この様な公務員は国の宝だ!

東日本大震災を忘れない為に取り上げる記事の二日目は、「『「死ぬまで福島にいます』広報役のキャリア官僚(国家公務員)貫く異例の働き方」です。この内容は、福島中央テレビとYahoo!ニュースとの共同連携企画で書かれたものを読みやすくす為に、主旨を変えない範囲で一部表現を手直しして引用しています。私は、こうした公公務員が現地で必死に頑張っていることを知ることも大切だと思います。住民に寄り添って事故と向き合う。国と住民の間に入り、互いの言葉が通じ合えるように「通訳」しつつ理解を促す、「リスクコミュニケーション」を行っています。国の施策を進めなければならないという立場に立ち、弁慶状態の中で行う「住民理解」への道は、想像を絶します。そん中で、長い時間をかけて語り合い理解をえようと、この場を離れない姿には強く共感するものがあります。

私は、3年で南三陸町を離れましたが、「支援者」という限られた立場だったので、そのような選択をしました。もし、役場職員として、仕事を任される立場であれば、きっと私も同じような選択をしたように思います。

数年に一度は部署を異動する官僚組織では異例の申し出、人事異動の希望書に「一生、福島においてください」と一筆を入れている国家公務員がいます。その方は、木野正登(きの・まさと)参事官で、福島第一原発の廃炉などを所管する経済産業省資源エネルギー庁の「キャリア」官僚です。原発事故後、国と地元の溝が深まる局面で国側の広報役として福島で働いてきました。

(「我々は福島復興の希望に」)報道関係者宛てに送られた1通のメール、福島第一原発事故から2年後の2013(平成25)年秋、差出人は経済産業省資源エネルギー庁の木野正登参事官。「15万人が避難している現状を一刻も早く改善しないといけない。その気持ちは今でも変わっておりません。自分に与えられた使命と考え、復興の礎のために新たな職務を全うしたいと思っております。我々は福島復興の希望ではなくてはならない。つまらない権限争い、私利私欲のための仕事ではない!そう思っております」(一部抜粋)と、ありました。

(映画『はだしのゲン』から原子力の平和利用へ)東京都出身の木野が原子力を知ったのは小学生の頃です。近くの公民館で上映された映画「はだしのゲン」の実写版がきっかけでした。『はだしのゲン』は、作者が自らの体験を元に、原爆投下後の広島を描いた作品です。「核や原爆はあってはいけないという怒りを覚えました。衝撃でした」と語ります。『はだしのゲン』は、原子力を持つ巨大なエネルギーに興味を抱くきっかけとなり、中学生の頃に「原子力を平和利用すればエネルギー問題を解決できる」との思いが湧き上がっています。東京大学工学部では、原子力工学を専攻し、就職活動では東京電力からも内定を得ていましたが、国家政策として原子力に携わりたいと1992(平成4)年に通商産業省(現・経済産業省)に入省しています。

(原発事故、「何かの間違いじゃないか」)通商産業省に入省後、原子力安全・保安院で柏崎刈羽原発(新潟県)を管理する事務所長などを務めました。その後、文部科学省に出向し、防災環境対策室長に就いた時には、漏れ出た放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」の担当も経験しています。「SPEEDI」は、原子力施設での事故の際、気象条件などのデータから影響を予測する重要なシステムです。クリーンで安全な原発を推進する立場だった木野は、地元住民の理解を得るため、勉強会を定期的に開いています。当時、「日本の原発はチェルノブイリ原発のような事故は起きません」と説明していたといいます。

そして、木野が42歳の時、チェルノブイリ原発に匹敵する事故が日本で起きてしまいました。事故から8日後の2011(平成23)年3月20日、木野は福島に入り、原子力災害現地対策本部(オフサイトセンター)の広報班長に任命されました。危機的な状況に陥った原発の状況や放射線量、農産物の出荷制限などの情報を伝えるため、殺気立った報道各社のカメラの前に立ちます。

木野さんがずっと気になっていたことがありました。それは、かつて自分が担当したことのある「SPEEDI」の情報です。「原発の防災訓練で散々使っていたSPEEDIのデータが全く報道されていない。」福島のオフサイトセンターに着いてすぐに放射線班に聞いています。担当者は、「「SPEEDIは外に出すなと言われています」木野:「誰がそんなことを言っているんですか?」担当者:「官邸です」。木野は、うな垂れるしかなかった。当時の政府は「福島第一原発から放射性物質がどれ位出ているか分からないから正しい予測はできない」とデータを公表しなかったのです。

のちに原発から遠ざかった場所へ避難したものの、かえって無用な被ばくを強いられた住民が多数いることが分かりました。このことを知り木野さんは、原子力に携わってきた自身の無力さを痛感したといいます。最大で16万5000人の住民が避難した福島。外を見るとバスにもガソリンスタンドにも長蛇の列。木野さんは愕然としながら会見の対応にあたり、静まった夜になると床にダンボールを敷いて寝ています。

(原発が奪った日常 湧き上がる思い)「一生、福島にいたい」木野にそう決意させた場所があります。事故が起きた年2011年の5月、避難を強いられた住民の一時立ち入りに同行し、報道各社などの対応にあたっていた。訪れたのは原発から約7キロに位置する浪江町請戸(うけど)地区です。

海沿いにあるこの地区は、震災の津波により死者・行方不明者は154人に上りました。しかし、津波襲来の後に原発事故による避難指示が出されたため、約2カ月もの間、生存者などの捜索活動ができないます(この話は、私も現地で聞きました)。住民たちの怒りや悲しみ、やるせなさは察するに余りだった。津波の犠牲者のために行われていた慰霊祭で木野の目に留まったのは、祭壇の前に立てられたベニヤ板に刻まれた文言でした。

『亡くなった請戸の方へ。残った者は頑張って生きていきますので安心して永眠してください。絶対にあなた方の死は無駄にはしません。』(一部抜粋)「本当に申し訳ない気持ちにもなりました。原子力に関わる全ての人が責任を持つべきで、自分はここに関わり続けたいと思いました」と語りますが、遺族に声はかけられなかったと言います。

請戸地区に建立された慰霊碑

(「お前らも住んでみろ!」への誠意)前述の一通のメールを送った2013(平成25)年9月、木野は福島第一原発の廃炉に携わる現地事務所で地元への対応や広報、調整事などを一手に引き受ける対策官に就任しています。この頃は、国と地元の溝がどんどん深まっていく状況でした。

福島第一原発の汚染水対策や、避難指示区域の解除の見通し・賠償など山積する課題に、国が方針を二転三転させることも少なくなかった。国側の人間として地元の「理解」を求めることが重要と考えた木野は、影響を受ける漁業者や住民のもとに出向き、顔を合わせて説明したのです。その時住民から何度も言われた言葉がありました。その言葉は、国と住民との溝をいつも浮き立たせました。「役人は2時間この説明会に出て東京に帰るんだろう。俺らは一生ここに住むんだからな!お前らも住んでみろ!」と。

説明会に出席する国側の多くは東京から来る同僚たち。福島復興を所管する大臣も毎年のように変わっていた。木野も国側のメンバーだが、自分一人だけでも誠意を見せたいと思うようになったのです。「経産省では年に1回人事希望書を提出するのですが、生涯福島に残してくださいとだけ書くようになりました。自分が何か役に立てるのならここに残りたい。廃炉を安全に完遂する時をこの目で見届けたいと思ったのです」と、語ります。

(原発処理水 矢面で理解求める)経済産業省が所管する福島第一原発の廃炉作業は、重要な局面を迎えています。いわゆる「原発処理水の海洋放出」です。炉心溶融(メルトダウン)を起こした燃料を冷やす際に出た汚染水を処理したもので、来春をめどに規制値の40分の1以下に薄めて海に放出する方針が決まりました。処理水には放射性物質のトリチウムが含まれています。トリチウムは自然界に存在するもので、国内外の原発では、これまで規制値を遵守した上で海に放出してきました。

「科学的に安全なことを推し進めることに迷いはありません。ただ、風評が起こるという懸念に対してどう答えられるか?対話を丁寧に行うことが大切です」と語ります。しかし、こうした言動には、「結局あの人も国の言いなりなんだよ」と白けた表情で語る地元住民の声も聞こえてくるのも事実でした。

(複雑な心情 政府への苛立ち)木野さん自身も、出来れば海洋放出をしない方がいいことを重々わかっているが、信念がある。それは、原子力を学んだ立場として「科学が風評に負けてはいけない」。何度も顔を合わせて安全性の説明を繰り返すことで溝が埋まるはずだ…と。それだけに政府に苛立っていることも包み隠さずマスコミに語ってくれています。「風評対策を簡単に考えているんじゃないのか?風評が収まる情報発信を政府全体で行っているのか?水産業の未来を考えているのか?こんな程度で国民の理解が得られるのか?と思っています」と。

(「生涯廃炉の仕事に」異例のキャリア続く)原子力災害から11年が経過し、木野さんは53歳になりました。異例のキャリアを歩んだ官僚人生も最終コーナーに差し掛かり、いつかは組織を離れる時が訪れる。「これまで住民説明会で色んな怒号を受け止めてきましたが、終了後に「酷いことを言ってごめんなさいね」と言われて涙が出そうになったことがありました。福島の人たちの人柄に救われました。ずっと福島にいて、生涯をかけて廃炉の仕事に携わりたいです」。木野の考えや国の方針を全ての福島県民が賛同できるわけではない。ただし、「死ぬまで福島にいたい」その信念は本心だろう。11年間も福島に留まり続ける―そんな官僚は彼しかいないはずだから。

出典:Yahooニュース3/3(木) 18:01配信https://news.yahoo.co.jp/articles/a43bf99a82e0fab0acdf0f9f21bb39f07e73cd17?page=1

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

この様な公務員は国の宝だ!” に対して5件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    先日、テレビで福島第一原発から出た処理水の海洋放出についてのインタビューを見ました。

    作業中の漁民は「せっかく福島の漁業がここまで来たのに、(処理水を海洋放出されたら)又、風評被害で一からやり直しだ。絶対反対だ。」と話していて、私は場所は違えど同じ漁村に住む身として、漁民の苦労を思うと絶対反対の言葉の重みを感じていました。

    ところが、もう一方では、水産関係の仕事の方が「風評被害は本当に怖い。でも、そんなことより原発の廃炉を進めて福島を守るためには、海洋放出はしなければならない」と静かに話していました。

    物事は、多角的にそして深く考えなければならないことを考えさせられました。処理水の海洋放出に向けては、いかに地元をはじめ国内外の理解を得られるか、誠意ある仕事の見せどころなのではないかと思います。

    ハチドリさん、福島での仕事は心が揺さぶられ締め付けられることの毎日でしょうね。
    私も心を寄せています、微力ですが応援しています。

    1. ハチドリ より:

      鈴虫さん,ありがとうございます。
      鈴虫さんのおっしゃるとおり,物事は多角的に深く考えなければなりませんよね。
      そして,これは言ってもどうしようもないことですが,「あと1年しか処理水を保管する場所が無い」なんて言う前になぜにもっと早く話合いが始められなかったかと。
      トリチウム水は基準値内のものがこれまでも,今も他の原発(外国も)では放出されていることや,今回,海洋放出をするために水道水の基準値よりもさらに薄めることが決まっていると言うことなど,どれくらいの人がちゃんと理解できているかです。頭では理解できても,気持ち悪いと反応してしまう人もいるかもしれませんが,それでも上記の記事にあるように国からの情報が事故当初からタイムリーに来ていなかったようです。
      私も浜通りで仕事をしていて,「公共広告機構等を使って,小学生でもわかる程度にかみ砕いた情報を流してくれないかな」と思うことが度々あります。会議の時など図々しく直接お伝えしたこともありますが響いてくださるまでに至っておりません。
      風評被害,ほんとうに怖く,やっかいなものです。
      ・・・と,愚痴のオンパレードになってしまいました。ごめんなさい,鈴虫さん!

      1. 鈴虫 より:

        ハチドリさん
        貴女からの情報発信はとてもわかりやすく、そこに居ない私にも自分事として考えやすいです。
        なぜ、国にはこれが出来ないのか疑問だし、正しい情報発信をしないことへの不信感は大きなものです。
        それと、大人は放射能について一からしっかり学ぶ姿勢が足りず、怖いの先入観から離れ辛いのかも知れません。
        何事も知らないことが一番怖い、でも理解しよう歩み寄ろうと努力すれば必ずいい方向に進めると思います。
        希望の灯を消すことなく、みんなで一歩ずつ進んでいきましょう。

        ここでは私達に愚痴っていいんですよ!その愚痴をどうそ吐き出してください!
        その人間らしさに益々ハチドリさんへの親近感が湧くのと同時に、私達と変わらない普通の人達が福島を何とかしようと踏ん張っておられることを教えてくれます。
        福島のみなさんはひとりじゃない、私達も一緒に考えますと伝えなくてはいけませんね。
        ハチドリさん、今日もひとつ理解が深まりました。
        ありがとうございました。

  2. ハチドリ より:

    いくこさん、こんばんは!
    先生の投稿記事で知らなかったことがまたひとつわかりましたね。
    町民のぶつけようのない原発事故の怒り、苦しみ、悲しみにこれからも寄り添うことが出来るよう私も頑張っていきたいです。

    いくこさん、ゆっくりのんびり、常磐線での旅を楽しんで欲しいです。そしてあれもこれも食べてみて欲しい!

  3. いくこ より:

    先生、今朝もありがとうございます。
    悲しみの涙ではなく、深くあたたかなものが広がる思いで読みました。
    ハチドリさん、昨日のコメント、常磐線で小高の本屋さんへとっても良いですね。
    子ども達が小さかった頃、よく出かけた福島の沿岸をたどる「旅」今年実現します!
    真摯な姿勢で働く人に思いをはせて、希望を語って暮らしていきたいですね。

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