永平寺への未知・みち12日目(6月05日)

菩提寺(仙台市)から永平寺までの700キロ12日目(6月05日)の様子です。

今朝はビジネスホテおなじみの無料の食事。野菜をいっぱい取りました。朝カレーな無かったので珍しくパンにかぶりつきました。大好きなスムージーも有り大満足の朝食でした。

昨日の雨降りとは一転、ピーカンの一日でした。燕三条から出雲崎町迄の20キロ超えの行程です。昨日は半袖を着て酷い日焼けをしてしまったので、暑かったのですが今日は長袖で通しました。

ほとんど国道116号線を歩きました。途中、長岡市を通り、川幅の広さに驚き、「ここで長岡花火が行われるのか」と、納得しました。大げさに言ってら、河川敷を含めると1キロもおろうかと思える広さなのです。

また、15キロ程を歩いてから立ち寄った道の駅に、「良寛が晩年過ごした地」とのポスターを見つけました。宿についてける聞くと、出雲崎町は良寛の生まれた地であること知りました。現在は誕生の地に良寛堂が建立され、得度したお寺も残っているそうです。この為、良寛の遺徳偲び、訪れる人がけっこういらっしゃるそうです。晩年は、にそうと穏やかに過ごしてと書いてありました。晩年か〜、私はどのように過ごすのだろう。いやいや、先のことではなく「今」を精一杯生きることが大切と学んだはず。晩年か〜、だけで聞き流そう。

今日は27.4キロ8時間50分4171kcal平均3.1km/hでした。

明日も20キロ超えの行程です。柏崎市には入ります。今日は、日本海は見えませんでした。海どころか山の中です。農家民宿なんだから当然たろう。明日こそは、日本海が見える所まで行きます。

背中のあせもにつける薬手に入る。これで今夜はグッスリ眠れるかもしれない。

長岡の花火はここでか?
良寛の晩年

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

永平寺への未知・みち12日目(6月05日)” に対して1件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    良寛様の句は、自然を受け入れ、物事をそのままに捉える人生観を表していると言われます。
    そんな良寛様を知ることのできる『はちすば通り』、ゆっくり歩いてみたいものです。

    あせもの塗り薬が手に入ったとのこと。
    あせもは背中の肩甲骨の間あたりなのでしょうか。私なら塗れるか、手を後ろに伸ばしてみたら届きました。先生、ちゃんと塗れましたか?今夜はぐっすり眠れますように。

    明日は柏崎原発のある日本海沿いを歩くのかもしれませんね。気温がさらに上がりそうですが、日本海を眺めながらは気分が爽快になることでしょう。

    そうかい?

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