永平寺への未知・みち19日目(6月12日)

菩提寺(仙台市)から永平寺までの700キロ19日目(6月12日)の様子です。

富山県朝日町宮崎から黒部市そして魚津市迄の25キロ少々を薄曇りからギラギラの風無しの中を歩きました。

黒部市に入ると、遠くにまだ雪を残した険しい山が見えました。何という山なのか分からない歩みを進めました。

距離が25キロということもありますが、日陰がなかなか見つからず、休むのも一苦労でした。17キロ歩いた所に、水量の多い河に出たので、これはチャンスとはしのしたでようやくしっかりと休憩を取ることができました。この河は立山から流れて来ているのかもしれません。もしかしたら上流には黒四ダム?かも。

今日もですが疲れました。やはり20キロを超えるとガクンとペースが落ちます。残りはバテバテで錫杖に身体を預けるような歩き方です。何とも情けない!

今日は25.4キロ8時間30分4234kcal平均2.8km/hでした。明日は、今回の行程で最長30キロ弱の行程です。何とかして、今夜一晩で体力を回復して明日に臨みます。頑張れ〜!私。

見えないけど遠くに雪をかぶった山が見えます。
黒部大橋の下でヘバッています
今日のゴールの街です

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

永平寺への未知・みち19日目(6月12日)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    自ら非日常に身を投じ、長い距離を歩いた先の橋の下でからだを休める様子を見て『歩行禅』という言葉を思い出しました。
    「ただ歩く、歩き続けることが禅修行である」というお話を塩沼亮潤大阿闍梨の本で読んだことがあります。それを読んだ時にはあまりピンと来ていなかかったのですが、こうして実際に歩く様子を追体験させていただくうちに、歩くことが目的ではなく、日々降りかかる出来事に咄嗟に出た行為に、驚いたり納得したりしながら自分自身と向き合い「私ってこういう人間なんだ」とあらためて知り、反省や感謝の気持ちを新たにする。そういうことを指して禅修行というのかなと考えています。

    こうして歩いている時、先生は何者でもない一人の人としてそこに居ると感じます。誰かの為にという常日頃の姿勢さえも書斎に置いて、今は否が応でもご自分と向き合わざるをえない状況を作っているのですね。

    何故いま歩くのか、何故そこを目指すのか、その答えが出るのは最終目的地『永平寺』に無事辿り着いてからなのでしょう。
    あと十日、ここから更に過酷な環境下での旅路になるやもしれませんが、まずは今日の一歩が無事に踏み出せますように。
    応援しています!

    1. ハチドリ より:

      『歩行禅』→ただ歩く、歩き続けることが禅修行である
      鈴虫さん、初めて知りました。

      ただ歩く、私も浜通りで何の問題もない道を歩いてみたことがありましたが、どこかに痛みが出てそもそも歩けなくなってしまったのです。
      ただ歩き続けることができなくなったことを経験している私は、雨の中、湿気の中、暑い中、とにかく歩き続けていること、それがすごいなとまず感じているところです。

      昨日は、25㌔歩くなか、17㌔のところにやっと見つけた橋の下での休憩場所!日陰で下には冷たい水が流れていたことでしょう。
      自分のことのようにほっとしました。

  2. やまぼうし より:

    今日は6月12日!
    ギラギラ暑い中お疲れ様でした。

    あと10日ですね。
    明日は30㌔弱とのこと。
    頑張れ、先生〜!!

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