第1回 Café de Monk 全国サミットが開催されました

2月25日(金)19時30分からZoomを使ったWebによる第1回 Café de Monk 全国サミットが開催されました。臨床宗教師の雄志が集まり今回のサミット開催となりました。臨床宗教師は、東日本大震災で宗教・宗派を超えた宗教者の雄志が集まり、協力して犠牲者の追悼や遺族のケアにあたったこと切っ掛けで誕生しました。2012(平成24)年に東北大学に寄付講座が設置され養成が始められました。

臨床宗教師の活動は、被災地などで地道に活動を行っていましたが、宗教活動との誤解をもたれることも多く、協力を拒まれるケースも多々あり、布教や宗教勧誘を目的とはしていない公共性の高い活動であることを示す必要がありました。この為、臨床宗教師の養成に関わる各大学の研究者や各地域の修了者が集まり、2016(平成28)年2月に臨床宗教師会を設立し、養成研修プログラムの精査や資格化への準備を進めました。こうした経過の後2018(平成30)年3月5日に臨床宗教師の資格制度が新設されました。

臨床宗教師という考え方には、宮城県の在宅医療を進めることに尽力した故岡部健(おかべ・たかし)さんの影響が非常に大きいです。岡部さんはこう言っています『戦後の日本では、宗教や死生観について語り、暗闇に降りていく道しるべを示すことのできる専門家が死の現場からいなくなってしまいました。人が死に向かい合う現場に医療者とチームを組んで入れる、日本人の宗教性にふさわしい日本型チャプレンのような宗教者が必要であろうと考えてきました。』(岡部健:1950-2012)出典:東北大学臨床宗教師講座

岡部先生とは、宮城県庁職員の時代に、病院とは異なる医療が身近にある生活の場、たとえて言うのなら「医療グループホーム」の構想などで相談を受け、様々な提案や議論をしていました。「退職して家の病院に来ないか?」等と冗談とも本気とも言えるような会話をしたことが思い出されます。岡部先生はガンの専門医で有りつつ在宅医療に邁進し、宮城県の在宅医療(特にガン患者)の基礎をつくった方です。しかし、情熱を捧げたガンに冒され若くして他界しています。岡部先生は1950年生まれで私と同年でした。そのようなことも有り、自らが主宰する研修会などのも呼ばれていました。

今回の全国サミットで中心的役割を担っている金田諦應(かねた・たいおう)氏との出会いは10年前に遡り、被災地南三陸町の仮設住宅での「お坊さんの喫茶店」に始まります。南三陸町を離れてからは、お会いする機会がなかったのですが、東北学院大が行っているリカレント教育としての意味合いもある「CSWスキルアップ講座」の講師としてお願いする機会に再会しました。私は、CSWが福祉分野に偏りがちな傾向に懸念を持っていたので、金田氏の傾聴の考え方やお寺の社会的役割等々をお話しして頂き、CSWerの視野を広めて頂きたいとの意図を持って講師をお願いしたのです。そんなこんなのことがあり、今回の全国サミットでは、Café de Monk全国サミット顧問や講評のお役を頂き、この会に参加したしだいです。講評の内容は、若干の写真を付け加え、当時のプレゼンに事例「カフェでモンクえりも」の特徴及びまとめで発言した内容を書き込んだものを添付しています、ご参照下さい。

私は、お寺という「場」に大きな意味を見いだしています。お寺は、様々な経過を経て、「死者を弔う場」だけとなり、葬式仏教等と揶揄され、生活の場から離れてしまいました。しかし、お寺は、今ここにいる自分と関わる代々の人とつながる場所です。そしていつかは、その代々の人々の仲間入りをして新たなつながりをつくっていきます。こう考えると、「死」は終わりではなく、つながりの中にある「ライフイベント」に過ぎないと思うのです。このように考えられると、「お寺」は生活の場として、もっと我々の身近に戻ってくるのではないかと思うのです。こうした文脈で考えて行くと、Café de Monk お坊さんの喫茶店は、死を生の文脈やつながりの文脈で考えさせてくれる大切な場となると思うのです。こうした意味で、私は「Café de Monk」に関心を持っているのです。

みなさん、お寺の数ってコンビニよりも多いこと知っていましたか。全国にお寺は77,042ヶ寺(2020年)あります。一方、コンビニは55,853店舗(2020.09)です。これを宮城県内に当てはめると、お寺は933ヶ寺(仙台市内201ヶ寺21.5%)、コンビニは1,189店舗(仙台市内606店舗50.9%)となっています。仙台市外は、圧倒的にお寺の方が多いのです。こうしたお寺を社会資源化する取り組みが、これからの地域包括ケアシステムその先の地域共生社会づくりには不可欠なのです。

このような想いもあったので、今回の第1回Café de Monk全国サミットに関わらせて頂いたしだいです。ご参加頂いた皆さま有り難うございました。尚、宮城県栗原市一迫で行われた「Café de Monk お坊さんの喫茶店」が3月10日8時15分NHKで放送されます。関心がありましたら観て下さい。

焼き芋を囲む篠山輝信(アッキー)と金田和尚

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

第1回 Café de Monk 全国サミットが開催されました” に対して4件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    第1回 Café de Monk 全国サミット,早目に入室させていただいたのですが,どんどん参加なさる人数が増え,関係者ではない方々の参加もとても多かったようですね。以前暮らしていた街で仕事仲間だった懐かしい人の名前もみつけ,嬉しく思いました。

    さて,Café de Monk について,今回のサミットに参加するまでは,どのような活動をなさっているのか,とても狭い断片的にしかわかりませんでした。また,在宅でターミナルケアを必要としている方に岡部健先生が唱えておられたようなことも実はよくわかっていなかったのですが,今回の投稿記事の『人が死に向かい合う現場に医療者とチームを組んで入れる、日本人の宗教性にふさわしい日本型チャプレンのような宗教者が必要であろうと考えてきました。』(岡部健:1950-2012)で,やっとわかったような気がします。
    10年以上前だったと記憶しているのですが,岡部先生がNHKテレビのターミナルケアに関する番組に出演されていたことがありました。その時に,確かお坊さんもその現場にいらっしゃったと思うのですが,もしかしたらあの時のお坊さんが金田住職(ガンジー金田と呼んでもいいのでしょうか?)ではなかったかと。間違っていたら申し訳ありません。あの時は,恥ずかしながら,「なぜ死に際の人のところにお坊さんがいるの?」と不思議に思ってしまっていたかもしれません。でも,10年以上の空白を経て,大変遅ればせながらですが,その意味がとても理解できたように思います。
    今回のサミットに参加してとても良かったことは,「カフェ・デ・モンク えりも」の活動を知ったことです。カフェ・デ・モンクは,グリーフケアだけではないのですね。えりもでは,精神障がい者の人たちが地域の中で,ともにそこで「自己肯定感」「有用感」を高めることができていると感じました。感激しました。もちろん,グリーフケア~カフェ・デ・モンクでの「いのちのケア」~についても,もっともっと知りたいです。そして,「傾聴のコツ」を少しでも身に着けられたらいいなぁと願っております。

    『お寺という「場」に大きな意味を見いだしています。』とのこと。このこともあまり考えたことがありません。お寺は,私はお葬式のときくらいしか行ったことがないのです。でも,先生の『「お寺」は生活の場として、もっと我々の身近に戻ってくるのではないかと思うのです。こうした文脈で考えて行くと、Café de Monk お坊さんの喫茶店は、死を生の文脈やつながりの文脈で考えさせてくれる大切な場となると思うのです。』を読んで,なんだかまた,心の中に温かなあかりが灯ったような,そんな気持ちになりました。

    本間先生,講評大変お疲れ様でした。
    バイステックの7原則が出てくるとは思いませんでした。
    とても勉強になりましたよ。ありがとうございました。

  2. いくこ より:

    先生、内容をアップしてくださってありがとうございます。
    先週金曜日は他用があって参加できず残念に思っていましたが概要を読むことができて嬉しいです。臨床宗教師という耳慣れない言葉もおおよそのイメージがつかめて、希望が湧きました。
    先生がおっしゃる「私は、お寺という「場」に大きな意味を見いだしています」というところ、私も私なりの理解ではありますが、とても共感します。映画「男はつらいよ」の中で寅さんがお寺の軒先で笠智衆が演じる住職とのやりとり、近くにあんな風にお寺があってお坊さんが居てくれたらと思っていました。行き場のない思いを抱えた時、そこに在ると思える場所、人、私もそうでありたいし、そうしようと考えている人を応援したいです。
    先生が作られた講評の資料は、関わる人みなさんを大きく支えるものだと思いました。
    ありがとうございました。

  3. スマイル より:

    Café de Monk 全国サミット、私もzoomで参加させていただきました。慣れないzoomでの参加、はじめは聞いているだけのつもりで耳を傾けていたのですが、そのあまりの素晴らしさに机にあった資料の裏にずっと走り書きをしながら聞いていました。

    「カフェドモンクえりも」の実践発表には心を揺さぶられ続けました。まず最初に「場を開き、ほぐし、しかける」そして「物語を動かす」という言葉にハッとしました。場を創り、人々の心がほぐれるような雰囲気作りや小道具(焼き芋など)を用意し、悲しみや痛みや苦しみによって物語が滞っている人々をその先の物語へと進めるようにお手伝いをする。

    関わっている人たちは精神障害を抱えている人たちで、寄り添って傾聴する中で「自分自身がこれまでの人生で苦しんできたからこそ、共感できる」「少しでも役に立てたことで、ふさぎがちだった自分も自己肯定感を持てるようになった」とお話されていました。その方達を寄り添い見守る職員や住職さんの姿。職員さんは「希望を押し出し、持ち続けられるようにし、目標に向かい自分をコントロールできるようになることで病を超えた人生を送る機会を作る(リカバリーの支援)」というようなことをおっしゃっていました。なんと素晴らしいことでしょう!

    感動をお伝えしきることはできません。本間先生の資料などもご覧いただき、関心をもっていただいて、それぞれの人がこの活動を知るきっかけになることを願います。

    今回の記事の中に『死を生の文脈やつながりの文脈で考えさせてくれる大切な場となると思うのです』という言葉があり、「死を想う」ということはとても大事なことだと思っていたので頷きながら読みました。「死を想う」とは「生の意味を考える」ということですから。

    確か本間先生の講評の中で「地の利を生かした、いつもいる、かかりつけCSW」というような表現があったと思います。お寺の数がそんなにたくさんある、という自覚はなかったけれど、なるほど!と思いました。サミットでご発言してくださった住職さんたちは、本当に人々の幸せを願い徳を積み、実際に行動もなさってきた素晴らしい方達だと感じました。「かじってみよう社会学」の中で「役割期待」という言葉がありましたが、その様子を見ているだけでなんだか涙がこみあげてきて、「この住職さんたちはまさに役割期待を体現なさっている」と深く納得しました。

    長々なりましたが、本当に素晴らしいサミットでした。ご準備大変だったと思いますが、本間先生が関わり紹介してくださったおかげで、貴重なお話をお聞きできたことに心から感謝申し上げます。

    1. スマイル より:

      今回の記事を読ませていただき、Café de Monk 全国サミットまでには長い長い、いろいろな方との縁や繋がりがあったのだと知ることができて感銘を受けています。特に「死と向き合う現場」で「日本人の死生観、宗教観に合った導きをしてくれる人の存在が必要だ」と考えてらしたという岡部健さんのことは、その早すぎる死がとても悔やまれ、お会いしてお話してみたかった、という想いが何度も湧き上がってきます。本間先生、岡部先生とのやりとりを時々ホームページでお伝えいただけたらと、切に希望いたします。

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