新盆でお線香をあげてきました
私が社会人の第一歩を歩み始めたのは、1970(昭和45)年4月から始まった北上町(現石巻市)の地です。今から50年も前のことになります。今日(8月13日)は、その時に下宿していたお宅に伺い、昨年亡くなったお世話になったお父さんにお線香をあげてきました。
下宿していたのは、北上町十三浜字白浜です。ここは、東日本大震災の津波で甚大な被害を受け、集落が消滅してしまいました。ここで暮らしていた方々の多くは、近隣の高台に造成された団地や他市町に移っています。私が下宿していたお宅は、白浜で民宿を営んでいた大きなお宅でしたが、津波で流され、隣町に新たに住宅を建てて生活をしています。
私が下宿していた昭和45年頃は、民宿がブームでした。このお宅も、白浜海水浴場に近接していた大きなお宅だったので、白浜地域で民宿を初めて営んだ、この地域の走りでした。私は、このお宅の一番奥に部屋をお借りし3年住まわせて頂きました。
50年前の二十歳の頃に、このお宅から東北学院大学の夜学に通いました。社会人の第一歩を踏んだ場所であり、念願の大学に通い始めた場所ということで、私の原点になるとても大切な場所です。このお宅の皆さんはとてもお世話になりました。そのようなこともあって、50年経った今でも関わらせていただいています。当時、小学校5年生だったこのお宅の長男は、今年の四月に定年退職し、再任用で新たな場所で仕事をしています。奥様は、とてもできた方で、私がお世話になったお祖母さんを三年半も介護し看取ってくれています。
私の学びの環境・ベースは、白浜から大学(学部)に通ったことから始まり、大学院修士で社会学と出会い、締めくくりに特任教授として迎えられて若者の学びの支えを担えました。最終講義でも言いましたが、私の転機には東北学院大学がありました。その始めの一歩が北上町白浜です。そのたびに多くの人にお世話になりました。今でも、東北学院大学の校歌を聴くと涙が出てしまいます。それは、この様な大学との関わり及びその時々にお世話になった方々を思い出すからです。今でも愛用している手作り万年筆は、大学院修士を修了したときの記念にいただいたもので、博論はこの万年筆で署名をして提出しました。
大学(学部)に通えたのは白浜のおばあちゃん・お母さんのお陰です。大学院は、研究フィールドを調整してくれた田尻町役場の保健師さんのお陰です。そして、特任教授は、東日本大震災で被災者支援の経験を積ませてくれた南三陸町社協の皆さんのお陰です。こうした皆様のおかげで、これまでの人生を歩むことができました。有り難いことです。
この雨とコロナ禍で白浜海岸は例年にないくらい静かだったのではないでしょうか。
旧田尻町役場時代、介護保険が始まるずっと前で福祉用具もろくに無かったけど、熱意のあるヘルパーさんたちと社協さんと町との協働で手作りデイサービをしましたね。訪問すると家の中でこたつの運転手ばかりで何もすることがなく、このままではますます心身の機能が低下していく高齢者が気になるとヘルパーさんから相談があり、何とか外に出て楽しく過ごせる時間を作れないものかと始めたのでした。保健センターの二階のシャワー室に畑から拾ってきた浴槽を設置したり、そこにお連れするのにできるだけ安全に楽にと頑丈な抱っこバンドみたいなのを作ったり、昼食はヘルパーさんが作ってくれ、その日は町の保健師もみんなして出て一緒に楽しい時間を送っていました。それを当時の上司もオッケーを出してくれたことが感謝感激でした。あの時は本間先生にもいろいろアドバイスをいただきました。その5年後くらいに介護保険が始まり、制度にのってちゃんとしたデイサービスが始まりましたが、あの当時の「願いは叶う」の実践は忘れることが出来ません。実に懐かしい‼️
投稿、ありがとうございました(^-^)/