ボールは私たちに返された(東京2020パラリンピック閉幕)

第16回夏期パラリンピック東京大会は、8月5日閉会式が行われ、13日の戦いに幕を下ろしました。この間、数々の熱戦を繰り広げ、多くの感動と様々な学びを私たちに与えてくれました。

162ヵ国・地域から集まった4,400人の選手は、それぞれの持つ障害を自らの創意工夫や技術を生かして限界に挑戦する姿をとおして、人間の持つ限りない可能性を私たちに問うている感じがしました。

限界に果敢に挑戦し、圧倒的な力に跳ね返される選手、限界を超えメダルを手にした選手、それぞれにドラマが有り、それぞれに長い年月かけた自分との戦いの軌跡が秘められていました。

勝者もない、敗者もない、あるのは、彼らの障がいと向き合った自分との戦いに勝利した目映い(まばゆい)ばかりの姿です。

この写真は、横断歩道を悠々と渡る義足や車いす、視覚障害の選手たちがおさまっています。東京パラリンピックの選手村で、日本のトライアスロンチームがビートルズの有名アルバム「アビイ・ロード」のジャケットをまねて撮った写真が反響を呼んでいます。この写真撮影を呼びかけた谷真海選手(39)は、ツイッターに「みんなちがって、みんないい」とのコメントを添えて投稿しています。この写真を見た人達からは、「これがほんとうの多様性」との反響が寄せられていると言います。

パラ選手7人によるアイビ・ロード風写真

また、谷真海さんは、「こうした風景があたり前の世の中になると良いなと願っている」とも語っています。私が深く感じたのはこの言葉です。

私たちの住む社会は、「こうした風景があたり前」にはなっていません。姿・格好、肌の色、判断能力等々に対する閾値(いきち)(境目、境界線となる値を意味する表現)がとても狭いのです。ほんの少し違うだけで偏見の対象になったり、いじめの標的にされたりしています。上記の「みんなちがって、みんないい」からはほど遠い現実があります。

人口の15%は、何らかの障害を持ちながら暮らしていると言われます。障害者施策の有り様は、そのまま社会の成熟度を現すと言われます。障害者制度改革推進会議(厚生労働省H22.4.12)では次のような発言がありました。「1981 年の国際障害者年の行動計画では「障害者を締め出す社会は弱くもろい社会」であるとの指摘がなされた。以降も、「障害者は高齢化社会の水先案内人」、「障害者問題は、その社会の豊かさのバロメーター」といったように、障害者の権利に関わる問題への取り組みは、(障害者のみならず)社会全体の豊かさや安心に大きく関係するとの提起がなされてきた。」と。

東京2020パラリンピックは、彼らの持つ障害と如何に向き合い、失ったことを追いかけず、今ある現実を受け入れ、残された能力の再開発に挑戦してる姿をとおして我々に問いかけています。

ボールは私たちに返されました。パラリンピックを観て感じたことをどの様な形で地域社会に生かすのか。彼らと一緒に考えていきたいものです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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