住宅団地の造成する前の姿や南三陸町役場仮庁舎だったテニスコート。被災時の防災対策庁舎と震災祈念公園内の防災対策庁舎等々、震災から11年経過の現状を見て頂きました。さんさん商店街では、「ほや」に挑戦しクリアーしたようでした。

防災対策庁舎には献花し、ひざまずいて手を合わせ、長い祈りを捧げて頂きました。公園内の東日本大震災時の津波の高さと同じ高さにある付近を一望できる場所では、長い時間お話しをして頂きました。震災を通して私たちに教えてくれたことや生き方等々、自分のこれまでを振り返ったり、それから先に思いを馳せたりと、初めて顔を合わせたとは思えない時間を、少し傾きかけた陽の光を浴びながら過ごしました。

その場に立つということは、様々なことを教えてくれます。中学1年生の時の南三陸町と被災地南三陸町の二つの南三陸町。いずれも同じ南三陸町ですが、今見る景色や今感じる自分の気持ちに「同じ」と「違う」を交互に感じ取りながら、次の自分との向き合い方を考えているように見えました。次回は、伝承館ができる10月にもう一度訪問して頂きたいと思っています。

今日の時間は、今しか持てない唯一無二の貴重で大切な時間だったと思います。何をさておいても「今」この瞬間を逃さず対応する。こうした物事との向き合い方は、これまでも、そしてこれからも大切にしていきたいと思っています。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

16年目のミエナイチカラ” に対して8件のコメントがあります。

  1. H.Y より:

    最後に南三陸町に行ってから10年近く経ちます。バイパスの出入口はすっかり変わり、車を走らせて行くと見覚えのある風景はほんのわずかで、かさ上げされたであろう場所は一部賑わいは確かにあったけど何度眺めても違う町に行ったような気持ちになりました。

    「あっ、こういう気持ちなんだな」と、私が今いる町の人のことを少しでも感じることができたように思いました。

    本間先生、先週は他に大切なご予定があったのではと思いますが、南三陸町にご案内していただきありがとうございました。
    16年前、中学一年だった彼女の願いを一つ叶えていただきました。緊張してなかなかコメントが書けないと言う彼女からメールが来たので、私が代わりに書かせてもらいますね。

    『おはようございます。
    先生のホームページ拝見しました。
    何度も文章を読み返しました。
    5/14からもうすぐ1週間ですが、今週は充実感のある日々を送ることができたと思います。

    今この瞬間に目を向ける事の大切さを体感したからだと思いました。

    少し遠い未来に目標があると頑張れるものだと思います。
    10月、季節は秋になりますが、秋の南三陸町も楽しみです🐙』

    最後の赤いマーク、秋だから紅葉🍁かと思ったら、よおく見たらタコ🐙でした(笑)

    良かった!
    思いきって行って良かった!
    本当にありがとうございました。

    1. スマイル より:

      H.Yさん、当時中学生だった方の言葉を紹介してくださってありがとうございます。この日が、どれほど大きな意味を持っていたかが短い文面からすべて伝わってきました。本当に南三陸行きが実現して良かったと心から思いました。

      中学生の柔らかな感性で感じたことを、また少し時間がたってから振り返り今の時間に生かすことの大切さ、それを周りの大人が後押しする大切さ、いろいろなことを考えさせられました。この経験が、これからの人生をより柔らかく豊かで優しいものとしてくれることを心からお祈りしています。

      私も中学生はじめ、子どもたちと関わる機会がある時は、自分の精一杯を尽くしたいとあらためて思っているところです。勇気と力をいただきました。本当にありがとうございます。まだお若い彼女に、どうぞよろしくお伝えください。

      1. H.Y より:

        スマイルさん,コメントをいただいていたのに返信が遅くなってしまいました。
        彼女から「スマイルさんのコメントも読ませていただき,ありがとうございました」と連絡がありました。

        2月,彼女が思い切って声をかけてくれたこと,「え?南三陸町に思い出がある?その思い出から16年経ったその場所を案内してくれる適任の先生がいるからお願いしてみよう!」とさっそくメールをして実現したのですが,スマイルさんが書いてくださったように,『この経験が、これからの人生をより柔らかく豊かで優しいものとしてくれる』と私も信じています。

        『自分の精一杯を尽くしたい』とおっしゃるスマイルさんのいらっしゃる地域はなんだか温かくて,とても頼もしいですね。素敵な街だと思います!

    2. s.m より:

      H.Yさま
      若い方の中学生時代から続いた町への想いを叶えるお手伝い、ご苦労様でした、ありがとうございました。
      そして、ご本人からの満足されたことが伝わるメッセージを嬉しく読ませて頂きました。
      秋にも是非来て頂いて、また違った交流が生まれることを願っています。

      私の感想は先日投稿した通りです。
      今回のみなさんの関わりを伺ってから、私は自分自身の他者との関わりを振り返っていました。
      例えば福島の伝承館を訪ねて、少し福島の人々に寄り添えたような満足感を味わいました。その場所に立つという行為は、想像以上に沢山の事を教えてくれ大切なことだと実感しましたが、私はその土地で暮らす人々と関わりを持たなかった。それは被災地という塊でしか物事を見ていなかったからではないか。そこに暮らす一人ひとりに想いを馳せていなかったのではないかという反省です。私達はその土地と交流するのではなく、その土地の人々と顔の見える関わりを持つことが交流というのでないのか。
      そのように我が身を振り返り、これからは「あの町で出会った〇〇さん」と、意識して関わりを持てるようにしたいと思いました。
      先生はいつも相互交換は大切なこととお話されていますが、私はこれまでの理解では足りなかったのだと教えられた思いです。
      とても勉強になりました、ありがとうございました。

      1. H.Y より:

        s.mさんからもコメントをいただいておりましたがお返事が遅れてすみません。
        最初のコメントも何度も読ませていただきました。若い彼女はmちゃんと言いますが,mちゃんも読んでくれたようです。
        『自分達が一生懸命関わった交流が、ひとりの生徒の心に残り、今でも町を想い再訪までしてくれたこと』『ただ一度きりの漁業体験がもたらした繋がりは、地元で関わった人達にとっても大切な交流だということ』『自分達の行いが、ちゃんと次世代に繋がっていることを知れば「あの時やって良かった」と生きる希望に繋がるにちがいありません』どれもこれもがそのとおりだなと思います。
        mちゃん,良かったね~!!
        次回はぜひ,お世話になった南三陸町の方とお話ができたらいいね!

        そして,とても大切なことを気づかせていただきました。
        そうなんですよね。土地や建物などにばかり目や心がいきがちですが,やはりそこで暮らす人々との交流があるかないかで心に残るものが全然違うと思うんです。
        『相互交換』いい言葉を教えてもらいました。いただき!!
        ありがとうございました。

        1. s.m より:

          H.Yさま、共感頂いてありがとうございます。
          相互交換とは、お互いさまの行為のことなのかなと思っています。お世話になったりお世話をしたり、心配をかけたり心配したりと、いつも施される立場の人はいなくて、いつでもその立場は逆転できる。想いを寄せ合える関係性って素晴らしいですよね。この様な行為を一人ひとりが意識して行い続けていれば、これが世の中の当たり前になっていくのでしょう。
          私達が次の世代に残せることは、この様なお互いさまの行為を見せ続けることなのですね。

          被災地もいつまでも同情されるばかりの場所ではありません。
          見た目は違う町のようになっても、そこにいる人達は昔から変わらぬ浜育ちの心意気を持ち続けています。
          mちゃんには、また元気な浜の姿を感じてもらいたい、被災地のイメージを塗り替えてもらいたいと思っています。

          いつまでも続く被災地という扱いが人々をその様に振る舞わせるのではないかとか、町は客寄せの為の再建をしているのかとか色々考えています。

          こんな疑問を繰り返すことも健全な再生には必要な過程なのだと思います。
          コメントありがとうございました。

  2. s.m より:

    中学生の時の体験をもとに巡られた町は、どの様な印象に塗り替えられたのでしょう。又訪ねたい想いを叶えられて良かったですね。
    でも、せっかくなら、当時、漁業体験を楽しみを持ってお世話した友人家族に再会させたかったなーと思いました。その当時、自分達が一生懸命関わった交流が、ひとりの生徒の心に残り、今でも町を想い再訪までしてくれたこと、是非、再会させてあげたかったです。
    ただ一度きりの漁業体験がもたらした繋がりは、地元で関わった人達にとっても大切な交流だということを知っていただけたら嬉しく思います。
    自分達の行いが、ちゃんと次世代に繋がっていることを知れば「あの時やって良かった」と生きる希望に繋がるにちがいありません。
    また、次の機会があるのでしたら、そんなことも心の片隅に置いていただければ幸せに思います。

  3. スマイル より:

    以前「ミエナイチカラ」を読んで胸が熱くなったことを思い出しました。校長先生が本に寄せた言葉「今の優しく豊かな気持ちを今度とも大切にしていってほしい」という言葉に涙がこぼれ、先生がみんなこのような方達だったらどんなにいいだろう!と思ったことも。

    被災地で暮らす方たちが「一番の支援は忘れないでいてくれること」と言っている言葉、これも心に刻んでいて「私に何ができるだろう?」と考え続けてきました。大人が子どもたちに大切なことを誠心誠意伝えること、そして言葉だけでなく行動で示す事、それこそが「ずっと忘れない」に繋がるとあらためて感じました。あの中学生たちがもうすぐ30歳になるのですね。

    本間先生が『今日の時間は、今しか持てない唯一無二の貴重で大切な時間だったと思います。何をさておいても「今」この瞬間を逃さず対応する。こうした物事との向き合い方は、これまでも、そしてこれからも大切にしていきたいと思っています。』とおっしゃっていること、とても大事なことだと思います。「鉄は熱いうちに打て!」「機を逃してはいけない」と私も自分に言い聞かせています。「今日、いよいよ実現の日です」とお聞きしたら、何をさておいても「ぜひいってきてください!」と心からお伝えしたと思います。実現出来て本当に良かったです。

    再度南三陸と向き合った青年たちは、きっとこれからも被災地(震災)を忘れず、それぞれにできることを模索してくれることでしょう。心に明かりが灯るようです。繋いでくださりありがとうございます。

    私も子どもたち若者たちに大切なことを伝えられる大人でありたいと思います。

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