東日本大震災との向き合い「現職最後の20日間」

2011(平成23)年3月11日午後2時46分頃、携帯から、突然、緊急地震速報を受信した警報音が鳴り響き「緊急地震速報、強い揺れに備えて下さい」とメッセージが表示されました。警報音から数秒して小刻みな揺れがあり、直後には金属の軋むような音を伴いながら、これまで感じたことのない極めて強い揺れに襲われました。この揺れは地面から突き上げられるような縦揺れに続いて横にも激しく揺れ、書類を入れたキャビネットが倒れ、机からパソコンが落ち書類が散乱しました。想定されていた、「宮城県沖地震だ!」と直感しました。

2011年1月の「長期評価」では、三陸沖から房総沖にかけての宮城県沖地震で、地震規模:マグニチュード7.5前後(連動8.0前後)、地震発生確率:10年以内:70%程度、30年以内:99%、とする評価を公表していました。この評価は、それ以前から高い確率で宮城県沖地震の発生を予想し、注意を促していました。

いつも頭のどこかに置いていた「宮城県沖震地」が公務員生活の残すところ20日余りのこの時期についにやって来たのです。私の最後の仕事は、災害対応となりました。

大河原保健福祉事務所に在籍したとき、岩手宮城内陸地震が有りました。仙南の市町村は全く合併していなかったので、いざ有事の時は、県の調整役としての役割は極めて重要になります。その為、岩手宮城内陸地震での対応を学ぶためにボランティアを志願し、栗原に1週間ほど通い、市町村間の調整の有り方や受援力を高めるための方策を考える為に現場の様子を学びにいきました。

また、大崎保健福祉事務所に在籍していた時は、全く通勤に支障が無い距離でしたが、緊急時に即応できるように、事務所近くにアパートを借りました。こうしたことは、特に求められていたわけではありませんが、宮城県沖地震の発生確率が30年以内では99%と非常に高い確率だったので、管理者として必要な心構えとして、この様な準備をしていました。いつ災害が発生しても、迅速に陣頭指揮を執れるようにしていきたかったのです。

無駄になればラッキー。無駄、大いに結構、それに越したことはないという感じでした。いわゆる備えあれば憂い無しを実践していました。しかし、不幸にも、この自律的準備が生きてしまいました。

11年前の東日本大震災当日は、大崎保健福祉事務所(宮城県大崎市)で、色麻町の方と認知症の方とご家族を地域で支える為のネットワークづくりの打合せをしていました。当然ながら打合せは中止し、災害対応に全神経を集中させました。

宮城県は、県内で震度6弱以上の地震が観測されたときは、宮城県災害対策本部を自動的に設置し、非常配備体制(3号配備)を敷きます。3号配備が発令されると、職員は、休日、時間外を問わず、組織の全力を挙げて応急対策を実施するため,災害応急対策に従事することができる全職員で対応します。それが解かれるまでは、帰宅は原則不可で、それぞれの勤務場所で不休不眠の災害対応に従事します。

当時、非常配備体制(3号配備)の連絡などには多少のタイムラグがありましたが、そういった指示は待たずに、地震の状況から3号配備を想定して、直ちに所長室「対策本部」と書いた紙を貼り付け、あらゆる情報の発信・集約を一箇所にまとめました。また、散乱した書類等の片付けは部下に任せ、課長以上職員を所長室に集め、各課で所管している災害対応関連事務の確認を指示しました。地震発生の初期段階では情報が入ってきません。その間を使って今後起きるであろう災害対応の様々な事務の確認を指示し、市町村や事業者等からの支援要請に迅速に応えられるよう準備してもらいました。

総務課企画班には、分厚い災害対応マニュアルを読ませ、今必要な事と次に必要な事のみ抜粋して私に伝えるよう指示し、マニュアルを預けました。時間に余裕がないのと、先のことを考え過ぎると「あれもこれも」となり労力が分散して所内の力を弱めてしまい、職員が一気に疲弊してしまうからです。長期戦を覚悟して、労力を一気に使い切らず、長期間耐えられるよう体勢を整えることに気を配りました。

また、毎朝の打合せは、始めはホワイトボードに書いていたのですが、それでは記録が残らないので、早い段階からA4版のコピー用紙に書き込むようにしました。その上で、その内容は、パソコンに打ち込ませました。

後々、災害時の対応をどの様にしたのかが必要になるときが来るのではないかと思ったのです。混乱期に何をどの様にしたかの一次資料は貴重です。将来、使われるかどうかは分からないのですが、当事者としては判断資料は残したいと考えたからです。こうしたやり方は、調査研究のフィールドワークには必要な手法なので、大学院の時の経験が自然と出た感じです。

市町村支援の対応は、何処にでもあることなので、ここでは省略して所内で取った職員向けの対応を書いて見ます。

始めは食糧確保についてです。災害になると住民向けの水や食料が届くようになります。しかし、職員(公務員)向けの食糧支援などは全くなく、自己調達が現状なのです。そこで、災害当初に二つのことをしました。一つは、職員の机の中にあるお菓子や甘いものを全部提供してもらいました。そして職員の栄養士に、一食分に必要なカロリーを計算してもらい、それに見合うお菓子やあめ玉を袋に入れて、不測の事態に備えるための非常食としました。職員には、危険な中で外に出た時に一食分だけ持たせました。持っているだけで、安心感がある、そんな状況を作りたかったのです。二つ目は、地元で農家をしている職員にお願いして、米と塩そして味噌を調達してもらい、職員が当番制でおにぎりを主食とする食事をつくりました。また、気仙沼市・南三陸町等に向かう職員には弁当として持たせました。沿岸部被災地ではほとんど食料が手に入らなかったかです。これは普段お判断力を維持できるようにするのと士気を高めることに役立ちました。

また、共済組合から送られてきた缶詰パンは、職員には事後承諾で、被災した沿岸部市町職員ように段ボール箱を開封することなく、応援に出向く職員に持たせてやりました。段ボール箱には、走り書きで応援メッセージと「公務員で使って下さい」と書き添えました。同じ公務員として食糧事情の大変さが分かっていたからです。

次は、帰宅の足確保対応です。新幹線通勤者が殆どで帰宅の足がない職員への帰宅支援です。1週間もすると必要な職員を残し、帰宅できる状況が出てきました。しかし、新幹線が不通の状態が続き、通勤手段が断たれてしまっていました。そこで、車の相乗りを薦め、3ルート程で送迎を行い、自宅に帰られるようにしました。男性はともかく女性職員には必須の対応でした。

三つ目は、公用車の燃料確保です。当時、ガソリンが手に入らず大変でした。公用車は優先的に補給ができたとはいえ、支援活動に支障が出ないような量を確保するのには手間と時間を要しました。朝早くからガソリンスに並びました。その歳、大型自動車を燃料タンク代わりに使い、それを満タンにして、長距離移動などの時は、それから補給してガス欠の不安が出ないようにしたりしました。また、被災地を所管する事務所では公用車も流されて手足がなくなっていたので、そこに対して燃料を満タンして公用車を貸与したりもしています。

ついでに、地域住民向けの対応を一つだけ書きます。県の機関として直接県民に支援するようなことは少なかったのですが、市内は停電で真っ暗になっていたので、被災された方が不夜城状態になって居る私たちの所に寄ってくる方々が結構いました。暗くて心細いのと寒さに震えていました。また、携帯の電気がなくなり困っている人も多くいました。なので、私は事務所を開き、職員用に配られた毛布を提供し、コンセントにはテーブルタップをつないで、何人もの人達が携帯に充電できるようにしました。庁舎管理の担当課は渋い顔をしていましが、気づかないふりして電気が復旧するまで続けました。

書き足りない。次回、もう一回だけ続きを書きます。この震災で県の機関として行ったことや特に気になったこと等を書いて見ます。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

東日本大震災との向き合い「現職最後の20日間」” に対して8件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    ホームページの色がさくら🌸色になっていて、とてもいい感じですね。
    新年度、この年齢で異動になり、内示を受けた時は何とかなるかなと思っておりましたが、現場に行ってだいぶ戸惑っております😅。でも、同僚の皆さんとの関係性に助けられ、新たな分野を学ばせてもらえることにとても感謝をしております。

    さて、当時の状況を読ませていただき、県として職員が動けるようにとの気遣い、指示がとても細やかで感激しました。
    その中で私が一番反応したのは『総務課企画班には、分厚い災害対応マニュアルを読ませ、今必要な事と次に必要な事のみ抜粋して私に伝えるよう指示し、マニュアルを預けました。時間に余裕がないのと、先のことを考え過ぎると「あれもこれも」となり労力が分散して所内の力を弱めてしまい、職員が一気に疲弊してしまうからです』と言う部分です。
    分厚いマニュアルをそのときに読まれたのは大変だったろうなと思いました。「こんなことが起きた時はこのようにする」とマニュアルは、その時々で合わないこともあります。何でもない平時に読みあわせをしてイメージしておくと、いざというときに臨機応変に動けるためにも必要なものだと実感しております。机の中にそっとしまっておく甘いものも緊急時には役に立つと言うことも!
    あの当時、ガソリン不足の問題も如実に浮かび上がりました。鳴子の人がガソリンが無くて古川の病院に人工透析に来れないと言う相談もありました。結局、何とかしたのですが、「結局、何とかした!」のではなく、「ガソリンが不足したらこのような方法もある」と普段から共有できていたらと、切に思います。
    本間先生の貴重な体験から、日頃からの備えがどんなにか大切かを学んでいけたら、災害が起きるのは防げなくても、命を守ることと減災につながっていくはず。改めて考えてみる「備えあれば憂いなし」、とてもありがたいなと思っております。

    1. 鈴虫 より:

      ハチドリさん、異動があったとのことでお忙しい真っ最中なのですね。新たな学びの毎日は新鮮な刺激にもなるかと思います。無理しないように、でも楽しんでお励みくださいね。

      私もハチドリさんと同じところに惹かれました。マニュアルから優先順位をつけて行動したこと。机のオヤツで非常食を確保したこと。大型車のタンクをガソリン基地にしたこと、どれも自分でも取り入れられそうです。
      また、ハチドリさんが「自分ならこうして欲しい、またはして欲しくないとの思いで仕事をしてきた」と仰ることにとても共感しています。
      この気持ちこそが大人の振る舞いには大切なことだと思うと同時に、次の世代に見せ続けていかなければならない姿だと思っています。
      私もおなじ気持ちで毎日たくさんの人と関わっているので、とても嬉しくなりました。
      おかげさまで今日も朝からいい気分で出勤します、ありがとうございます😊

      hpのさくら色にも、とても癒されています!

  2. スマイル より:

    南三陸町支援の話はお聞きする機会がありましたが、発災直後の対応についてこのように詳しくお聞きする機会はあまりありませんでした。当時の様子を知り、言葉がうまく出てこないほどの感銘を受けています。

    働きながら大学、大学院に通われたことがこうして非常時に生かされたこと、地域住民の方達のために尽力なさったことは想像がつきましたが、職員への気遣いや公務員の苦労を知っているからこその仲間への支援、どれもこれも先生にとっては「あたりまえ」だったのかもしれませんが、あの状態の時に実践できたということに驚いています。

    どんな時も最大限に自分をいかせるように全ての経験を学びとしたこと、さらに高みを目指し先取りして学んでらしたこと、その本気度がどれほどのものだったかの証明だと思います。先生が全てをかけて学ばれたこと、そしてそれを生かし切った経験は本当に貴重な証言であり財産です。こうして学ばせていただけることは本当にありがたいことです。

    伝える機会を作ってくださってありがとうございます。鈴虫さんがおっしゃるように、思い出せる限りのことを書いてください。よろしくお願いいたします。

  3. 鈴虫 より:

    先生を始め行政の方々の公僕としての働きがあればこそ、私達はあの未曾有の震災後の混乱期を乗り越えられたのだと、いま振り返っています。

    あの当時、被災した一人ひとりに語り尽くせぬ苦渋と混乱の日々がありました。それは公務員とて例外ではなく、家族や家の心配を抱えながらの公務はどれ程の激務であったかと、感謝の気持ちを新たにしています。
    それは、先日の地震直後にハチドリさんが直ちに出勤なさって避難所の開設をされたことや、先生が直ちに地域に見廻りに出動されたことでもわかるように、正しく公僕としての有るべき姿なのですね。
    その様な真摯な姿に触れることが出来たことに、私はとても感動しています。

    先生がまだ書き足りないと仰るのがわかります。これは後々まで遺さなければならない記録ですから、どうぞ思い出す限りの事を綴って教えて下さい。
    明日からもしっかり読ませて頂きます。

    1. ハチドリ より:

      鈴虫さん、私の実家の父親は自営業を営んでいたのですが、真面目に仕事をしてもうまくいかないこともたくさんあり、そんなだから、公務員になった私は皆様からの税金でお給料をいただいておりますことにとても感謝しておりました。
      でも、公僕(社会や人のために尽くす)としてのと言う思いより、自分ならこうして欲しい、またはして欲しくないとの思いで仕事をしてきたように思います(あれ?自己中😅?)。
      3.11の時は、携帯電話はつながらず、公衆電話から途切れ度切れながらでも母親や家族の安否が確認できたから避難所運営が何日も出来たと思っています。
      本間先生のお話は初めてこのHPで知りました。私もこの次のお話を楽しみにしております

      1. 鈴虫 より:

        ハチドリさん
        コメントありがとうございます。
        でも、いつも夜中の時間で気になります。きっと勉強の虫になっておられるのでしょうね。

        余計なことかも知れませんが、美容にはよろしくないかと、、😆
        いい夢を見る時間もとれますように🍀

        1. ハチドリ より:

          鈴虫さん、おはようございます。
          ハッ、美容に悪い?それはダメだわ。今夜から早く寝ますね(^_^;)

          新しい係も雰囲気がよく、ちんぷんかんぷんの私も何とかやっていけそうです。
          じゃ、今日も楽しく頑張りましょうね、鈴虫さん!

  4. いくこ より:

    おはようございます。
    細やかな心配りで対応してもらった住民はほっと一息ついたのではなかったでしょうか、あの日を思い出すと何をどうしようか、私は思考停止だったような気がします。
    これからどう備えていこうかと考える時、行政に携わる方のように備えることはできませんが、家庭にあっても日々の暮らしを丁寧にすることが、何か起きた時の心配りを生み、備えとなっていくのではと思いました。

    先週は次の講義のお知らせありがとうございました。
    学ぶことを楽しみたいと思います。

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